第2幕
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その後、クリスは資料室へ向かい資料を漁った。ポートマフィアが手を貸している企業のリスト、今現在ポートマフィアと組んでいる傘下のリスト。そういった、直接はポートマフィアを引っ掻くことすらできないであろうちっぽけなデータも表社会では大きな価値となり資金に変わる。
さすがに異能力者リストまでは手に入らなかったが、似たような情報は手に入った。任務記録だ。これを見れば誰がどのように任務を遂行したかがわかる。そこから異能力を導き出すことは容易ではないが不可能ではない。少しは対ポートマフィアが楽になるはずだ。
粗方資料を入手した頃には潜入からかなり時間が経っていた。そろそろ抜け出さないと脱出が困難になる。
潜入時と同じく監視カメラと人の気配に警戒しつつ、クリスは廊下を駆けた。
全て順調に進んでいた。
――前方の角から、嫌にのんびりとした足音の持ち主が近付いて来ていたことに気付いてさえいれば。
突然角から現れた人影に、クリスは銃口を向けた。と同時に、こちらの額にも銃口が向けられる。
鏡写しのように対峙した両者は、互いの正体に瞠目した。
「あれ、クリスちゃん?」
「なぜ……」
ポートマフィア本拠地内、その一角――クリスに銃口を向けて、目を見開いたのは。
「……太宰、さん」
探偵社にいるはずの、太宰治だった。
驚愕し硬直していた両者に動きが現れたのは、すぐだった。
「……ッ!」
クリスが耳元のイヤホンに手を当てる。そこにあるボタンを押せば、通信機に声を送り込むことができた。
「『緊急事態発生』」
太宰に拳銃を向けたまま、クリスが声音を変えてマイクに話しかける。クリスがしようとしていることに勘付き、太宰は瞳に険を宿した。
「『元幹部太宰治を二階にて発見。至急救援を要請。繰り返す。緊急事態発生。元幹部太宰治を二階にて発見。至急救援を要請』」
険を帯びた太宰の眼差しを受け止めながら、イヤホンのボタンから手を離す。銃を下すことなく、太宰が口を開いた。
「……知ってたの?」
「あなたの元部下に尋ねたら、あっさりと教えてもらえました」
「ああそう……相変わらずだな」
太宰が低く呟く。なるほどこれか、とクリスは太宰を睨みつけた。
銃を揺るぎなく手にし、部下を平然と罵る。これが本当の太宰治か。芥川があれほどにも苦しげな表情をして太宰を語っていたのにも頷ける。
今の彼の目は、国木田をからかう男のものではない。殺しをも厭わない闇色だ。闇の全てを知り、全てを行い、全てを統べる者。
仮に組織の長となったのなら、地上に存在する全てを掌握するのだろう――そう思わせてくる、絶対的な威圧。
「で? どうするの? 私をポートマフィアに捕まえさせて」
「これは条件の一つに過ぎません」
クリスがイヤホンを指差しながら放った発言に、太宰は眉を寄せる。
「条件?」
「ええ。――取引をしましょう、太宰さん」
太宰とこの場で邂逅したのは予定外だ。しかし、ならば。
「わたしの条件を呑んでいただけるのなら、わたしはあなたの脱出を手伝います」
これをも好機にし、己の手駒の一つにすれば良い。
「条件は二つ。一つ、わたしをこの場から無事に脱出させること。一つ、わたしがこの場にいたこと、この場でしたこと、全てを口外しないこと。呑んでいただけなければ、わたしはあなたをポートマフィアに差し出し、かつあなたの過去を武装探偵社および世間に公表します」
「……なるほど、つまりこうか」
太宰が銃口を僅かに動かした、その瞬間。
「ぐあッ!」
小気味良い銃声と共にクリスの背後で男が倒れる。太宰の銃が撃ち抜いたのだ。
「理解が早くて助かります」
クリスもまた、太宰の背後の男を撃ち抜く。
「呑んでいただけますね?」
「この状態でイイエとは言えないねえ。もっとさりげなく帰るつもりだったのだけれど」
太宰が目を細める。悪戯っぽさすら感じるその視線に、クリスは一つ頷く。そして合図もなく、二人は走り出した。言い合わせずともわかる。目指すは外だ。
背後から騒がしい声が聞こえてくる。狭いビルの中で囲まれては厄介だ。
残りの弾数と敵の位置を確認、数発撃つと同時にポーチから予備弾倉を取り出す。弾倉を入れ替えるや否やスライドを引き、すぐさま撃ち込んでいく。
「クリスちゃん」
先を警戒する太宰の手招きに頷き、背後の敵を発砲音で威嚇しつつ入り組んだ廊下を駆ける。
「あ、やっぱりこっち」
案内される通りに進もうとしたクリスの腕を、太宰は突然ぐいっと引っ張る。彼の思いつきで選ばれた方向には、外へ繋がる道はないはずだった。どこへ行こうとしているのか。
驚くクリスを連れて太宰が目指した場所は。
「クリスちゃん、早く!」
「男子トイレ……」
太宰が扉を開けて手招きしてくる。しかし太宰がこの状況でクリスを裏切るとは思えない。中に入ると、太宰はすでに奥の窓を全開にしていた。
「こっちこっち」
「大丈夫なんですよね?」
「大丈夫に決まっているとも。私がよく使っていた秘密の道だ。いやあ、懐かしいねえ」
「……なるほど」
つまりポートマフィア時代のサボりルートの一つということか。太宰はどこにいても根本的なところは同じだったらしい。
とにかく今は信じるしかない。駄目だったのなら太宰を撃ち殺して一人で何とかするだけだ。
「はッ……!」
太宰を追い、クリスもまた男子トイレの窓から飛び降りた。
***
ポートマフィア本拠地からの脱出は上手くいった。静かに出て行くことができなかったのが残念だが、成果は十分だ。合格点だろう。
ビルから少し離れた路地裏で、クリスと太宰は身を潜めながらポートマフィアの様子を窺っていた。すぐに街に戻るのは賢い選択とは思えない。ほとぼりが冷めてから動くのが良いだろうということは話さずとも互いにわかっていた。
その間、塀に寄り掛かりながら太宰は手元の銃を眺め、その向かいでクリスは一人考え込んでいる。
今後のことを綿密に計画する必要があった。ギルドが敦を――〈本〉の手がかりを手に入れようとしている。それを、クリスの存在を伏せたまま防がなくてはいけない。探偵社にそのことを話すか。否、それでは探偵社にクリスの詳細を話さずにはいられなくなる。元ギルド構成員であることを、異能者であることを、もしくはそれより昔の話を言わなくてはいけなくなる。
それは不都合だ。
考え込むクリスの思考を遮るように、カシャン、と太宰が拳銃のスライドを引く。
「さて、話の続きだけれど」
そのままクリスへと銃口を向ける。クリスは黙って太宰を見返した。
「話なんてしてましたか?」
「しようとしていた、というのが正しいかな。――君はなぜポートマフィアにいた?」
単刀直入な問いだ。
「……あなたに何の関係が?」
「何、ちょっとした興味さ」
太宰がクリスを見据える。その笑みは、暗く、深く、鋭い。
「初めて会った時から不思議だったのだよ」
一歩、太宰が歩み寄る。
「私の靴にはいつの間にか発信機が仕掛けられていた。それができたのは君だけだ。そしてその後、異能者と見られる誰かが、私達の後を追い、私達の様子を探っていた」
また一歩。
「あの時、私の携帯電話を間違って持ち帰ったらしいけれど……それは嘘だろう。君は、私達が武装探偵社の社員だということを知り、わざと私の携帯電話を盗んだ」
また一歩。
「そしてあの誘拐事件。君はその事件が探偵社に依頼されることを知っていた。つまり、君は探偵社について詳しく調べてあった……川辺で出会った頃は何も知らなそうだったのにね。つまり――君は私達に出会ってから探偵社のことを詳細に調べ上げている」
また一歩、太宰が歩み寄る。銃口とクリスの額の間は拳一つ分も空いていない。追い詰められたのだ。
しかしクリスは毅然としたまま太宰を見つめる。
「ともあれ君は首尾よく探偵社と仲良くなった。それは君の人の良さもあるかもしれない。けれど、私にはそれ以外に何かあるような気がしていてね。……君の事を少し調べさせてもらった」
「何か、わかりましたか」
黙り続けていたクリスが口を開く。いいや、と太宰は口の端をつりあげた。
「何も出てこなかった。まるで私自身のようだったよ。人為的に、全てが消されていたのだから。まるで元々存在していなかったかのように。……答えてくれるかい? 君は何者なのか、何が目的で探偵社に近付いたのか、そして――君の後ろに誰かいるのか」
ふ、と笑みを漏らしてしまったのは仕方がないことだ。その問いはあまりにも典型的だ、つまり太宰はクリスに関して何も確証を得ていない。
まだ、こちらの方が優勢だ。
銃を突きつけられた先で笑むクリスに、太宰は眉を寄せる。いえ、と微笑みを浮かべたままクリスは太宰の目を見返した。
「乱歩さんと同じ事を言うものだから」
「……乱歩さんと話をしたのか」
銃を下ろした太宰に穏やかに微笑む。ここは嘘を織り交ぜつつ話すこととしよう。太宰にはクリスが異能者であることを知られるのは避けたかった。彼はまだ、確信していないのだ。ならばこれ以上手の内を見せるのは危険というもの。
現に今、太宰は銃を向けてきているというのに体には触れていない。クリスが異能力を発動できるようにしているのだ、その程度の罠など回避できる。
「以前は少々嘘をお伝えしました、すみません。……わたしは元こちら側の人間です。過去にいろいろあってある組織に追いかけられているので、あらゆる場所から情報を集めて身を守っています」
「いろいろ?」
「お察しの通り、諜報とかやってたので。自分の過去は自分で消しました。わたしを追っている組織がヨコハマにいる虎の異能力者を探していると知って、詳細を知りに今回ポートマフィアに潜入したんです」
まさか、と太宰が呟く。
「その組織って、ギルドか……!」
「知っていたんですね」
「うん、さっきね……ちょっと調べ物をしたのだよ」
なるほど、と太宰を窺い見る。
今回太宰がポートマフィアにいたのもそれを探るためだったということか。しかし、ギルドもそうだが、この手の組織は裏切り者に対して容赦がない。それは元幹部となれば尚更だろう。下手をすれば殺されかねない古巣に入り込んでまで調べるほど、敦は大切なのだろうか。芥川の様子を見た限り、部下思いだとは思えないのだが。
まさか、と太宰を睨む。
――〈本〉の存在、そして〈本〉と敦の関係も知っているということか。
しかし話を振るわけにはいかなかった。異能者であることを隠している以上、深い話はできない。太宰にこれ以上探りを入れられたくはない。
話を切るべく、クリスはからりと口調を明るくする。
「というわけで。太宰さんの質問に答えるなら、元諜報員のわたしはギルドから追われていて、ギルドから逃れるために探偵社と仲良くしていて、わたしの後ろには誰もいないということになりますね」
「では君と初めて会ったあの日、私達を襲った異能者は?」
「その件については初耳ですね。わたしが売った情報を元に、あなた方を狙った輩でしょうか」
大袈裟に肩を竦めて見せれば、太宰は不服そうに顔をしかめた。
「……今の話が正しいという証拠は」
「ありません」
「だよねえ」
うーん、と思考しつつ、太宰はちらりとクリスを一瞥した。いかにしてクリスを確実に危険要素にしないかを考えているのだろう。考えているフリかもしれないが。
この状況で一番楽なのは仲間に引きずり込むことだ。しかしクリスの話を丸々信じた場合に限る。手間がかかるが確実なのは、見張りをつけること。無論太宰はやりたくないだろうから候補としては弱い。しかしだからといって野放しにするのは不安が残る。
ここで現れるのは、第四の案だ。
そしてそれは、クリスにとっても悪い案ではない。
「太宰さん、一つ提案があります」
うーん、とわざとらしく悩む太宰に、クリスは人差し指を立てる。
「何?」
「探偵社の社長さんとお話させてください」
おやまあ、と呟く太宰を見据える。これで太宰との腹の探り合いがなくなるのなら不利益はない。太宰はクリスが異能者であることの確証を得ていないのだ、このまま押し切れば異能者ではないと思い込ませることができるかもしれない。
何より重要なのは、クリスが一般人として劇場の舞台に立ち続けること。太宰に身の上を疑われたままでは身動きが取りにくい。
「それは……うちの社長には、全てを話してくれるってことかい?」
「そう受け取っていただいて構いません」
おそらく乱歩は彼らの社長に、クリスが異能者であることを伝えている。ならばそれを利用する方が良いだろう。乱歩に見通されたのはミスだったが、一度犯した間違いを間違いのまま放置するのは非効率的だ。それに、この街を離れず身を隠す必要もなく、この身が守れる方法でもある。損ではないはずだ。
「どうでしょうか」
腹の底を探るような目でこちらを見た太宰に、クリスは優しく笑みを浮かべた。