幕間 -Note by a Researcher-
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俺のために用意された部屋は、以前までいた施設の部屋より狭かった。壁紙は黄ばみ、ところどころテープで雑に補修してある。家具はソファやらクローゼットやら一式整ってはいた。テレビの画面がでかいのだけは前の研究施設より良い点だろう。
長方形の部屋の最奥にクローゼットや鏡、洗面台といった身だしなみを整えるためのものが集まり、部屋の手前にベッドが置かれている。つまり、研究に疲れたら真っ先にベッドに突っ込めるというわけだ。しかし俺は体力には自信がある、部屋に帰ってきてまずすることは、ベッドと洗面台の間、大きなテレビが置かれた暖炉の前でソファに深々と腰掛け、ゲーム機を起動することだろう。
「ベンは相変わらずゲームが好きだなあ」
呆れの込もった言葉を感嘆を込めて言う、という本心のわからない言い方でウィリアムが呟いた。部屋に案内されるや否やソファに身を投げ出すように座り、荷物から取り出したゲーム機をテレビにセットしていく俺は、その言葉を都合良く解釈して「子供心は何歳になっても大事だぜ?」と返す。
「今時テレビなんかつけてもラジオを聞いても、戦争の話ばっかりだ。やれ国に貢献しろ、やれ他国に負けるな、やれ自国民の自覚を持て。もう飽きちまった」
「そんなこと言わずに、見ておきなよ。たまに天気予報も入るし」
リモコンを手にし、ウィリアムがテレビの電源を入れる。チャンネルはやはり通常の放送局に合わせられていたようで、すぐさま生真面目そうなニュースキャスターが大きく画面に映し出された。
『現在激戦区では毎日のように爆撃が行われています。しかし、やはり我が国の戦力は素晴らしく、未だ我が領土はどの国にも侵略されておりません』
「こんなの嘘だろ」
「というより局所的だろうね」
よくあることだ。戦況のうち自国にとって都合の良いものだけを抜き出し報道する、それによって国民の士気を高める手法。別に悪いことだとは思わない。戦争を疎んじてはいるが、負けても良いとは思っていないからだ。戦争に負けたら、どうなるのだろう。歴史では国の敗北は危機的状況への転落として記されている。誰だって負けは嫌だ、なぜなら、その先にあるのは以前とは異なる生活に違いないから。それが良いものなのか悪いものなのか、そもそもどんな風なのかさえ、誰も知らない。
「人は意図しない変化を恐れる」
俺の思考を読み取ったかのようなタイミングでウィリアムが言う。ぽふ、とソファに座り、奴は俺の隣でテレビを見つめた。いつも穏やかなブラウンの目にニュースキャスターの姿が映る。
「けれどもね、結局この世界は誰の意図も関与していない変化で満ちあふれている。戦争の勝敗は結果がわかりやすいってだけだ。……ねえ、ベン」
「あ?」
「もしこの世界に意図された変化が仕組まれているとしたら、どうする?」
わけのわからない話を突然始めるのは、こいつの得意技だ。その横顔はテレビの光で鮮やかに彩られている。何を考えているか、全くわからなかった。だから、先を促すつもりで「どういう意味だよ」と返す。すると奴は、テレビを見つめたまま笑みもなしに言った。
「君は物語を作る時、何を考える?」
「……なんで戦争の話から創作の話になるんだよ」
全くわけがわからない。
「良いから、答えてよ」
そう言ってウィリアムはこちらを窺ってくる。答えない、という選択肢はないようだった。それにどうやら世間話ではなく、創作の語り合いが始まるようだ、付き合ってやるのが筋だろう。こいつにとって俺は、俺にとってこいつは、唯一無二の仲間だから。
「……結末だ」
だから、俺は答える。
こいつの求める答えを。
「……そして、その結末へどう持っていくか、だな。結末ってのはただ唯一の真実だ。勝利、和解、とにかく客観的な結果のことだ。そこに主観的な話をいくつかくっつける。一番重要なのは主人公だな。主人公がどういう生い立ちでどういう考え方をする奴で、誰に会って何をしてどうやって結末に至るか、それをどんな風に表現するか。例えばセリフだけで"金に目がない強欲な奴"って言っても観客には伝わらねえから、他の奴と何を話すか、どう口論させるか、どう選択させるか。それらを組み合わせた末に違和感なく結末に辿り着くように調整する。観客が納得できる形にな」
「結末に至るまでの合理的な経緯の構築、かな」
「難しい言葉でまとめんなよ、長々と話したのが馬鹿馬鹿しいじゃんか」
「まあまあ、怒らないでよベン」
そう言ってウィリアムはへらへらと笑うのだから、こっちは怒る気すら失せてしまう。こいつはいつもそうなんだ、突然変なことを言い出すかと思えば明瞭で鋭い言葉を投げつけてきて、かと思えば呆気にとられるような気の抜けた笑顔でこっちの気を削ぐ。
「君ならそう言うと思った。ベンの作品はラストが肝心だからね」
「喜劇ったらそうだろ。最後に話がまとまってからの、大団円がお決まりだからな」
「そうかもしれない、それが喜劇ならね」
そう言ってウィリアムは立ち上がった。ゆっくりとテレビの前に歩み出、その箱型の上に手を乗せる。
「……じゃあ悲劇の場合は?」
「それはウィリアムの方が詳しいだろ」
「僕か……僕なら、主人公に何を背負わせるかを考える」
ウィリアムの体でテレビ画面の大半が隠れる。ウィリアムの胴体を虹色の光がチカチカと照らす。
「例えば親の死、友の裏切り、未知の力。何かのストレスに晒した上で、主人公に究極の選択をさせる。殺すか、殺されるかだ」
「それっぽいな」
「じゃあ一つ考えてみよう、ベン」
ウィリアムは壇上の教師のようにテレビの上から手を離さずにこちらを振り向き、ソファに座り込む俺を見下ろした。その顔はどこまでも真剣で、こいつが何か重要な話をしようとしていることに気がつく。ぞ、と内臓が氷水にぶち込まれたような悪寒が俺の体を強張らせた。
「世界を覆す異能を持つ存在がいる。君は彼女を使ってどんな物語を作る?」
息を呑む。
ドッと手のひらが汗ばむ。
「……誰のことだよ」
「実験体の一人だよ」
さらりとウィリアムは答えた。
「先日、実験してね」
「実験、てのは」
俺の問いにウィリアムは大した表情の変化もなく続ける。
「異能と感情には大きな関係性が見られることが経験的にわかっている。心的な衝撃を伴うような例が多いね。心的、とはいえそれらは全て脳の反応だ。つまり、脳に特定の刺激を与えることで疑似的に感情起伏を体験させ、異能の発現を促すことができる」
「それはお前の論文の……」
「うん。で、彼女で実際に初段階異能発動観測――異能発現に成功した」
そこまでは良い、とウィリアムは視線を逸らして遠くを見遣る。
「……異能指数が高すぎるんだ。あれじゃ国の戦力どころか国そのものが滅びる。子供ってところが大きいね、自我がないし、意思もない、知識もない。戦力として扱うには良い人形だろうけど、あれは大人にも使いこなせるものじゃない」
「話が読めてきた」
ウィリアムの横顔を眺めつつ、俺は胸元から煙草を取り出した。支給品の、ちゃっちいやつだ。一本咥えてマッチを擦る。揺らめく火が細い木の棒に似合わない大きさで灯った。片手で覆うように風除けをしながら、す、と真新しい煙草を吸い、それを煙草の先へと転移させる。途端、味気ない煙が口内に入ってくる。不味いったらありゃしない。ため息をつくように口端から煙を吐き出しながら、用済みになったマッチ棒を手首で振って火を消した。
「その異常な実験体を政府に渡さないようにしたいんだな? お前は異能研究への好奇心からこの仕事についちゃいるが、戦争に加担したいわけじゃない。で、たまたまとんでもねえ実験体が手元に来たから、そいつをどうにかしたい」
「ちょっと違う」
「違うのかよ」
「ベン、僕はさっき言ったはずだよ」
ウィリアムはどこか楽しそうに笑った。わんわんと戯言を言い続けるニュースキャスターを白衣で遮りながら、奴は俺へと向き直る。穏やかな土色の目が質の悪いテレビの光を僅かに映し込んで、七色の歪な輝きを灯す。
「君なら彼女でどんな物語を作ろうとするか、ってね。僕の答えはこうだ――彼女はいずれ政府の手に渡る。そして、世界を滅ぼす。それを約束された存在だ。だからそれほどの力を有している。だから、ここにいる」
「約束された、って、そりゃ逆だろうが。力があるから世界を動かすんだ、世界を動かすために強大な力を持って生まれてくるわけじゃねえ」
「彼女はそうなんだよ」
ウィリアムは笑っていた。微笑んでいた。見慣れた友人の表情だ。けれどなぜか気圧されながら、俺は煙草の煙を吐いた。ふわりと上がった灰色がウィリアムの姿を薄ぼんやりとさせる。それだけで少し安心した自分が、心のどこかにいた。
「僕達は物語の一部なんだよ、ベン」
ああ、その話か。
「全ての人間が、物語の一部だ。この世界は舞台なんだ。この丸い舞台の上で、僕達は無限の物語を演じている。なら彼女が紡ぐのはどんな物語か? 全てを壊す物語だ、本来あってはならない物語だ。なぜならそれは、”舞台の外にも影響する”」
舞台の、外。
「物語の鉄則は、舞台の外の次元には干渉しないことだ。物語の中で連続殺人が起こった時、物語の中以外の場所で犯人が捕まってはいけない。本の中で生き別れた兄妹が本の外で再会してはいけない。けど、彼女は違う。彼女がこの世界を壊すということは、舞台そのものが別物になるということだ。この世界で紡がれる全ての物語が消失するということだ」
「まあ落ち着けよ」
煙草を手に取って、俺は努めて悠然と言った。
「それは話が飛躍し過ぎてんだろ。世界を揺るがす天才ってのはいつの時代にもいる。宗教だって音楽だって絵画だって、世界の流行をガラリと変えた奴はごまんといる。異能の天才がいたとして、それが世界の破滅に繋がるとは限らねえと思うけど」
「それが本来そこに生まれるべき命だったならね」
「あ?」
「君を呼び寄せる前に、事前に連絡を取った相手がいる」
ウィリアムが白衣のポケットに手を突っ込んだ。そして、無造作な仕草で折りたたまれた紙を取り出す。適当に突っ込んでいたからか、軽く丸められていた。
「予言の異能者だ。その人に彼女のことを視てもらった」
「……ああ、どこかにそんな奴いたな。会ったことねえけど」
ウィリアムが黙って紙を差し出してくる。煙草を手にしていた手は塞がっていたので左手で受け取った。指で紙を広げる。
"Nowhere."
――どこにもいない。
「……は?」
「それが予言――彼女の過去、今、そして未来だ」
俺はウィリアムを見上げた。きっと酷い顔をしていたことだろう。口をぽかんと開けて、目を丸くしたまま見上げてくる男が一人。そんな間抜け面が目の前にあるにも関わらず、奴は笑みをたたえた顔で、けれど何かを腹に決めたような真っ直ぐな眼差しで、頷いた。
「彼女はこの世界のどこにもいない。元々存在すらしないはずの、異分子なんだ」