第4幕
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事務員の仕事は単調ではあるが数が多い。それに、臨機応変に対応しなければならない。
バタバタと忙しなく行き来する制服姿の彼女らを横目に、クリスはパソコンへと向き直っていた。備品管理の画面が映し出されている。誰がいつ何を消費したか、何を仕入れたか、今何が残っているか。雑貨の他にも銃弾や手榴弾といった武器に関しても、こうして管理されていた。
「クリスさん」
パソコンに向かっていたクリスへ、春野が顔を覗かせる。
「調子はどうです?」
「だいぶ慣れて来ました。わからないことも皆さんが優しく教えてくださいますし、助かります」
「助かっているのは私達の方よ、梓弓章の授与が決まってから急に忙しくなってしまって……業務関係の方で人手が必要になってしまっているから、社内関係の仕事が滞っていたんです」
「お役に立てているなら良かったです」
にこりと返せば、春野もまた笑顔を返してくれた。その背後からひょこりと顔を出したのは、ナオミである。
「クリス、もし良かったら今日のお昼、ご一緒しません? 兄様とお食事に行くのですけれど」
「良いんですか? 是非!」
「そういえばナオミちゃん、ずっと気になっていることがあるんだけど……」
春野がこそりと囁いた。その声は慌ただしい周囲を配慮してか、クリスとナオミにしか届かないほどに小さい。
「ナオミちゃんはクリスさんのこと、呼び捨てなのね」
「そうですわね」
ナオミは大したことのない風に頷く。
「最初の頃はリアって呼んでいましたわね。でも街中でその呼び方は良くない気がして、それでクリスと呼ぶようになって。私の方が年下ですし、さん付けにするべきなのでしょうけど……」
ちら、とナオミがこちらを見、何かを思い出したかのように楽しげに微笑む。
「そう呼びたくなりましたの」
「……え?」
「私がクリスのことを気軽に呼んでいたら、いつか、心を開いてくださる気がしたんですわ」
思わずその笑顔を見つめていた。妖艶で、けれど親しみやすくもある、上品でありながらも軽く心地良い表情。
「……気付いていたんですか」
「勘は鋭い方ですのよ?」
ナオミは悪戯っぽく片目を瞑った。
「兄様達は気付いていないようだったので黙っていましたけど」
クリスは思わず苦笑していた。もしかしたら一番最初にクリスの腹の底に気付いたのは、乱歩でも太宰でもなくナオミだったのかもしれない。何て聡い人なのだろう。
「油断していました。今度から気を付けなくちゃ」
「あら、それは嫌ですわ。寂しくなってしまいます」
そんなことを話しながら笑い合う。と、賢治が事務員達の間を縫ってこちらへ歩み寄ってきた。「今良いですか?」とナオミと春野に確認を取り、賢治はクリスへとその明るい表情を向けてくる。
「お話の途中すみません、クリスさんにお願いがあって来たんですけど」
「何でしょう?」
「前にお話したことで、ご相談が」
ああ、とクリスは納得した。
「医療施設連続銃撃事件ですね」
「ええ。午後、畑中さんのところにもう一度お話を伺いに行くんです。無関係なら無関係だって言ってもらわないと今後の調査の方針が立たないんですよね。クリスさんに手伝ってもらいたいんですけど、どうですか?」
「構いませんよ。侵入経路はどうするんです?」
「正面からインターホンを鳴らそうかと思っているんですけど、また銃撃されるから止めておけって国木田さんが。確かにご近所迷惑になってしまうし、どうしようかと悩んでいたところなんです。何か良い案はありますか?」
「そうですね……」
顎に手を当て考え込む。脳裏に浮かぶのは、賢治が行こうとしている場所周辺の地図だ。それも、道や建物だけではなく地形や地下構造、組織の縄張りなどの情報も網羅した脳内地図である。
「……確かあの辺りに地下通路を利用して活動している組織があるはずです、彼らに協力を”お願い”すれば構成員に気付かれずに最奥まで行けるかもしれません。調べてみましょうか」
「はい! お願いします!」
賢治が心底嬉しそうに頭を下げる。その笑顔につられるように、にこりと笑みを返した。
仕事場に戻っていく賢治を見送り、クリスはふと視線を感じてそちらを見る。隣で成り行きを見ていたナオミと春野がクリスを凝視していた。
「……クリスさんって凄いわね」
「そうですか?」
「そうですわ。今まであの手のことは、乱歩さんの推理力に頼るしかなかったんですもの。しかも乱歩さんの機嫌が良い時だけ。乱歩さんがクリスの入社を許した理由がわかった気がします」
「最近の乱歩さんが『嫌だ、面倒くさい。そんなことに僕の労力を使うのは無駄が過ぎる』って喚かなくなったのはクリスさんのおかげだったのね」
目を瞬かせる二人に、クリスは苦笑するしかない。乱歩がクリスの入社を許可したのは監視のためであり、乱歩が楽をするためではない。――否、もしかしたらそれをも踏まえた上で許可したのかもしれないが。
それに、この技術は他者を貶め他者を虐げるために身に付けたものだ。褒められるようなものではなかった。
けれど、心は少しあたたかくて。
「……お役に立っているようで、良かったです」
呟くように言う。胸に手を当てる。肉と臓器と骨ばかりでできているはずのこの肉体が以前よりも軽く感じられるのは、気のせいだろうか。