幕間 -Note by a Researcher-
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ウィリアムは外によく出るようになった。その行き先はいつだって施設の中庭だ。渡り廊下の上から、俺はいつもその様子を見守っている。ウィリアムはいつもベンチに座って、一人の少女と話をしていた。それが例の実験体であることはすぐにわかった。ウィリアムがそれ以外の子供と話しているところを見たことがなかったからだ。
――彼女の名前?
彼女と友達になる、と言われたあの日、早速どこかに行こうとしたウィリアムに俺は尋ねた。するとウィリアムは不思議そうな顔をして何度か瞬きをして、それから困ったように視線を逸らして顎に手を当てた。
――そっか、友達なら名前で呼ぶべきだね。検体ナンバーで呼んだら仲良くなれないか。
俺が言いたかったのは”その少女の名前を教えてくれ”ということだったのだが、ウィリアムにとって意外な発見だったらしい。じゃあ、と奴は楽しげに人差し指を振りながら背中を向けた。
――クリスって呼ぼう。彼女の母親はそう呼んでたよ。
あいつの楽しそうな姿は、久し振りに見た気がする。研究者としての探求心から来る喜びに似た、けれどもっと幼稚な、子供の頃から人が有している歓喜。
「……クリス、か」
遠くから眺めた中庭で、少女は怯えたように身を竦めながらウィリアムの横に座っていた。腰まである亜麻色の髪に、青の目。何の変哲もない、普通の子供だ。必死にウィリアムの問いに真摯に答えようとしている、その強ばった細い肩を見つめる。
この施設の、この”村”の仕組みについては既に知っている。大人は「父」と「母」と「先生」に区分され、「兄弟達」と呼ばれる子供達は何人もの父母の元で育てられる。施設は「教会」として機能していて、村人達はこの建物を中心に日々を過ごす。子供達は実験体として研究者――「先生」の手で異能に関する実験を受ける。記憶は改竄され、「教会」の教育の甲斐もあって彼らは自分達が不自然であることに気がつかない。
子供達は実験体として、最大級の幸福を与えられる。それは彼らに疑念を抱かせないためであり、そして彼らが異能を発現しないようにするためでもある。
異能の発現の契機に関しては未だ不明な点が多い。が、何らかの衝撃的な心境変化が関わっているという仮定が一般的だった。ならばそれがなければ異能が自然発現する可能性は低くなる。そうした環境による抑制の他、彼らは〈儀式〉と呼ばれる処置によって脳を改良されていた。だから彼らが自らの異能を自らのタイミングで発現することはない。だから俺達は、彼らを使って研究を進めることができる。
ここは村ではない、兵器を育成する軍事施設だ。子供達は今後、強力な戦闘系異能を発現させられ、一般人に紛れて敵の懐に忍び込み、そして祖国に楯突く敵国の人間を残らず潰すように教え込まれる。
これが異能兵器。
殻とは異なる、人の姿をした思考する破壊道具。
していることは立派な人体実験、非人道的行為だ。けれど彼らはそれを目的に作られた実験用動物、いわばマウスと変わりない。それを名目にした命が利益を生むのなら、その行いは生産的であり非難されるものではない。
そういうものだ。そうして科学は進む。世界は回る。拒むつもりはない。ただ、相手が人間なばかりに少しだけ心が痛むだけだ。
――君はつくづく、この研究分野に向いていない気がするよ。
いつか言われた言葉を思い出す。そうかもしれない、と目を閉じる。
――だって、ベンは優しすぎるもの。
優しいんじゃない、踏ん切りがつかないだけだ。サンプルをサンプルとして見ることができない臆病さがあるからだ。でも、異能を研究するのは楽しい。知らないことを知るのは楽しい。それは確かだ、だから俺はここにいる。
「……お前はどうなんだよ」
ベンチに座って少女と語り合う笑顔を見つめる。その奥にあるであろう本心を探る。
――楽しくて仕方がないよ。
そう言って奴は膝に顔を埋めていた。あれが、初めて見たウィリアムの感情だったのかもしれない。寂しさを堪える子供のようなその姿で、あいつは笑っていた。その矛盾する二つの感情が同時にそこにあって、結局俺はあいつに何も言えなかった。
「なあ」
ガラスに手をつく。ウィリアムへと伸ばした指が、透明なそれに遮られる。指の先であいつは笑っていて、それを向けられた少女も笑っていて。
穏やかな時間がそこにある。実験者と実験体が偽りの桃源郷で紡ぐ、表面上の平穏。
どうかその時間がいつまでも続いてくれ、と願ってしまうのは、優しさの皮を被った弱さだろうか。