幕間 -Note by a Researcher-
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俺がクリスと会ってから、また長い時間が経過した。二回か三回か、彼女の誕生日祝いをした気がする。三人で芝生の上で空を見上げたり、クリスを間に挟んでベンチで演劇の話をしたり、その一方で通常通り子供を使った実験を進めて、その影でウィリアムに頼まれた仕事をして――とにかくいろんなことをした。
そんな中で、いつもの一秒間が今日も訪れた。
「完成した」
言い、俺はソファに座りながらウィリアムへ小型のノートを差し出した。茶色い革製カバーで表紙を隠したそれは手のひらより大きいほどの大きさで、俺が長らくにらめっこしていた代物だ。
「お望みの手記だ。チップへの変換は一回しかできないからまだやるなよ」
隣に座ってマグカップを抱えていたウィリアムは、きょとんと目を瞬かせてから、ようやく事態を把握したかのように「本当?」と声を上げた。その反応に俺は満足して、素直に「おうよ」とそれを渡す。
「『チップから手記への再定義』で解錠されてノートの形に戻る。他の異能を使ったり手記以外に再定義しようとすると”錠”の異能そのものが消えて一生ノートの形にならなくなる」
「最高だよベン。本当にできたんだね」
パラパラと中身を見つつウィリアムは歓喜の声を上げた。
「もう少し時間がかかるかと思ってた」
「ふふん、俺を誰だと思ってんだよ」
「ベン・ジョンソン」
「……いや、そうなんだけどさ」
俺の期待をことごとく裏切り、ウィリアムはプレゼントを貰った子供のようにノートを眺め回しては頷いた。これほど喜ぶとは思わなかった俺は、何だかくすぐったくなって頰を掻く。
「最高、助かるよ」
ウィリアムはとびきりの笑顔でそう言った。
「これで次の段階に進める」
「次の段階?」
「抵抗性についても解決したよ」
俺の聞きたいこととは違うことを言い、ウィリアムはノートをテーブルの上へ置いた。うきうきとした様子でマグカップを両手で持って膝を抱える。
「君はお伽噺だって言ったけどね、あながちそういうわけでもなかった。思考と異能制御領域の信号伝達の相違による異常反応だよ。要は異能から生物的思考猶予を奪えば良い。所持者の思考領域と異能の制御領域、二つの脳の領域間で信号が直接行き来するように脳細胞を配置し異能制御領域の働きを限定する。そうすれば所持者の思考した通りにのみ、異能は発動する。生卵の仮定が良いヒントになったよ」
「そっちのことは良くわかんねえけど……良かったな?」
本当に良いことなのは理解していないが、ウィリアムが喜んでいるからおそらく良いことなのだろう。そう思って、声をかけた。
「うん」
けれど――ウィリアムは、静かに微笑んだ。
「……とうとう、この段階まで来てしまったけれどもね」
それは感慨深くなっているようでいて、その実、何かを覚悟しているようでもあった。何をかはわからない。こいつは、重要な点をまだ口にしていない。
――何のためにここまでしたか、だ。
クリスという”異能の天才”と出会い、その力を国に渡さないために何かを計画していることはわかっている。その計画の一部として、ウィリアムは天候操作の異能を発現させた彼女に自身の異能【マクベス】を二つ目の異能として与えようとしている。そして手記という形で研究記録を取り、異能技術を用いて特定の条件下でのみその記述を読めるようにした。
二つ目の異能の付与、そして研究記録の封印。それらをする理由がわからない。
「そういえば、ベンは新作書けた?」
ふとウィリアムが上機嫌なまま俺へ話しかけてきた。一旦思考を止め、俺は唐突に始まった会話に集中する。こいつとの会話は何かをしながらでは成立しないほど煩雑で無秩序だ。
「新作、って……」
「競争してたじゃない。どっちが先に作品を書き上げられるか。クリスに意地張って『俺の方が筆が早い』って言い張ったのベンだからね?」
忘れてた。そういえば、そんな話をした気がする。今更それを思い出した俺はというと、勿論全く新作なんて書けているわけがない。
「言い出しっぺはベンだよ?」
「いやいや待て待て、お前最近よく俺に仕事押し付けてきてるくせにそういうこと言うのかよ?」
「一人当たりの時間は有限かつ平等だ、違うのはそれの消費の仕方だけ。時間の使い方の問題だよ、ベン。君に任せた仕事は確かにあるけど、君が昼寝している間に僕は自分にしかできない仕事を進めてる。まるで僕が悪いみたいな言い方をされると、さすがの僕も聞き流せないな」
「わかったわかった悪うございました!」
雑に謝れば、不機嫌そうだったウィリアムも「良し」とにこりと笑った。単純でわかりやすく、一度謝れば許してくれる、それがこいつだ。物事を適当にこなす俺とは相性が良い。
「実はもう、昨日見せたんだよね」
「クリスに?」
「そうそう。彼女、一回読むだけでだいたいを覚えてしまうから凄いよ。僕の今まで書いてきた作品も覚えてくれてさ。ああ、そういえばクリスの歌を聞いたことある? ベンも一度は聞かないと損だよ。彼女はまさに天才的だね、生まれる場所が違っていたら素晴らしい舞台役者になっていたと思うよ」
ウィリアムはにこにこと楽しげにクリスの話をする。それがまるで親バカのようで、たまに俺がそのことでウィリアムをいじると途端にむくれるのだった。それでもこいつはクリスの話をやめない。
クリスとだいぶ仲良くなってきた俺達は、よく三人で時間を過ごすようになった。たまに俺だけが研究関係で部屋にこもったりもしたが、ウィリアムだけは毎日のようにクリスへ会いに行っていた。俺がいないうちに随分と自分の作品を彼女へ教えたらしい。
「最新作はね、『あらし』ってタイトルにしようと思ってるんだ」
「テンペスト?」
「嵐から始まるからね。今度は喜劇だよ。最後はちゃんと大団円さ」
ウィリアムは楽しげに笑った。
ウィリアムの劇作家としての才能は非常に高かった。悲劇だって喜劇だって史劇だって書けるし、少しばかり理屈っぽい文体だが言葉選びに華がある。異能と戦争がなければ、その道で食っていけただろうほどだ。実際、その選択もあったはずだった。
けれどウィリアムはこの場所を選んだ。そうせざるを得なかったのかもしれない。いくら友人とはいえ、ウィリアムの決断の理由の全ては把握し切れていない。
けれど、と思う。
――ウィリアムが書いた作品を、クリスが上演する。
何かが違っていたのなら、そんな世界もどこかにあったのかもしれない。