幕間 -Note by a Researcher-
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人一人分の間を空けて、俺とウィリアムはソファに横並びに座った。腕を伸ばせばぎりぎり相手に届くほどのそれは、暴力を振るうことも相手の声を聞き逃すこともない、最適な距離だ。
俺は背もたれに全身を預けながら項垂れていた。俺の横で、ウィリアムはきちりと背を伸ばして座っている。対照的だった。
「彼女が存在しないはずのものであることは、初めからわかっていた」
ウィリアムはあらかじめ準備していたかのようにすらすらと話し出す。
「放置しておけば他の誰かが彼女を見出し、彼女を利用することも。それを避ける一番の方法は、彼女を殺すことだった。けれどそれは不適切だ。なぜなら、彼女の存在は無視できないほどに重要だったから」
「重要?」
「物語における主要人物ってところだよ。彼女がこの世界に生じた瞬間から、この世界は彼女に順応し形を変えている。彼女を殺すだけじゃなくて、その変化すらも元に戻さなくちゃいけない。とはいえ、世界の変化そのものは大したことじゃないんだ」
ウィリアムの言葉は非現実的でわかりにくい。それでも俺は、黙って聞いていた。
「人一人が偶然死んでも、偶然生き延びても、大したことじゃない。世界は変化だらけだし、戦争の結末のような大きな転換点じゃなきゃどんな変化もゴミ屑のようなものだ、あってもなくても誰も気にしないし気にならない」
「ゴミ屑は気になるけどな」
「僕は気にならない」
「あっそ」
で、とウィリアムは俺の突っ込みを気にした風もなく続ける。
「彼女はこの世界にとって非常に大きすぎる存在だったんだ。君の言い方を真似れば”異能の天才”というやつだね。今この世界では異能は武器だ、それの天才となれば利用されないわけがないし、利用されれば世界の大きな転換点turning pointになる。存在しなかったはずの彼女が転換点そのものになるんだ、喜ばしいとは口が裂けても言えない」
「……それで、お前は何を考えた?」
俺の簡潔な問いに、ウィリアムは宙を見つめたまま簡潔に答えた。
「彼女の発生による世界の歪みを正す」
――僕達は世界を変える科学者であり物語を作り上げる創作者だ。僕達ならできる。僕達なら、この世界にいずれ来る間違った結末を変えることができる。
「明確に言い換えるなら、クリスを使ってクリスのいない正しい世界に作り替える。そのための方法はもう考えてあるし、クリスにもその時になったらわかるように伝えてある。あとは適切な時間と場所に駒と状況を配置して、それらが適切な動きをするように仕込むだけだった」
ウィリアムがふと、テーブルの上へと視線を向ける。そこには紙束があった。おそらく俺が来ることを見越したウィリアムが用意したのだろうそれは、文字が並んでいるだけの紙だ。提出用書類ではない。
「流れをざっくり言うと、クリスにここを出てもらって近くの諜報組織へ拾ってもらう。あそこはよく子供を拾って構成員として育てているらしいからね。そこで諜報技術を学んで、あらゆる情報を集められるようになってもらう。情報があれば周囲を先読みし適切な行動が選択できるようになる、情報取得技術は彼女に必須だ。……そして数年後、異能集団にクリスは異動する」
「異能集団?」
「どこか、までは特定できないけど、異能が戦力として証明された現在、異能力者が徒党を組むようになるはずだ。そしてあの諜報組織と組むか組織吸収を目論む輩が必ず出てくる。あの諜報組織は老舗だからね、手を出す価値はある」
いつの間に施設の外について調べていたのか、ウィリアムの話には淀みがない。
「そこで彼女に異能の使い方を覚えさせる。クリスを一度施設の外へ出す理由の一つはそれだ。ここでは正しい異能の制御方法が学べない。彼女の不完全ながらも強力な異能を見れば、使いこなせるよう指導するはずだ。天候操作の異能は原因と結果がわかりやすいから様々なことがしやすいはず、指導もしやすいだろうし習得も容易だと思う。クリスは攻撃防御両方に突出した異能力者として危機を自力で回避できるようになる」
――対価の異能を空気圧操作の異能に変えた。その方がいろいろと都合が良い。対価の異能は身を守るには不適切だし、子供が使うにはどんなに頭が良いとしても危険すぎる。
「ただ、それだけじゃ彼女がその組織や他の集団に利用される可能性がある。クリスには誰の手にも渡らず、孤立してもらわなきゃならない。時が来るまでは、死ぬのも捕まるのも駄目だ。そこで、一つ方法を考えた」
一つ、とウィリアムは人差し指を立てる。
「――絶対に叶えなければならない、叶わない夢を与えること」
夢。
「……って、まさか」
「彼女に演劇のことを教えた、そして僕がそれを望んでいることを伝えた。僕が彼女の中で絶対的になれば、彼女は僕だけに縋り僕のために行動する」
ぽす、とソファの背もたれに寄りかかり、ウィリアムは「ねえ」と気負いなく俺に尋ねてきた。
「人が一番囚われるものって、何だと思う?」
そんなもの、わかりきっている。俺達が書く物語の多くはそれを軸にしているからだ。
「……強い願い」
「その通り」
生徒が望み通りの解答をした時の教師のようにウィリアムは満足げに微笑んだ。
「けど彼女はまだ子供だ、洗脳の甲斐あって強い意志もない、自我もない。そんな柔らかい脳に、決して抗えない絶対的な命令を植え付ける方法がある」
「一般に人間の脳は痛みと同時に得た経験を強く認識する。トラウマのフラッシュバックがそれだ。……虐待でもするのかよ」
「まさか。相手を抑圧する方法は自我が芽生えた後に乗り越えられてしまう可能性がある。もっと確実で根深い、対象が優しくて思いやりがあって苦しみも悲しみもまだ知らないのなら、永遠に心に残って消えない方法だ」
ウィリアムはその笑みを絶やすことなく、その一言を告げた。
「死だよ」