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第4幕

夢小説設定

この終焉(おわり)なき舞台に拍手を
本作品の夢主は英国出身北米育ちです。
カタカナでの名前を推奨しております。
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舞台女優名

 与謝野と共に医務室を出、戸締りがされた後、与謝野は先に帰ってしまった。聞けば、クリスが眠り続けた三日間とその後の三日間、ろくに休めていなかったのだという。相当疲れていただろう。それでもクリスへ疲労を見せなかった与謝野には感謝を伝えても伝えきれない。

「皆さんにも、ご迷惑をおかけしました」

 社員の皆が集まる中、クリスは深く頭を下げた。

「もう大丈夫なの?」

 そっと窺うように谷崎が尋ねてくる。頷き、けれど少し考えてからクリスは苦笑を返した。

「……正直なところ、あまり。考えることはまだありますし、混乱が収まったわけではなくて……でも昨日よりは良い状態だと思います」
「なら良かった」

 谷崎は柔らかく笑ってくれる。隣でナオミも安心したように微笑んでいた。二人には迷惑をかけた他に、酷い対応をしたとも思う。それでもこうして接してくれるのだから、心配になるほどに彼らは他人に優しい。
 この優しさに触れ続けることができる場所があるだなんて、思いもよらなかった。
 じわりとあたたかなものが胸に染みてくる感覚に浸っていたクリスへ、飄々とした声が上がった。

「ねえねえクリスちゃん」

 自分の席からひらひらと片手を振る、包帯男――太宰である。

「明日からどうするの? 仕事と宿」

 まるで与謝野との会話を聞いていたかのような質問だった。聞かれていた気配はなかったが、太宰のことだ、気付かないうちにクリスの周辺に盗聴器でも隠していたのかもしれない。そんなことを考えながらクリスは首を横に振った。

「まだ何も。とりあえず今日はホテルを取ります」
「じゃあさ、明日からうちで働かない?」

 何を言われたのか理解が遅れた。

「は?」

 クリスより先にその疑問符を口に出したのは国木田だ。

「貴様、突然何を」
「さっき社長と話したのだよ。で、そういう結論になった」
「はあッ?」
「乱歩さんの許可も取ってあるよ。というのもね、特務課からのクリスちゃんの監視業務はまだ継続中だし、ドストエフスキーが捕まったとはいえ奴の手下や他の組織がこの街に流れ込んでくる可能性は残ってる。普段は事務方の手伝いをしてもらう予定だけれども、クリスちゃんならもしもの時に戦力になるし、社内にいてくれるなら常に監視状態だから私達の仕事の効率も上がる。最高だと思わない? 国木田君」
「貴様が仕事の効率について言い出すとは……明日も雨か?」
「私はいつも通りサボるけど」
「サボるな!」
「そろそろ馬で一発当ててみようかと。あ、そうそうクリスちゃん」

 吠える国木田を完全に無視し、太宰は世間話をする主婦のように手のひらを扇ぐように動かした。

「与謝野先生から聞いた? 梓弓章」
「シキュウショウ?」
「二週間後にね、うちに授与されるんだって。よくわかんないけど」
「俺の説明を全く聞いていなかったな?」

 国木田が不満そうに腕を組んだ。が、やはり太宰は気にした風もなく「それでね」と続ける。

「おそらくその授与式の後、うちはてんてこ舞いになると思うのだよ。何せ民間企業が警察を差し置いて安全貢献の最高勲章を授与されるなんてそうそうある話じゃあない。私達の噂を聞きつけた人達がこぞって仕事を依頼してくるだろう」

 梓弓章の説明をきっちりと交えながら太宰はへにゃりと笑った。

「人手が必要になるんだよねえ。どう?」

 見た目は、ただの誘いだった。しかし妙ではあった。特務課という後ろ盾があり、詳細な事情を知る探偵社とはいえ、クリスを正式に雇うのはリスクが高い。それをわかっていない太宰ではないだろうし、それをわかっていて止めない乱歩でもないだろう。国から表彰される予定がある福沢が、国に反逆し続けてきたクリスを身内にすることへ納得したとは信じがたい。
 他に何か、あるのか。
 太宰を見つめる。視線の先で、太宰は気の抜けた笑みを絶やさない。何かを企んでいる一方で、何かを策している。それはきっと利己的なものだけではない。
 互いのため、か。

「……皆さんが良いのなら、構いませんが」
「じゃあ決まりね」
「ちょ、ちょっと待ってください」

 慌てて敦が太宰を止める。

「話についていけてないんですけど……クリスさんが探偵社で働くんですか?」
「そうだよ?」
「そ、そんな急に」

 ちら、と敦はクリスを見遣った。突然のことで困る、というよりは、突然そんな話を引き受けてクリスは大丈夫なのだろうかという心配がその丸い目には浮かんでいる。自分のことより相手のことを考える、その思いやりが羨ましい。敦を安心させるつもりで、にこりと笑って「よろしくお願いしますね」と言えば、敦の表情は幾分か和らいだ。

「僕としてもクリスさんがいてくれるなら助かります……えっと、じゃあ、よろしくお願いします」

 律儀に頭を下げてくる。その隣では鏡花が無表情のまま、しかし小さく頷いていた。

「社員がまた増えましたね!」

 賢治がポンと両手を合わせて歓喜の声を上げた。

「賑やかで楽しくなります!」
「待て、待て待て待て」

 国木田だけが慌てていた。頭を抱えて右往左往している。

「急に決めるな、というか社長と乱歩さんはわかる、だがなぜ太宰がその手の話を進めているのだ。敦の時もそうだったが貴様はぽんぽんと話を進めすぎだ。まずは社員全員が揃っている中で議題として出し全員で議論した上で結論を出すのが正しいやり方だろうが」
「んもう、国木田君は相変わらずだなあ。じゃあ議論しまーす」

 太宰がのんびりと言い、片手を大きく上に挙げた。

クリスちゃんが社員になっても良いと思う人ー」
「はーい」

 賢治が元気よく手を挙げた。他の社員達も同様に、互いに顔を見合わせながら手を挙げる。人手が足りなくなるのが目に見えている中での増員だ、しかも福沢と乱歩の許可も下りている。よほどのことがない限り反対する人はいないだろう。予測可能な結果だ。社員の反応を眺め見、太宰は国木田へにやりと笑いかけた。

「はい決定。議論終了」
「そうじゃない!」
「これでクリスちゃんは社員寮が使えるようになるわけだし、めでたしめでたし……あ、でも今って部屋空いてないんだっけ」

 太宰の疑問に、敦は鏡花を見遣りつつ頷いた。

「そうですね」
「というわけで国木田君、後はよろしく」
「はあッ?」
「太宰さん!」

 突然話を振られた国木田が素っ頓狂な声を上げる。クリスもまた、こればかりは反対意見を言わずにはいられなかった。
 太宰は具体的に指示を出したわけではない。が、話の流れと太宰の意図を合わせて考えれば自ずとわかることだ。
 ――この男、鏡花の時と同じく男女を同棲させようとしている。
 さすがにそれは無理だ。困る。

「貴様、何をどうすればそういう思考になる!」
「そうですよ太宰さん!」

 二人揃っての猛抗議に、さすがの太宰も「おや」という様子で目を瞬かせた。

「部屋がないのならよそのアパートなりを借りれば良い話だろうが! なぜ俺が! クリスだって反対しているし!」
「何かの拍子にわたしが間違って殺しちゃったらどうするんですか!」
「そうじゃない!」
「え?」
「え、じゃない! 問題はそこではないだろうが!」
「じゃあどこが……」
「察してくれ!」

 国木田の突っ込みが冴える。
 ぎゃんぎゃんと言い合うクリスと国木田に、太宰はにこやかな笑みを浮かべた。

「まあまあ落ち着きなよ」
「落ち着けるか馬鹿者!」
「言っただろう? ドストエフスキーが捕まったとはいえ奴の手下や他の組織がこの街に流れ込んでくる可能性は残ってるって。クリスちゃんを一人にしておくのは良いこととは思えない、戦闘ができる人間が彼女のそばにいるべきだ。とはいえ他の社員では部屋が手狭だし、探偵社の要たる与謝野先生に負担をかけるのはよろしくない。国木田君ならクリスちゃんに殺されかけたとしても回避できる戦闘力があるし、適切だと思うよ?」

 どう  と太宰は何ということもない様子で言う。

「何なら異能無効化能力のある私と同棲してもらっても」
「それは駄目だ」
「それは嫌です」
「そこまではっきりと言われるとさすがの私も拗ねるよ……?」

 二人揃って拒否を示す。が、太宰は微かに傷付いた様子を見せながらも、予想通りとばかりににっこりと言った。

「じゃあ決まりね」

 言わされたのだと気付いたが、後の祭りだ。ちらりと見遣れば、国木田は怒りとも混乱とも取れる様子でわなわなと震えている。そんな国木田へ、太宰は手招きした。何だ、と苛立たしげにしつつも素直に太宰へ歩み寄った国木田に、太宰はこちらへ聞こえない声で何かを言う。途端、国木田の表情が緊張に固まった。一通りの様子と太宰の口の動きに、クリスは会話の内容を知る。

『彼女から目を離すな』

 つまりこれは、監視の一端か。
 妥当だ。手記が手元にある以上、クリスが殺されたり捕まったりするのを防ぐだけではなく手記の死守すら必須になってしまった。守るべきものが多すぎる。手記を廃棄できたのなら良かったのだが、ウィリアムが手記に書かれていないところでその仕掛けを指示していたのか、手記を切り刻んだり消失したりしようとしてもその一切が弾かれてしまっていた。文面を外見上暗号化しようとしても、手記に再び封印を施そうとしても、全てが拒絶される。太宰に触れてもらった後でも同様で、おそらくはウィリアムにより”異能を受け付けないノート”として再定義されていたのだろう。再定義の異能は不可逆であり、一度再定義されたものは異能無効化の能力を使用しても元の状態には戻らない。
 最も、とクリスは密かに思う。
 ――手記の封印と同様、特定の条件下で【マクベス】を使った場合のみ手記が異能を受け入れる可能性はあるが。
 そしておそらく、その『特定の条件』というのは。

「あのさ、クリスちゃん」

 深刻に考え込んでいたクリスを配慮してか、谷崎がこそりと囁いてくる。

「もしアレなら、賢治君に頼むとかは? 賢治君なら戦闘面も問題ないし、国木田さんよりも、その……いや、国木田さんなら大丈夫だとは思うんだけど」

 それを横で聞いていた敦が「なら」と顔を寄せてくる。

「僕の部屋で鏡花ちゃんと一緒に住んでも良いんですよ、クリスさん。僕は野宿の経験もありますから!」
「さ、さすがに野宿させるわけには……」

 というか、誰の部屋に居候せずとも問題ないはずなのだ。太宰がそれらしいことを言っているだけで、どうにもならないのならクリスが一人暮らしをすれば良い話だ。夜間の安全が心配なら夜通し起きていれば良い。与謝野に「規則正しい生活を」と言われてはいるものの、規則正しい生活なんてあまりしたことがないし、大した負担にはならない。

「一番安心なのは賢治君なんじゃないかなあ……どう? 賢治君」

 谷崎の目配せに、賢治はきょとんと目を瞬かせた。

「僕は構いませんけど……でも、クリスさんと国木田さんは一緒にいた方がお互い良いんじゃないです?」

 ――とんでもない指摘が、幼げな少年から大胆に発された。

「好きな人とは一緒にいたいものじゃないですか」

 その場にいた誰もが絶句した。

「け、賢治君……!」
「僕も牛達と一緒にいる時間がとても安らぎましたし、今も探偵社の皆さんと一緒にいる時間が楽しいですから」
「う、うん、まあ、そうなんだけどね……!」

 慌てる周囲をよそに、賢治はそののんびりとした調子で「牛舎の匂いが懐かしいです」と満面の笑みを浮かべた。「ボク達も言わないでおいてたのにね」「さすが賢治さんですわ」「これ僕達が言って良いことなんでしょうか?」とこそこそと言い合う谷崎らを横目に、クリスは呆然と立ち尽くす。

「……好、って、まさか、え?」

 賢治の言葉、谷崎らの様子。太宰はともかく、もしかして社員全員がそれを察しているのか。
 鏡花がちらりとこちらを見、納得させるような顔で一つしっかりと頷いた。

「ずっと前から、知ってる」
「……いつからですか」

 聞けば、鏡花は黙り込んだ。即答できないくらい前からなのか。当事者がそれを自覚したのはつい最近なのに、それはどういうことだ。

 ――国木田もあんたも、わかりやすいわ。

 文に言われた言葉が今更思い出される。

 ――お姉さん、国木田のこと好きなんやろ?

 指摘があったから気付いてしまった感情。つまり、初対面の第三者に指摘されるほどにはわかりやすかったということで、ということは。
 じわりじわりと頰に熱が集まってくる。もしかして、国木田にも、ずっと前から。
 クリス自身が気付くより先に。

「わたし、とんでもない馬鹿を一人で演じていたんじゃ……?」
クリス!」
「はいッ……!」

 何かを吹っ切るような怒声が名前を呼んで来る。突然のことにびくりと肩を跳ねさせつつも、クリスはそちらを振り返った。へらへらと満足げに国木田を見遣る太宰を背後に、国木田が苛立ちを露わにした様子で歩み寄ってくる。どうやら太宰に茶化されたようだ。

「帰るぞ!」
「はいッ……はい?」

 聞き返したクリスを完全に無視し、国木田はずかずかと探偵社の出入り口まで歩いた後、くるりと室内へ向き直った。怒りの形相を絶やすことなくビシリと太宰を指差し睨みつける。

「明日からは下らんことを考える間もないくらい仕事をさせてやる! それから今後は包帯代を経費として認めんからな!」

 ――一体何を言われたのだろう。

「それは酷いよ国木田君! 私生きていけない!」
「悔しかったら包帯代分きっちり働け!」

 太宰の悲鳴をバッサリと断ち切り、国木田はそのまま退社してしまった。突然静まり返った社内で、「あーあ」と間延びしたため息が聞こえてくる。

「今度から『チャームポイント代』って申告しようっと」

 包帯はチャームポイントだったのか、などという突っ込みはさて置き、クリスはハッと我に返った。
 国木田を追わなければ。

「すみません、お先に失礼します!」

 言い、頭を下げる。「お疲れ」と谷崎とナオミが手を振ってくれた。それへと軽く手を振り返して、クリスは探偵社を飛び出す。階段を跳び、踊り場に着地、それを数度繰り返して階下へと向かう。
 思った通り、国木田の姿はビルの前にあった。夕日色を被り始めた街と同じく夕日色を被りながら、国木田はこちらを一瞥してくる。眼鏡の奥の目が夕日色に和らぎ、金糸の髪も橙色を反射して輝く。
 幾度も見、追い、見上げてきた人だ。
 驚異的な速さで追いかけてきたクリスに目を見開き、国木田は呆れた顔をした。

「……急がずとも良いことなどわかっていただろう」
「お待たせするわけにもいかなかったので」

 隣に並び、どちらからともなく歩き出す。いつも通りの間合い、いつも通りの二人の距離。こんな日々が、ずっと続けば良い。

「太宰さんに何を言われたんですか?」
「聞くな。……あなたこそ、谷崎達と何を話していた」
「内緒です」

 ふふ、と口元に人差し指を当てる。無論、互いに互いが何を言われていたかなど予想がついている。
 それでも。
 それでも、二人の間にその話題が出てこないのは。
 その一言が交わされないのは。

「今夜のご飯は何ですか?」
「何が良い」
「じゃあ……ニンジン」
「ニンジン……?」
「復讐です」
「まさかとは思うが学ぶ方の”復習”だろうな?」

 夕闇に色付く街の中、会話が続く。それはどこまでも他愛なく、どこまでも世間的で、どこまでも平穏だった。
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