第4幕
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[Act 4, Scene 3]
「いやあ、とにかく良かった」
社所有の車の助手席で太宰が上体を逸らして伸び伸びと言う。白々しいほどに他人事を装う同僚に、国木田は運転席からじとりと視線を向けた。
「何か考えているならあらかじめ言え。勘違いしただろうが」
「私がクリスちゃんを消すって?」
太宰の声は言葉の重さを感じさせないほどに明るい。
「君が来なかったらそうするつもりだったよ。普段の彼女なら気付いていたのだろうけれど」
そう言い、太宰は腰にポンと手を当てる。コートを羽織っていないそこには、社の備品とは違う拳銃が備わっていた。しかし見慣れていないわけではない。
「顎を破壊して三発撃ち込むつもりだった。ポートマフィアが使うのと同じ型の拳銃でね。彼女と探偵社の繋がりを偽装するにもちょうど良い」
「……彼女がポートマフィアから消されたのだと……見せかけるため」
「実際彼女には暗殺命令が出ていた。不自然な話じゃない」
ちらとルームミラーを見遣る。運転席の真後ろに座っているクリスの姿は見えないものの、彼女が羽織っている太宰のコートの端だけがかろうじて映っていた。特に反応がないので、太宰との会話は聞こえていないのだろうと半ば希望を込めて予想する。
泣き疲れたような顔をしていたクリスは国木田に手荒く髪を拭かれた後、後部座席で大人しくしていた。乱歩の指示通りにタオルを積み込んで出てきたので、国木田もクリスもある程度は体が乾いている。とはいえ一度海に落ちたのだ、着替えなければ風邪を引いてしまいかねないし、特にクリスの体調不良は悪化しやすい。発熱していなければ良いのだが。
「格好良かったねえ、国木田君」
からかい混じりの様子で太宰が笑う。
「私より先に海に飛び込むなんて。しかもちゃんと手帳と眼鏡は私に預けて。本体だからかな?」
何だそれは。
「それにあの決めゼリフ。『事実一つが明らかになったところで俺のすべきことは何一つ変わらん』、だっけ。格好つけちゃってえ」
「かか格好つけてなどいない!」
「『俺の目の前では誰も死なせん、死を切望させるようなこともさせん、それが俺の生き方であり理想だ。今までもこれからも変わりはしない』」
「や、やめろ、わざわざ繰り返すな!」
「んもう、照れちゃってるじゃない。いやあできる人は何から何まで違いますなあ!」
「いい加減黙れ!」
ぎゃんぎゃんと言い合っていたら探偵社が見えてきた。このマイペース男と共にいると必要以上に疲れて仕方がない。とはいえ、と国木田は少しだけ思考する。
――太宰から見てもあれは、格好良かったのか。
「ま、薄着の女性にコートを渡していた私の方が何倍も上だけど」
「何も言っていないのに付け足すな」
探偵社の前に車をつける。あらかじめ連絡してあったからか、与謝野がビルの前で待機していた。車を横付けすると同時に駆け寄ってくる。
「太宰、国木田」
「やあ与謝野先生。クリスちゃんは無事ですよ、怪我一つない」
「そうかい」
少し残念だが、と呟く安堵混じりの声が聞こえたが気のせいだろう。太宰と共に車を降り、後部座席のドアを開ける。
「クリス」
着いたぞ、と言うことはできなかった。
タオルを頭から被り大きめのコートを羽織った少女がそこにいた。袖から僅かに覗く両手は脱力し無防備に放られ、傾いた頭が座席へ寄りかかっている。すう、と空気が狭部を通り抜ける微かな音と共に、うっすらと肌色を透かした衿元が柔らかに上下していた。
乾ききらないまま繊細に乱れた亜麻色の髪、微かに紅潮した頰。
美しいまでの、寝顔。
ふと、影を帯びたまつげが震える。ゆっくりと、その下に隠されていた色が現れる。
青。あたたかな日差しを受け、深緑を差し込み緩やかに色味を変える、湖畔の眼差し。
少女が顔を上げる。その色が国木田の姿を捉える。一度瞬きを挟み、彼女は光を透かしたそれを真っ直ぐに向けてくる。
――熱湯の如き高揚。
衝動に似たそれは瞬間的に国木田の全身を駆け上る。
手を伸ばす。久し振りに、その頰に触れる。冷えてはいるものの、やはり柔らかな感触。名を呼ぶ、それに応えて少女が緩やかに――笑む。
これだ。
これが、彼女だ。
この眼差しが、微笑みが、可憐さが、彼女だ。
やっと、会えた。
やっと。
ふと、クリスが両手を広げ身を乗り出してくる。突然のことに国木田は何もできずそれを受け入れる。長らく彼女と共に過ごしてきた中で、それは今まで一度もなかったからだ。
――ぽふ、と彼女は国木田に抱きついてきた。
国木田の首元に腕を回し、クリスは肩口に顔を埋めてくる。吐息が首筋を撫で、接した柔らかな肌から薄い布を通してぬくもりが伝わり、蒸れた体温が甘い香りを伴って鼻先に昇る。
ゾッとするほどの快感に意識が遠のきかけた。
「おやまあ」
太宰か与謝野か、誰かが背後で声を上げた。その後、交わされる笑い声。遠くから聞こえてくるそれをぼんやりと聞きながら、国木田は躊躇いつつその背を撫でた。
――おそらく他の誰にも見えないほどに、彼女の体は小さく震えていた。