幕間 -Note by a Researcher-
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結局本題に入ったのは、俺があいつの部屋を片付け終わった昼過ぎだった。
「計算結果だ」
言い、俺は紙切れの束を手渡す。綺麗に片付いた部屋のソファで悠然と膝を抱えて座り、白湯の入ったマグカップを両手で包んでいたウィリアムは、途端すぐさまカップをテーブルの上に置いてそれを奪い取った。提出用の資料の上に湯の入ったマグカップが無造作に置かれたことへ抗議の声を上げる間もなく、ウィリアムは熱心に紙片へ顔を近付けてそこに書かれた数字を読み込んでいる。仕方なく、俺はウィリアムのカップを持ち上げ、下に敷かれた資料を救出した。
「これ、書き終わるのいつだよ。昨日の朝下書き渡してやっただろ、あれを書き写すだけじゃねえか」
「ベン」
「やっぱり聞いてねーよな。……何だよ」
ウィリアムはこちらを見上げてきた。ソファの上に膝を抱えた白衣の男が、その穏やかさの象徴たる濃いブラウンの眼差しを向けてくる。
「……説明して」
「随分読み込んでるから理解できてんのかと思った」
「さすがに専門外だからね、数値の羅列を見ただけじゃあ、何が何だかわかんないよ」
言い、ウィリアムはキョロキョロと宙を見回した。
「あの白い球体は?」
「ねーよ。あれは俺の部屋でしか使えねえって言っただろ」
「そうか、じゃあ移動しよう」
言い終わるなりすぐさま立ち上がって、ウィリアムはスタスタと部屋の扉へと向かっていく。こういう時ばかり、こいつは行動が早い。呆れを込めたため息をついて、俺はウィリアムの後を追おうとした。
ちら、とその後頭部を見遣る。何かがキラリと光った。
「……あれ」
手を伸ばして、それを他の髪と一緒に掬い上げる。突然髪を掴まれたウィリアムは、さすがに立ち止まって俺を振り返った。
「何?」
「お前、髪の毛の色ってブラウンだったよな」
「ちょっと赤茶けてるけど、たぶんそう。何で? ……いッた」
プチ、とそれを引き抜いた。痛がるウィリアムへと、それを見せる。恨めしそうだった濃いブラウンが、驚きに見開かれる。
「……銀色」
そこにあったのは、茶色の髪の毛じゃなかった。根元が銀色の、二色の髪の毛だ。まるで毛先だけ染めたような、逆に言えば根元だけ色が抜けているような、奇妙な色合いだった。
「……白髪?」
「白髪ってこうやってなってくもんなのか?」
「さあ……」
一本の人間の髪の毛を、二人揃ってまじまじと見つめる。一見すれば妙な光景だ。けど、我に返って恥ずかしがるには、この色は異常すぎた。
白じゃない。灰色でもない。これは、銀だ。銀の粉を薄く細く引き伸ばしたかのような、人体が作り出せようもない色。
「……そうか」
ふとウィリアムが呟いたのは深刻さのある低い声だった。
「……無茶しすぎたかな」
「は?」
ウィリアムは俺を無視して歩き出した。その背中に、ウィリアムが何かを話そうとしていることに気がつく。となれば奴の向かう先は一つだ。
黙々と二人で歩いて、同じ景色が連続する廊下をずんずんと進む。いくつ目かの角を曲がって、階段を上がって、ようやく俺の部屋へとたどり着いた。何の合図もなしに俺達は部屋の中へと入って扉を閉め、すぐさま俺の異能と元同僚の異能とウィリアムの異能を使って空間を作り出す。もやりとした空気が部屋を覆って初めて、ウィリアムはソファへと深々と腰かけた。息を吐き出しながら、背もたれに首を預けて天井を見上げる。その隣に腰かけて、俺はウィリアムが言い出すのを待っていた。
しばらくそのままの体勢で何かを考えて、ウィリアムはようやく声を出した。
「……となると、そういうことか」
「何がだよ」
「彼女は世界を覆すほどの異能の持ち主だって、僕は君に言ったはずだ」
話の脈絡のなさにはとうに慣れている。俺はすぐさま理解して、頷いた。
「彼女って、あの四歳の実験体のことか」
「そう、検体ナンバー八八三。君をここに呼ぶ前、あれで僕はとある実験を成功させた。異能を人工的に発現させる実験だ。……ところで、僕の研究テーマを君はちゃんと把握してる?」
突然そんなことを言われるなんて思ってもみなかった。が、俺はその挑戦的な口調に苛立つことなく悠々と机上の紙を引っ張り出す。俺が徹夜で仕上げた下書きだ。
「勿論。俺を何だと思ってる?」
「ベン・ジョンソン。僕と同い年。喜劇作家。彼女不在年数と年齢が同じ数値、好きな女の子は癒し系、苦手なのは肉食系。ピーマンが食べられないという理由で振られたことがある。流行りの髪型にするとことごとく笑いものになるのが最近の悩み」
「後で表出ろよ。――お前の研究テーマは『異能の人工発現』。異能を人工的に発現させる安定的な手法を確立することが最終目的だ」
「五十点」
「ああ?」
「勿論百点満点だよ」
さらりと言い、ウィリアムは立ち上がった。俺から資料を奪い取ってそこに書かれた文章に目を走らせる。
「書いてあるじゃない。――僕の研究テーマは、異能の”選択的”人工発現。つまり選ぶんだ」
「発現のタイミングを選択できるように、って意味じゃねえのかよ」
「違うよ。これはね、異能を選択するってことだ」
呆れも苦笑もなしに、ウィリアムは資料を返してきた。それが逆に疎ましくて、俺はふてくされたままそれを受け取って紙面を流し読みする。他の資料から丸写しした箇所だったから、深く読まなかったのが仇になったらしい。
「異能を選択って、都合の良い異能を発現させるってことかよ」
「そうだよ」
ソファから離れて、ウィリアムは窓辺に歩み寄る。あたたかな日差しが差し込むそれの向こうに見えるのは、施設の裏にある森だ。眺めていたってつまらない景色、それをこいつは黙って見下ろす。
「異能の種類を決定する要素はまだわかっていない。けど、理論的には傾向を掴むことは可能なんだ。僕は異能の種類を決定する数値を導き出す数式を解明した。それが去年だ」
俺は何も言えなかった。新しい数式を見つけ出すってのは並大抵じゃない。新分野なら尚更だ、前駆者がいないのだから。
こいつはやっぱり、人間の域を外れた天才なのだ。俺は今更そんなことを思う。
「これで推定はできるようになった。誤差はあるけどね。そこまでわかれば、発現する異能を変化させる手法を見出すのは難しくない。で、どうにか任意の異能が発現されるような手法を確立できそうなところまで研究は進んだわけなんだけど」
ウィリアムはシャッとカーテンを引いた。太陽光が遮られ、部屋が少しばかり暗くなる。暗くなった窓辺で、ウィリアムはそのままカーテンの向こうを眺めていた。
「……彼女の元々の異能はあらゆるものを手に入れる異能だった。"あらゆるもの"っていうのが問題として大きい。命でも物でも力でも何でも彼女は手に入れられる、たぶんその気になれば異能そのものも」
「マジかよ。お前の研究の意味なくなるじゃん」
「それは大したことじゃない。つまらない毎日に戻るだけさ。――問題は、その異能は人の命そのものを対価とする点だ。他人の寿命を奪って自分自身の寿命を長らえさせられる、つまり不死になれる。何でも手に入れられる不死の異能力者……今軽く考えるだけでも最悪の戦争兵器だろうね。それに」
「彼女がまだ四歳っていう点か」
「ここに来たのは二年前、当時二歳だ。幼児期健忘現象でおそらくはここに来る前の記憶は一切ない。この『村』での常識が彼女を形作る。決定意思と知識を奪えば、確実に簡単に破壊兵器として使えるようになる」
第三者から言われるがままに他者を屠る、不死の異能力者。考えるだけでも異常で最悪な戦争兵器だ。
「まだ戦争は終わってない、今このタイミングで発現すれば彼女は間違いなく世界を覆し、滅ぼす」
「今は膠着状態だからな、その実験体のことが明らかになったら、状況は苛烈さを増す」
「だからちょっと手を加えた」
その言葉はあまりにもあっさりと言われた。聞き取って、意味を理解するまでにかなり時間を有してしまったのは、断じて俺の頭の悪さが原因じゃない。
「……は?」
聞き返した俺に、ウィリアムは「冬って寒いよね」と言う時のような口調で続けた。
「言ったはずだよ、君がここに来る前に彼女で人工発現実験を成功させている、って。もう発現してるんだ、実は」
「え、いや、ちょっと待て、おい」
「で、発現した異能を組み替えて、かつ僕の異能で彼女の脳の一部を再定義した」
話が急すぎてついていけない。パクパクと口を開閉する俺に何ら気遣うこともなく、ウィリアムはつらつらと続けた。
「対価の異能を空気圧操作の異能に変えた。その方がいろいろと都合が良い。対価の異能は身を守るには不適切だし、子供が使うにはどんなに頭が良いとしても危険すぎる。で、その異能が任意のタイミングで任意の動きをするように異能で仕込んだ」
「身を守る……? 任意のタイミングで、任意の動き……? おいおい一体何の話だよ、わけわかんえねえ」
「詳しくは後でちゃんと説明する」
これ以上詳しく話されてもきっと理解できない。今俺に必要なのは、一から全てをきっちり説明してもらうことなのだが、勿論この研究馬鹿がそれに思い至るわけもない。
「君の知っている通り僕の異能は、物質を”変化させる”ではなく”再定義する”異能だ。主観的で不可逆で超常的、異能を解除しても僕が死んでも異能を無効化されても再定義される前の状態には戻らない。そのせいか蝶一匹を花一輪に再定義するだけでものすごく疲れる。人の脳なんてかなり無理があった」
ウィリアムは天井を見上げたまま自分の前髪をつまみ上げた。さらさらと指先で擦り合わせながら、それを数本ずつ落としていく。たまに銀色がキラキラと輝いた。
「それの影響だと思う。後から聞いた話、実験後数時間意識を失っていたらしい」
ウィリアムの異能は強力だが限定的だ。手の上に乗るほどの物でもかなりの確率で失敗する。奴曰く、無生物の再定義は簡単だが生物の再定義は蝶一匹程度でないとキツいのだという。勿論、それを超えた異能発動は不可能じゃない。が、しようとすれば所持者であるウィリアムに少なからず影響が出るし、異能が不制御に陥って暴走する可能性だってある。奴の異能はそういうものだ。
「馬鹿野郎」
一言呟いて、俺は眉を思いきりしかめた。そう言われることすらわかっていたのだろう、ウィリアムはにっこりと笑って「うん、ごめん」と返してくる。
「さて、問題はこっちだ」
すたすたと窓辺からソファへと戻ってきて、ウィリアムは俺の横に座って背もたれにどっかりと体重を預けた。ソファが揺れる。
「こっちって、報告書か?」
「じゃなくて」
言い、ウィリアムは机の上を指差した。そこには報告書用の資料が雑に置かれている。
「やっぱり報告書じゃねえか」
「違う。君の計算結果だ」
俺の言外に「報告書を早く書け」という圧力を完全に無視し、ウィリアムは「説明してよ」と続ける。舌打ちしてやってから、俺は資料を掴みながら立ち上がり、大学の教員のように仁王立ちになった。
「お前と彼女の異能の融合結果は、無だ」
「……そういうことか。とすると……」
「待て待て待て、理解が早すぎる。ちょっとくらいは説明させてくれよ」
俺の訴えにウィリアムはじっとりとこちらを睨んで小さく頷いた。可愛くない奴だ。その鬱陶しい視線を無視し、俺は朗々と続ける。こいつに説明をするという状況、そうそうあるもんじゃない。少しくらいは偉そうに説明させてくれたって良いじゃないか。
「お前から渡されたデータによると彼女の現在の異能は『天候操作』だ、自然界で見ることができる現象で、つまり自然的実現性が非常に高い、そして威力は弱い。対してお前の異能は真逆だ、自然的実現性が非常に低く威力がでかい。融合したところで作られる異能は平均かつ平均、何にも特化しない平常だ」
「つまり、無、か」
「ここまで綺麗さっぱり何もないのは逆に珍しいぜ」
これが特異点だったのなら爆発的な力と共に何かが起こるのだろうが、俺の融合の異能は特異的エネルギーが一切発生しないという特徴がある。異能特異点は二つ以上の異能が拮抗した時に発生する現象だ。けれど俺によって隣り合わせになった異能は、必ず均等に溶け合い第三の異能として生まれ変わる。今回の場合はパラメータ的に正反対な異能二つだ、組み合わせても互いに欠点を補い特徴を打ち消してしまう。
「相性っていうのがあるのかもね」
「異能の抵抗性ってやつか? あんなお伽噺信じてるのかよ」
異能の抵抗性。それは根拠もなく言い伝えられている考え方だ。曰く、異能は意志を持っており、己を使役させることに対して抵抗を示すことがある。その抵抗性によって誰もが異能者になれるわけではないし、異能が所持者を必ず幸せにするわけでもない。異能を生き物のように捉える考え方だ。なお、現在ではその考え方はそこまで重要視されていない。
「肯定できる根拠がないのと同様、否定できる根拠もない。完全に拒絶するわけにはいかないよ」
ウィリアムはそんな良い子ぶったことを言って片手を広げる。この話題はもっぱら笑いの種で、誰一人真面目に考える奴なんかいない。科学は進歩していくものだ、そうして迷信めいた無根拠の妄想話は淘汰されていく。
ぼふ、とウィリアムはソファに横向きに倒れ込んで大きなため息をついた。
「考え直しか。やっぱり異能は難しいな」
「だから研究しがいがあるんじゃねえか」
うーん、と気の抜けた返事をしてウィリアムは微動だにしなくなる。糸の切れた人形のようだ。実験が上手くいかない時のような、研究者によくある倦怠感。