幕間 -Note by a Researcher-
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ウィリアムがクリスという子供のところへ遊びに行くようになってから数ヶ月が経った。日数が曖昧なのは、その期間中何度か徹夜していたからだ。普段の研究のせいもあるけれど、正直なところそれは大したことはない。一番の問題は、ウィリアムだった。
「順調だ」
時間の伸ばされた部屋の中で、俺はふよふよと飛ぶ球体を尻目にソファへ横になる。背もたれが邪魔だし足がはみ出るので寝にくいが、そんなことは気にしない。とにかく横になりたかった。けれどベッドだとあっという間に眠りこけてしまいそうだから、それでソファだ。
「順調だウィリアム。手記も順調、封印の方もどうにか型はできた。後は実際の"鍵"のサンプルが必要だ、動作確認をしたい。お前の異能を貸せ。あと、中間報告書もあと少しで完成だ」
へろ、と重い腕を持ち上げて机の上の紙を指差す。腕と同じくらい瞼が重い。ものすごく眠い。前回の徹夜から回復しきっていなかったのに、また徹夜してしまった。このままでは死んでしまう。
「ああ、そんな提出物があったんだ。知らなかった」
ソファの横に立ったウィリアムは大したことのないように言い、湯気の立つカップを両手で包むように持ちながらテーブルの上を覗き込む。ソファを俺が占領しているから座れないのだ。ちょっとした意地悪だったのだが、案の定こいつは一切気にしていない。
「じゃあ次の頼み事をしよう」
「いやいやいや待て待て、今日は寝る。俺は寝る。寝るからな」
「前に話したことだけど」
「人の話を聞けよ」
「少し、考えてみたんだ」
言い、奴はカップをテーブルの上に置く。珍しく資料を手に取るのかと思ったが、そんなことは勿論ない。
「よいしょ」
ぐい、とソファを陣取っていた俺の両足を掴む。そのままズルリとソファから引きずり落とした。抵抗なんてできるわけもなく、俺の下半身は呆気なく床に落ちる。ドスン、というのは膝を床にぶつけた音だ。
「何すんだよ!」
俺の抗議を全く聞かず、ウィリアムは空いた空間にちょこんと座る。カップを再び両手で持ち、ずず、と白湯を啜り、ほう、とため息に似た息を漏らした。ボケたジジイのような能天気さだ。
「君の異能は、異なる二つ以上の異能を融合させ新たな異能を作り出すものだ。その融合結果はおおよそ特異点の計算結果と等しくなる。違うのは異能のエネルギー量だ、特異点は異能効果範囲が無限大に増幅するけど、君の融合の異能で作り出す異能は君の異能指数に依る……その違いはつまり、”発生した第三の異能を個人が制御できるかどうか”だ。そこで一つ、仮定してみた」
テーブルの上の一点を見つめながら、ウィリアムは人差し指を軽く立てる。
「”制御できる特異点が作れるとしたら”ってね」
「……それってつまり俺の融合の異能のことなんじゃねえの?」
俺は諦めてソファに座り直す。俺の不満げな声も視線も全て無視して、ウィリアムは目を閉じた。
「効果範囲を個体値に関わらず爆発的に広げる、ということさ。例えば、地球全体を瞬時に覆うような」
「待て待て。人間一人が持つ異能指数も、存在する異能の効果範囲も、ある程度は上限がある。何と何を融合したってそこまで巨大な力の異能は作り出せねえし、それほどの特異点なら人の手で扱えるもんじゃない。消すこともできないはずだ。それを打ち消すくらい大きなエネルギーの異能、つまり同等の特異点で掻き消すことしかできねえ。地球全体を覆うほどの異能だあ? そんなの暴走と対して変わらねえよ、制御不能だ」
「そうなんだよ。まさにその通り。制御可能な特異点なんて無理があるんだよね」
ウィリアムはそう言って「困ったねえ」と大きくため息をついた。困っているのはこっちだ、と内心突っ込む。話が全くわからない。こいつは何を言いたいのだろうか。
「でも、一つ面白い仮説が立った」
「仮説?」
「そう。生卵の仮説だ」
「……は?」
思わず聞き返した。生卵。それは今話していたことと何か繋がっていただろうか。今話していたのは異能の話、特異点の話だ。卵の話じゃない。
呆気に取られる俺をやはり無視して、ウィリアムは白湯を啜る。
「生卵の殻を割ると、主に黄身と白身が出てくる。黄身は黄色で、白身は透明だ。二つは別々に存在していて、僕達はそれぞれを視認できる」
「……はあ」
「じゃあ黄身を菜箸で潰し、白身と混ぜたら? 最終的に生卵は白っぽい黄色一色の液体になる。溶き卵という一つの物質になる」
「……はあ」
「それが君の異能だ。二つ以上の性質の異なる異能を混ぜ合わせて、二つの性質を合わせ持つ異能を作り出す。つまり君の異能は溶き卵を作り出すものだ」
「……はあ」
全く話が見えてこない。生卵。それってこの有限の一秒間の中で話さなくてはならないことなのだろうか。
「じゃあ一つ想像してみよう」
また人差し指を立てて、ウィリアムはテーブルの上の一点を見つめ続けている。
「卵の殻を割る、中から黄身と白身が出てくる。黄身の真ん中を縦断するように箸で挟み、摘み切る。そこでストップだ」
俺の頭の中では、真っ二つに裂かれた黄身が白身の中でどろりと形を失おうとしていた。破られた柔らかな膜の中から黄身がゆっくりと広がり出て、球体だったそれを二つに分かつように白身が侵入している。
「黄身は割れて形を失った。けど僕達はまだ、黄身を識別できる」
ああ、そうだ。白身と黄身にはまだ境目がある。濁った白っぽい溶き卵には、まだなっていない。
「けれどそれはもう黄身と白身ではない、溶き卵だ。なぜなら黄身と白身の境にあった膜を壊しているから。けれど溶き卵でもない、なぜならまだ二つの異なるものをそれぞれ認識できているから」
混ぜ合わされていない、一つの物質。
――融合しきっていない、一つの異能。
「それぞれの異能の一部分だけを融合させるんだ」
ウィリアムはどこかを見つめ続けている。その眼差しは無のようでいて、新しいことを学んだ子供のように眩しい。
新発見をした研究者のように、瞬きを忘れたまま、角膜に影を落とすことなく、光を宿し続けている。
「二つの異能を一つの性質にする。一人の人間に、二つの異能の自然的実現性を保持した一つの異能を発現させる」
黄身と白身をそれぞれ保持した、半端な溶き卵を作る。
「パラメータの異なる二つの異能は、それぞれ所持者たる人間の異能指数に依って異能威力を決定する。融合の異能力者のじゃなくてね。彼女の異能指数なら、再定義の異能と天候操作の異能の両方において最大威力を発揮することができるだろう」
つまり。
つまり、それは。
「……天候操作の異能も、再定義の異能も、不足なく発動できる……」
――二つ以上の異能を所持する個体を、作り出せる。
「これが可能なら良い意味で計画変更だ」
心底楽しげな様子でウィリアムは笑った。
「部分融合によって再定義の異能と天候操作の異能の両方を過不足なく扱える個体が作れる。良いことだ。加えて、”融合段階では”特異点は発生しない。あと考えるべきは抵抗性、つまり暴走の有無だね。それ自体は理論も固まってきているし、難しいことじゃない。良いことだ」
わけのわからないことを言い、ウィリアムはうきうきとした様子で上体を左右に揺らす。良いことだ、と何度か繰り返しているその様子は誰がどう見たって上機嫌だ。対して俺は途中からさっぱりわけがわからない。けど、自分がやるべきことはなんとなくわかった。
「部分、融合……」
そんなことを試したことはない。思いついたこともない。それがどうにも、俺の探究心をくすぐってくる。
異能の使い方は一通りではない。例えば雷を操る異能ならば、稲妻を任意に発生させるだけではなくそれを電線沿いに走らせて広範囲に攻撃することもできるだろうし、雷を電気の一種だとすれば人間の心臓に作用することだってできるはずだ。要は発想次第なのだ、異能というものの扱い方は。
「……融合ってのは溶き卵よりも厄介だ。卵には粘性があるが異能にはない。水に絵の具を一滴落とすようなもんだ、あっという間に混合しちまう」
「けど絵の具だって初めは靄のように水中を漂っている。その時僕達は水と絵の具を別々に認識できている。その状態を維持できる程度を、君が見つけ出せれば良い話だ」
「簡単に言いやがって」
「とか言って、その顔は何となく目星がついているんでしょ?」
ウィリアムはニヤニヤとこちらを指差してくる。うるせえ、とその指をはたき落としてやった。
「俺を何だと思ってやがる」
「ベン・ジョンソン。特異点研究の専門家、異能融合の能力者、そして」
奴はそのにやけ顔を満面の笑みに変えて、言う。
「――僕の友達だ」