幕間 -Note by a Researcher-
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二人きりの部屋は静かだった。いつも宙を泳いでいる白い球体はどこにもない。今日のウィリアムとの話し合いは、一秒では収まらないものだったからだ。
そして今後、あの球体が俺達二人を見守ることもない。
「……死、だと?」
その一言を反芻した俺に、ウィリアムはやはり朗らかな笑顔を向けてくる。
「親しい、唯一の人の死。それが残酷で悲観的であればあるほど、その時の記憶とその人の遺した願いに彼女は囚われる。例えば目の前で死んだり、意図せず殺してしまったり、人の姿を失ったのを見たり……その衝撃が彼女を蝕み、選択を限定させる」
そう言って、ウィリアムは――処分の決まった研究者は、クリスの一番の友人は、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。
「まさか」
察してしまったのは、それがあまりにもできすぎていたからだ。あまりにも適切すぎたからだ。
異能研究、それは施設外への持ち出しを固く禁じられている技術だ。それをこいつは国外へ流出させた疑いで、明日処分されることとなった。この施設での処分は減給だとか懲戒だとか、そんな生易しいものではない。
死だ。
「〈赤き獣〉のことを、ベンも知ってるよね」
ウィリアムが笑っている。
「人の姿を失った化け物のことだ。教会では『神への反逆者』だとか何とかって教えているらしいけど……あれはね、処分された人間なんだよ。規律を乱した研究者とか、言うことを聞かない村人とか、要らなくなった子供とか。それを分解して継ぎ合わせて、人ではない化け物に仕立て上げる。それを殺させることで、子供達に殺しと正義を覚えさせるんだ。人ではないものは殺しても構わないってね」
〈赤き獣〉。それは、偽物の聖書から作り出された偽物の化け物だ。その姿は段階を経て、徐々に本来の人の姿へと近付けられていく。そして、最終的には敵国の軍人や一般人の姿にされる予定だった。そうすることで、子供達――思考する殺戮兵器達は、自分で敵を見定め殺すことができるようになる。
あれもまた、実験だ。殺戮兵器を作り上げるための、桃源郷最大の汚点。
「僕は間違いなく〈赤き獣〉として実験に利用される。ただ殺すよりも有用だからね。僕はこの施設で嫌われているし、ここぞとばかりに最悪な事態を準備されると思う。で、僕はさっき、彼らに『検体ナンバー八八三が実験に成功し異能を発現した』っていう情報を流した」
どうなると思う? とウィリアムは首を傾げて尋ねてくる。答えられるわけがなかった。わかりきっていたからだ。
ウィリアムが考えている未来を。その先にある、絶望を。
「彼らは僕が長らくクリスと仲良くしている様子を見ている。彼らはクリスに僕を殺させるだろう。これで必要な布石は全て敷かれた。後はその時になるのを待つだけだ」
「その時、って……けど、そんなの、クリスが耐え切れるわけがねえ」
呆然と呟く。この友人に懐いていた小さな少女を、その笑顔を思い出す。
この歪な『村』で育った彼女にとってウィリアムは初めての友達だ。兄のように慕い、父のように頼りにしていた。いつも一緒にいて、いつも幸せそうで。
なのに、その幸せ全てがウィリアムの策略の内だったのだ。幸せだけじゃない。夢も、思いも、異能も、絶望も、過去すらも、彼女を今後形作るであろう全てが脚本という名の紛い物。そして彼女は彼女自身の手でウィリアムを殺す。それも、残虐に。
――自らがこの世界に存在してしまったがために。
「そのための手記だ」
ウィリアムが俺の言いたいことを読み取って言葉を繋ぐ。
「さすがに全ての真実を告げるのはあの子には重すぎる。明日クリスが知るのは、自分が異能実験の研究材料だったこと、彼女に殺されたのは僕だったこと。存在がどうのというところは、本来なら彼女が知ることはない」
「本来……」
「クリスが何にも巻き込まれずに世界を転々としてやがてその生活に疲れ切った時、自らの異能と僕との日々を思い出し考えるだろう。そうしたら彼女はとある結論に辿り着き、それを実行する。それだけだ。けど、もし僕と同じかそれ以上の思考ができる誰かが僕の考えていることを先読みしてその上で彼女を利用しようとした場合、彼らは手記を”僕が戦争を望んでいる”証拠と誤認識する。頭の良い奴ほどね。そしてそれを実行させるためにクリスに手記を読ませるだろう。そうして辿り着いた手記は彼女だけにこの真実を伝え、彼女は僕の真意を知り自らを知り、本当の結末を――自分自身の消去を実行する」
これが僕の考え出した脚本さ、とウィリアムは朗らかに言った。
「嵐から始まる、クリスを主人公にした最上の物語だよ」
ウィリアムはひっきりなしに微笑んでいる。これから楽しいことが待っているかのように、その笑みを消すこともない。
それが無性に苛立った。我慢ならなかった。
「――テメエッ!」
ソファから腰を浮かせて、腕一本分の距離を一歩で詰めた。のしかかるように襟首をひっ掴み、ソファの背もたれへ押し付ける。ウィリアムの細い体は抵抗する様子すら見せないままだった。
穏やかな茶色がこちらを見上げてきている。その穏やかさが、癪に触った。
「何様のつもりだよ! クリスを――そんな目に遭わせたら、悲しむなんてもんじゃねえぞ!」
「それが狙いだ」
「うっせえ黙ってろ! 何のために彼女と仲良くなった? 何のために彼女に夢を与えた? それが全部、テメエの妄想のためだって言うのかよ。ふざけんな! 人の人生を何だと思ってやがる!」
怒鳴る。喚く。叫ぶ。
「テメエは神様にでもなったつもりかよ!」
「そうだ」
抗いもせず、ウィリアムは平然と答えた。
「僕は神になるんだ。神にならなきゃ、世界を救えない。そのためなら僕は何だってする、絶望そのものにだってなってみせる」
「救うもクソもあるか!」
「救うんだよ」
ああ、この無駄に耳障りの良い声がこんなにも憎い。この迷いのない真っ直ぐな眼差しが、強い意思が、そしてそれを見て何も言えなくなる俺自身が、悔しい。
「このままじゃ彼女は異能兵器として世界を物理的に破壊する。……救うんだ、僕達で、世界と彼女を。間違った結末から」
僕達で。
――勿論、君はただのお手伝いさ。
この施設に呼ばれて嫌々異動してきた時、ウィリアムに突拍子もないことを提案された時、その時から、こいつはこの結末をわかっていたのだ。
目の前にある見慣れた友人の顔を見つめる。そのどこかに、少しでも良いから見出そうとして、けれどどこにもなかった。
そこにあるのは、ただひたすらに完璧な笑顔だけだ。
「……初めから、クリスに自分を殺させるつもりだったのか。俺に自分じゃどうしようもない点だけを手伝わせて、自分はクリスの唯一になるために彼女との時間を過ごして……」
「初めに言ったでしょう? 君はただのお手伝いだって。君を巻き込むにしても、命だけは巻き込まないって決めていたんだ」
ふわりとウィリアムは笑う。見慣れた笑顔だった。見慣れすぎて吐き気がするほどの。
「だって君は、僕の大切な友人だから」
違う。
そんなことを聞きたいんじゃない。
そんな耳障りの良いことを聞きたかったわけじゃないんだ。