幕間 -Note by a Researcher-
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次の日。
まず俺達は、その実験体の詳細を改めることにした。
「四年前の二月二十六日倫敦郊外で誕生、娼婦である母親の手で内密に育てられる。そして二年前、母親の死亡をきっかけにこの村に来た。その日付が四月二十三日、これが書類上の彼女の誕生日になってる」
手元に紙もないのに、コンロのそばで湧かしたポットを手にしながらウィリアムはそれをそらんじた。ほう、と俺は火のついていない煙草を灰皿に投げ出し、ソファにどっかりと背を預ける。
「何でお前はそいつの正確な誕生日まで知ってるんだよ」
「あの子を母親から受け取ったのが僕だったから」
こぽ、と奴の手がポットを傾けて湯をこぼす。白い湯気を伴った透明な液体は、奴のマグカップへと注がれていく。陶磁器の底へ着地したことを知らせるように、一瞬遅れてマグカップの中からふわりと湯気が立ち上った。
「僕も昨日思い出したんだけど。――死にかけててね、僕を医者と勘違いして声をかけてきたんだ。この子だけはどうか、って言って押しつけてきた。そのまま道端で死んだよ。連れてきたは良いけど渡された診療カードを資料管理担当に渡すのをうっかり忘れた。で、担当が勝手に決めた日付が、彼女を連れてきた日付だったってわけ」
さらりと言い、ウィリアムはマグカップを手にしながらソファの隣にポフンと座った。ちなみにここは俺の部屋だ。当然のように自分のカップを持参してきたそいつは、自分の分の飲み物だけ準備して当然のようにソファに寛いでいる。俺の分は、と聞けば「自分で自分の好きなようにやった方が好みの味になるよ」と言われた。知ってはいたが、こいつはそういう奴だ。
大きくため息をついてやって、俺はテーブルの上の資料を見遣った。幼女の写真がついた、実験体の詳細資料だ。
「うっかり、ね。……どうせ白衣着たままうろついてたんだろ、想像に難くない」
「ちょうど良かったよ、試料にするにはちょうど良い年齢だったし、母親は周囲に内緒で育ててたから彼女の存在自体誰にも把握されていなかった。この村で生産された個体とは違うから、そういう意味でも良いデータになる。でも、もし他の子供達にそのことが知られたら悪影響だから、彼らの記憶も資料も改竄して、今はこの村の一員ってわけ。異能は感情や生い立ちに強く関係していることがわかっている、部外者である彼女への好奇心や不安、そういった邪魔な感情で子供達の異能発現に影響を与えるのは明白だ」
「子供に感情や生い立ちによる個体差を出さないための『村』――家族という枠組みをなくした一つの共同体、か」
俺の呟きに、ウィリアムははっきりと頷く。
「家族というのは個を確立するのに必要不可欠だからね、それを排せば皆同様の”試料”になる。この『村』は良いよ、実験体用の子供を作ってるからわざわざ実験のために子供をかき集める必要もないし、親としても大事な自分の子供を差し出さなくて済む。利のある生産だ。実験体が必要なら実験体用の子供を作れば良いってこと。マウスと同じだね」
大したことのないような口調でそう言い、ウィリアムはマグカップの端に口をつける。ここはこういう場所だし、こういう場所だからこそそれ用の子供を生産して使っている。人体実験が忌避されるのは、実験対象が人間だからであり、それに少なからず親や友や知り合いがいるからだ。なら、それらが全くない人間を作って、それを使えば良い。
わかっている。ここは、そういう場所だ。
異能という、人間にしか見られない現象を研究するということはそういうことだ。
わかっている。
それでも、拳に力を入れずにはいられない。
「君はつくづく、この研究分野に向いていない気がするよ」
ふと言われた言葉は予想外のものだった。
「はあ?」
「苦労してるねえ」
そう言うウィリアムは全くこちらを見ていない。けれどきっと、わかったのだろう、俺の心情を。こいつは見ていないようで見ている。油断ならないとも言えるし、信頼できるとも言える。
「けッ、お前よりかは向いてるっての。とっとと報告書を書きやがれ」
「うーん、気が進まないからパス」
「そういうところだよ!」
「ベンの方がこういうの上手じゃない」
「おだてれば良いと思ってるんだろ!」
「うん」
「頷くところじゃねえよ今のは。しかも」
言葉を切り、俺はソファから上体を起こして机の上を指でトントンと叩いた。無論、抗議の合図だ。
「なんで俺の部屋で寛いでんだよ。自分の研究室とかあんだろ」
「他の人に話を聞かれたくないもの」
ウィリアムはにっこりと笑う。こっちの敵意がすっかり削がれる、人の良い笑顔だ。
「君の部屋は盗聴器の類が無効だし、この施設の中で一番安全だよ」
「人の異能を便利扱いすんじゃねえ」
「提案してきたのは君の方じゃない」
「お前の部屋でって提案したつもりだったんだけどな」
「けど、よく思いついたね。引き伸ばした時間の中に空間を生成するだなんて。不可侵である上時間の節約にもなる、ずっと使っていたい異能だ」
俺の話を聞かず、ウィリアムは宙に浮く白いボールを見上げる。釣られて、俺もそれを見た。
「一秒っつー時間制限があるからずっとは無理だな。何にしろ俺のは、一人じゃ何にもなんねえ異能だよ」
白いボールのようなそれは、小型浮遊カメラだった。内部に時間を局所的に操る異能が込められている。前にいた研究所の同僚のものだ。俺が不機嫌な顔をしているのをわかっていながら「異動”祝い”だ」と押し付けてきた同僚のそれにウィリアムの再定義の異能を融合させて「時間的に膨張させた狭間に異能空間を生成する」異能を作り出した。一列に並んだ本の間で風船を膨らませてその中に入るようなイメージだ。絶対的に言えば「一秒を引き延ばす」異能だし、相対的に言えば「時間の隙間に潜り込む」異能でもある。細かいことは良い、要は俺達は一秒の間に誰も何も来ない部屋で何十分も話し合えるということだ。
「で? 全く先が読めないんだけど、お前はその実験体を最終的にどうしたいわけ?」
「ベンが融合した僕の異能は範囲制限が変わるの?」
マグカップを両手で包むように持ちながら、ウィリアムは俺の質問を無視した。ちら、と横目を向けてくるそいつに俺は眉をひくつかせる。
「……まず俺の話聞けや」
「僕の異能は手のひらに乗るくらいのものに対して使うのが限界だ。でもベンが融合させたら部屋一つの空間を再定義できた。融合してできた異能の効果範囲は何に起因してる?」
「無視かよ」
「彼女は生かす」
俺の話を聞いていたのか、それとも自分の中の話がたまたまその話題になったのか、ウィリアムはマグカップから立つ湯気に顔を埋もれさせながら平然と言った。
「彼女が生まれた瞬間からこの世界は変化している、きちんと終わらせないと幕が閉じない。……彼女に生き続けてもらうには君の異能が有用だ、詳しく知りたい。異能効果範囲は何に因る?」
「普通の異能と同じだ、何も特別なことはねえよ」
諦めて、俺はソファの背もたれに雪崩れ込んだ。背中が沈む。このソファ、いやに柔らかすぎないか。
「言わなくてもわかってんだろうが。――個体固有の『異能指数』、異能固有の『自然的実現性』、それらによる『異能威力』、その結果生じる『効果範囲』。俺達は異能という現象に対してこれらのパラメータを定義してる」
異能の研究はまだ始まったばかりで、詳しいところはわかっていない。そこで俺達は、仮のパラメータを定義することで異能現象を数値的に捉える方法を取った。専門的な話はまあ、重要じゃない。簡潔に言えば、個体固有値と異能の種類の組み合わせで何百何千何万通りもの異能力効果が考えられるということだ。
「この『時間の狭間に異能空間を生成する』異能は元々はお前とあいつの異能だが、今は俺自身の、それも別物の異能だ。異能指数は俺固有の数値が採用されているし、異能そのものも変質したから全パラメータがお前やあいつの異能と全く違う」
「つまり、君の融合の異能によって新たに作られた異能の効果範囲は、君個人の異能指数に因る……」
「今回のこの空間生成の異能の場合は、俺自身の異能指数から”俺の部屋の中でだけ使える”っていう効果範囲が決定したってことだ」
ふうん、とウィリアムは遠くに見える自分の思考を睨み付けるように目を細めた。こいつはまた、何かを考え始めたらしい。
「例えば、とある一つの異能を複数人が使った場合、その効果範囲は各個人によって異なるということになる?」
このタイミングで「何を考えてるんだ?」なんて訊いたところで答えは返って来ない。今俺にできることは、思考と同時進行で垂れ流されるこいつの疑問に出来る限り答えてやることだけだ。
「まあ、理論的には、な。実際に一つの異能を複数人に持たせることは今はまだできねえし、異能の影響力は音波とは違って同心円状じゃねえんだ、絶対そうだとは言い切れねえ。異能生命体や異能媒体を必要とする奴のほとんどは、その生命体や媒体を中心として局所的で強力な効果を発揮する。例えば」
俺は宙を泳ぐ白いボールを指差す。
「あれをスキャンすれば、あれに指数が集中してるのがわかるはずだぜ。異能者本人よりも高い。本人が持ってるカメラには敵わねえが」
ふよふよと宙を彷徨う白い球体は、その胴体に潜めたレンズを目玉のように動かして、俺達の空間を見つめている。同僚の異能はカメラを媒体としていた。それの模倣型だ。あのレンズに捉えられた空間が、時間操作の異能を受ける。ひっきりなしに部屋の中を見回して、異能効果が切れて空間に穴が開かないようにしているのだ。
「異能というのはつくづく不思議だねえ」
言い、ウィリアムはマグカップをテーブルに置いた。引き延ばされた一秒の中で、それはいつまでも熱々のまま湯気を立ち上らせている。そっと中身を覗き込んでみて、俺は拍子抜けしてしまった。奴が飲んでいたのは珈琲でも紅茶でもなく、白湯だったからだ。俺は動揺を誤魔化すように天井を眺めて長く息を吐き出す。
「お前が言うか。お前の異能もこっちからしたら奇妙なもんだぜ? お前の異能は自然的実現性が著しく低いせいで、異能の過剰分が小さな光として可視化できてる。小さいコップに大量の水を一気に注いであふれさせてるようなもんだ、興味深いもんだね」
「僕を実験台にするのは、僕の実験が完成してからにしてよね。――まとめると、君の融合の異能によって作られる異能は、元となった異能の所持者ではなく新たに作られた異能の所持者の異能指数が反映される」
「ああ」
「なるほどね。となると同一の異能を違う異能指数の個体が同等の威力と範囲で行使することはほぼ不可能……そこが問題だな。自然的実現性の低い異能を広い範囲で使うには相当の異能指数がなくちゃいけない……仮に……とすると……」
顎に手を当てながら、ウィリアムはほぼ静止した時間の中で何かを考え込む。奴が何を考えているのかはさっぱりわからなかった。二人きりの空間で一人置いていかれている。目の前に友がいるのに、俺はひとりぼっちでソファに座っていた。
こいつはいつもそうだった。学生の時から、突然脈絡もなく話し出したかと思えば、突然石像になったかの如く考え込む。こっちが気を使って話しかけたりしたところで、こいつにはハエの羽音よりも小さな音なのだ。だからといってこいつが身勝手なわけでもなく、唐突に会話に入ってきて的確なことを言ったりする。話を聞いていないわけではないのだから、ただの阿呆と見るには少しためらいが出てくる。
「ねえ、ベン」
記憶の中の誰かに話すようなぼんやりとした口調でウィリアムが呟いた。
「一つ計算して欲しいことがあるんだけど」
「あ?」
「いや、二つかな」
「待て待て待て、俺は計算屋じゃねーぞ」
「僕と彼女の異能の数値、その融合結果を知りたい」
「話を聞け。……ん? てことはつまり、お前」
俺はウィリアムの言った言葉を頭の中で反芻した。
「……お前と彼女の異能を融合したいのか?」
「一つの参考資料としてだよ、まだ不確定要素が多すぎる」
「詳しく話せよ、お前の話は断片的すぎて全然わけがわからねえ。不確定要素って何だよ、何考えてんだよ」
「まだ口に出すには曖昧過ぎるよ。安心して、後でちゃんと話すから」
ウィリアムは何かを考え込みながらそう言った。どこからどう見てもうわの空だ、こんな状態で言われた言葉なんて信じられるものではない。本当なら、ここでぶち切れるなり怒鳴るなりするべきなんだろう。
けれど、俺は肩を竦めて頷いた。
「わかったよ」
こいつが的外れなことを考えているわけでも、適当にその場凌ぎのことを言ったわけでもないことはよくわかっている。なら、俺にできることはこいつが自分から詳細を話してくれるまで待つことだけだ。
「で? もう一つって何だよ」
尋ねてみれば、ウィリアムはきょとんとこちらへ目を向けてきた。まるで信じられないとばかりのその子供じみた表情に嫌な予感を感じながら、俺は眉間にしわを寄せて「何だよ」と低く呟く。
「ベンがやる気になるとは思わなかった」
「なってねえよ。ただ、頼まれ事は余さず手抜きせず、ってのが俺の信条だからな」
「へえ……」
「シラけた顔すんじゃねえ。こっちが馬鹿みてえじゃんかよ」
「そんなことはないよ」
「ああ?」
さっきまでの「何か言ってるなあこの人」と言いたげな顔を人の良い笑顔に綺麗さっぱり塗り替えて、ウィリアムは俺に頷いた。この切り替えの良さはこいつの利点だ、見ていて心の中にふつふつと湧き上がってきていた感情があっさりリセットされる。苛立ったのも憐れんだのも違和感を覚えたのも、全て気のせいだったんじゃないかと思わせてくる。誤魔化された、ということなのかもしれないが、その底抜けのわざとらしい無邪気さに対して不満を抱くことはまずなかった。相手に不快感や敵意を抱かせにくい奴なんだ、このウィリアムという男は。
「君がそういう奴だってことは知ってたさ。だから頼ってる。君は正しいよ、ベン。君の正しさは間違いなく僕を助けてくれる」
「……突然クサいこと言いやがって」
「君にもう一つ計算して欲しいのは、封印だ」
突然ウィリアムは本題に戻った。感動する間もなく、俺の思考も引き戻される。呆れる暇もない。
「封印?」
「異能による封印。何かを秘匿する異能はあるけれど、それを特異的異能現象として成立させたい」
「難しく言うな、わけわかんねえよ。つまり、封印みたいな効果を生み出す特異点を算出せよってわけ?」
「逆だよ」
ウィリアムがそう言った瞬間、ゆらり、と部屋の壁が歪んだ。柔らかいものを手でひねったような歪み方だ。でも壁がねじ曲がったわけじゃない、この空間が揺らいだんだ。そろそろ制限時間らしい。
「特定の異能によって封印が解かれるようにして欲しいんだ。言うなれば鍵と錠だね。鍵にする異能については候補が二つある、後で資料を渡すよ。君には錠を作って欲しい」
「作る?」
「そう」
ゆらりと空間が渦を巻くように歪む。目眩に襲われているような錯覚の中で、ウィリアムは静かに立ち上がった。
「君に作って欲しいんだ」
真っ直ぐに立つそいつの姿だけが、歪み続ける全ての中で唯一、明瞭な輪郭と人型を保っている。いや、もしかしたら逆なのかもしれない。
「君の、融合の異能でね」
こいつはもう、この世界の歪みから逸脱した、この歪みに飲まれることも馴染むこともできない、この世界のものではない何かなのかもしれない。