幕間 -Note by a Researcher-
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ふよ、と白いボールが浮いている部屋で、俺達はいつものようにソファへと身を沈めた。ふわりと白い湯気が上空へと漂う。
「戦争の終わりは科学進歩の始まりだ」
カップを置いて、ウィリアムはソファの上で膝を抱える。銀色の髪に顔が埋もれる。
「これから世界は異能を当然のものとして扱うようになる。国の中枢に異能を管理する部署が常設されて、軍には異能者による部隊が編成されて、街の異能力者は彼らに管理される。裏社会では強力な異能を持つ人間が頂点に立って、異能のやり取りで抗争を繰り広げる」
「兵器と同じだな。戦争で一番活躍した物の所持事情が戦後の世界の序列を決める。最先端の技術でそれを開発した戦勝国がしばらく世界を引っ張っていくんだろう」
俺は珈琲を入れたカップをテーブルの上に置いた。熱さの変わらない珈琲というのも悪くない。熱すぎると空間生成の異能の効果が切れるまで飲めないという罰ゲームを味わうことになるわけだが、最近は温度調整も上手くなって、異能が切れる前に飲みきれるようになってきた。
「僕達の研究も方針が変わるはずだ。戦争のためではなく、外交のために、僕達は研究をする」
「研究自体は禁止にはならないんだな」
「技術革新は他国への牽制だ、振りかざしていれば他国は何もしてこない。外交っていうのは常に戦争をしているようなものだよ。――で、本題だ」
ウィリアムはカップを掴んで一口すすった。透明な白湯へ奴は口を浸して、小さく喉を鳴らしてそれを飲む。
「明日、検体ナンバー八八三に会う」
「……は?」
「時期としてはちょうど良い、あれが再び異能を発現させる前に戦争が終わったことだし、そろそろ次の段階に移ろうと思う」
「次の、って、いやちょっと待てよ」
何から言えば良いのかわからなくて、俺はとりあえず立ち上がった。時期って何だよ。まるで戦争が終わるのを待ってたみたいに言いやがって。戦争がもうすぐ終わるって知ってたのかよ。それに次の段階なんて何も聞いてねえよ。次から次へと問いが飛び出しては俺の頭の中をぐるぐると回る。どれかを言いたくても、ウナギのようにそれらはぬるぬると俺の手をすり抜けてしまう。
「さすがに僕はエスパーじゃないから、君が何を言いたいかは全くわからないよ」
きっと俺の中の混乱が顔に出ていたのだろう、呆れたようにこちらを見上げて、ウィリアムは盛大にため息をついた。そんなことわかってる。乱暴にそう言い返したくて、けれど俺はぐっと言葉を呑み込んだ。八つ当たりしたってしょうがない、こいつの思考についていけない俺の実力不足だ。
代わりに俺は、そっと息を吐き出した。
「……ごめん、ちょっと時間くれよ。頭ん中整理したい」
「時間がもったいないからパス」
「いやいやいやいや待てよ! 少しくらい良いだろ!」
「わかったよ、一つずつ説明する、座って聞いてて」
そう言って奴は俺が座っていた場所をぽんぽんと叩いた。俺はそこに腰を下ろす。そうだった、こいつが他人に配慮するなんてことをするわけがなかった。黙り込んだ俺に構うことなく、ウィリアムは淡々と話し始めた。
「彼女が兵器として戦場に送り込まれる事態は避けられたわけだけど、彼女が兵器として使われる可能性がゼロになったわけじゃない。僕達の最終目的は、彼女の兵器化を防ぐことだ。具体的には」
ちら、とこちらを見た茶色の目は鋭い。
「彼女を誰の手にも渡さない」
「……検体ナンバー八八三は国の所有物だ、今更そんなことできるわけがねえ。国の物を外に出そうとすれば、それだけで重罪だ」
「方法は考えてある」
「考えてある、って」
「その方法が、彼女と会うことなんだよ。だから会いに行く。僕一人で」
一人で。
その言葉は予想以上に俺の胸に突き刺さった。今までずっと一緒にこうして話し合っていたのに、突然置いて行かれるような気がした。わかりやすく言えば、寂しかったんだ。
「……大丈夫なのかよ、お前一人で」
その寂しさを隠すように、俺はウィリアムを慮るようなことを言う。そんな姑息な意図を読み取ってか否か、ウィリアムは相手を安心させる良い笑顔を返してきた。
「大丈夫だよ。彼女と友達になりにいくだけ」
「友達?」
「そう、友達」
そう言ってウィリアムは笑った。
「研究者と実験体の関係より、友達同士の方が都合が良い」
「都合……ってのは」
「手記の方は順調?」
突然話が変わる。詳しく聞こうとしていた俺は言葉を呑み込んで、ようやく頷いてみせた。
「問題ない。お前の実験室にあった、抽出の異能と書き込みの異能を融合して”記憶を文字に書き出す”異能を作った。俺の見たものがそのまま手記に記される」
「さすがだね、ベンならそうしてくれると思ってた。封印の方は?」
「”錠”を作り出すのに苦労したけど、まあ問題ない。計算してみたあたり、天候操作の異能に合う異能が存在しないから"鍵"は再定義の異能で確定だ。けどさすがに再定義の異能が鍵となると条件が厳しい、少しでも間違うと錠そのものが再定義されちまう。だから錠の異能を作り出すより変質の特異点を作り出す方が安定するってとこに気付けたわけだけど。今は調整とテストを繰り返してる」
「そっちは任せるよ。特異点研究については、僕は君に口出しできない」
ソファにぐったりと寄りかかって、ウィリアムは天井を見上げる。
「同種の異能同士の干渉により特異点が発生、チップに再定義された手記が不可逆の性質を覆して再定義前の状態に戻る……まさか同一人物の同一の異能で特異点を起こすなんて、考えつきもしなかったよ」
「おうおう、もっと褒めてくれたって良いんだぜ」
「時間がもったいないからパス」
「そう言うと思った!」
ぐわん、と部屋の壁が目眩のように揺らぐ。時間制限だ。ウィリアムはテーブルの上のカップに手を伸ばして、しかしそれを持ち上げることなくその指先で白い側面を弾く。爪が当たってチンという軽い音を立てた。
「ねえ、ベン」
夢から目覚めたばかりのようなぼんやりとした口調で、ウィリアムは呟き、そしてこちらを一瞥してくる。ぐわりと傾ぐ景色の中で、やはり奴だけは鮮明にその姿を保っていた。
「君はこの世界を何だと思ってる?」
急にそんなことを言われたって、答えはない。きっとこいつは、俺の意見なんて求めちゃいない。
「この世界は娯楽だ」
珈琲の中にミルクを落としたような歪んだ部屋の中で、ウィリアムはソファの上で膝を抱えている。銀の髪がいやに目についた。
「誰かが楽しむためのものだ。毎日どこかで事件は起こって、何かが作られて、誰かが生まれて、死んでる。僕はね、それが舞台の上のように思えてならないんだよ」
だからね、とそいつは言った。膝に顎を埋もれさせて、ひとりぼっちの夜を過ごす子供のようにうずくまって。
「僕はこの大きな舞台で、作品を作ってみたかったんだ。僕の手で、地球の上の物語を作ってみたかったんだ。だからね、ベン」
額を膝頭に当てて、泣き出しそうな格好で、そいつは堪えきれない笑みを声に乗せる。
「楽しくて仕方がないよ。僕は今、とても大きな物語を作り始めているんだ」