第3幕
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クリスの言葉に中也は黙した。そして、たっぷり一呼吸後、思いきり眉をしかめる。
「……はあ?」
「奴らが誰かはわからないけど、標的は君じゃない。だから逃げて」
「なぜ言い切れる」
「今、現れたからだ」
相手を刺激しないよう、微動だにしないまま二人は息を潜める。その間にもじりじりと彼らは距離を詰めてきていた。このままでは囲まれる。
「君が標的だったなら、君が一人になったところを狙うはずだ。わたしの場合も然り。相手は訓練されている、つまり無鉄砲に戦いを挑むような短絡さはない。わたし達のことも調べてあるだろう。でも、今、このタイミングでわたし達二人を包囲した。そのことから、彼らの目的がわたしや中原さんじゃないことがわかる」
つまり、彼らの目的は。
中也が気付いたように息を呑んだ。
「手記か……!」
「その通り!」
叫ぶと同時にクリスは腰へと両手を伸ばした。両手で二丁の拳銃を引き抜く。そのまま両腕を広げ、狙いをつけずに撃った。
銃声が二発。牽制のための、そして開戦を告げるための発砲音だ。
クリスが銃を引き抜くと同時に、中也は身を翻して階段を駆け上がっていた。数歩で上の踊り場に飛び上がり、建物に隠れていた人影にニイと笑む。そして間髪入れずに拳を握り込んだ。
「おらよォッ!」
中也の拳が放たれる。弾丸のように人が飛ぶ。陳腐な家屋へ豪快に穴が空き、土埃が立つ。
二人の突然の行動に敵は一斉に動き出すしかなかった。統率された動きが一気に乱れる。敵はクリス達の前に現れ、無防備にその姿を晒す。
その姿を見、やはり、とクリスは顔を歪めた。
黒い服に身を包んだ男達だ。見るだけでわかる。防弾チョッキに、国からの支給品である簡素な作りの銃器。
――あの紫眼がクリスに手記を手に入れさせるだけで満足するわけがなかった。
「……やはり情報が漏れていたか」
両脇から銃器が弾丸を放つ。ダダダ、と連続する発砲音が幾重にも重なる。構わず、まずは右方向へと駆けた。弧を描くように高く跳躍、宙返りをしつつ敵の上空を取る。逆さになった視界でこちらを呆然と見上げる姿を視認。全体の地形と敵の位置を把握しつつ、見下ろす頭上へ両手の拳銃を向ける。
「……悪いけど、生かして返せないんだ」
ザ、と小さな銀色の鎌が彼らへと降り注いだ。それは彼らに気付かれることなく、服の肩付近を掠めて切り口を作る。約一センチ程度のその小さな切り口に向けて一人あたり一発、計四発を撃ち込んだ。狙い澄ました銃弾は違うことなくチョッキの切れ目に潜り込み、彼らの体を縦に裂く。肩を裂き、肺を破き、心臓を抉り、内臓を突き抜け太股の太い血管を引きちぎった。悲鳴が上がる。強固な服の下で鮮血があふれ出る。
くるりと身を捻って着地、すぐさま踵を返して駆け出す。残るもう一つの集団へと接近、仲間四人を目の前で失った彼らは迷うことなくその銃口を向け乱射してくる。向かってくる銃弾全てを防御壁で食い止めつつ、氷でできたそれらを足場に宙へと跳躍、そして滑空、四人の中に滑り込む。突然至近距離に現れた敵へ混乱が生じる中、クリスは銃口をそれぞれ敵の喉元――服の継ぎ目であり最も防護服の効果が薄い箇所へと突き立てた。
重なる二つの発砲音。それが二度生じて、合計四つの銃声が擂り鉢状の地形へ木霊していく。
地に落ちた四つの死体の中央で、クリスは銃口を宙へ向けたままゆっくりと息を吐き出した。鉄の濃い臭いが肺に溜まっていく。嗅ぎ慣れた臭いだった。
足元の四人が全て事切れていることを確認、そのうちの一人に歩み寄ってしゃがみ、銃を地面に置いてナイフを手にした。服を切って剥ぎ、通信機を取り出す。片手でポーチから小型パソコンを取り出し接続、カタカタとキーボードを叩く。
地図の上に円が広がる。画面の端に次々と文章が並び、やがて図面の一ヶ所に点が表示された。彼らに指示を出している人間の位置だ。この場にはいない。擂鉢街の外、状況を達観できる位置にそれはいる。
「……少し遠いな」
呟く。ふと、物音に気がついて顔を上げた。
大群の足音だ。死体の向こうから黒い服の男達が駆け寄ってくる。クリスを挟むように、彼らは走ってきた。機器を仕舞いつつ銃を持ち直す。牽制のつもりで数発撃ったが、相手はひるまなかった。立ち上がり彼らに背を向けないよう後退しつつ銃を向ける。
「……人数が多い」
異能を使えばどうということはないが、不用意に手の内を見せるのは賢くない。遠方からこちらの状況を見られているのならば、この場にいる彼ら全ての首を刎ねれば良いというわけでもないのだ。
この身は誰にも観測されてはならない。
「どういうことだよこれは!」
中也が押し寄せてきていた敵を難なくぶっ飛ばし尽くし、階段の上からクリスのいる広場へと一足で飛び退いてきた。階段の方を向いたまま戦闘態勢を解かない彼もまた、湧いてきた敵の数に、そしてその姿に圧されている。
「軍警じゃねえか! なぜ国が手前の手記のことを知ってやがる!」
「……さてね。まあ、聞けば良いんじゃないかな」
「何?」
後退したクリスの背に背を向けるように中也が立つ。背中合わせになった二人を大人数が包囲し、機械じみた動きで銃口を向けてきた。
「……さすがにこの人数は厄介だぞ」
「中原さんでもそういう時があるんだ?」
「あァ?」
ピクリ、と中也が片眉を上げる。その気配へと背を向けたままクリスは目を細めて笑んだ。
「嫌なら逃げれば良かったのに」
「あの状況で逃げれるかよ」
「君ならできただろう?」
「俺も動くことを見越してたじゃねえか」
「君ならわたしを見捨てないだろうなと思ったからね。君はまだ、わたしをぶっ飛ばしていない。君にとってわたしとのこういう状況での遭遇はレアケースだ。せっかくの機会を逃したくはないだろうね」
人差し指を掲げつつ言えば、中也は苛立った様子で黙り込んだ。
「……チッ」
「というわけで提案だ」
聞こえてきた舌打ちを無視し、クリスは背を向け合ったままの相手へ朗らかに告げた。
「こいつらをぶっ飛ばして欲しい」
「あァ?」
「彼らの司令塔の居場所は見当がついてる」
クリスの言葉に、中也は顔を引き締めたようだ。
「本当か」
「勿論。さっき死体から通信機を盗んで調べた。見る限り彼らの中に指示を出している人間はいないようだったからね。――組織の要は組織の頂点だ。統率できている組織ならなおさら」
「なるほど? 俺がこいつらをぶっ飛ばす間に手前がボスをぶっ飛ばす、ってことか」
「良い案でしょう?」
中也は笑った。鼻で馬鹿にするように短く笑い、そして。
「ふざけんなよネズミ野郎」
くるりとクリスの方を向いて不機嫌そうに顔をしかめた。クリスもまた中也の方へと顔を向け、きょとんとそれを見返し、暫し思案、しかし何もわからないままこてんと首を傾げる。
「何が?」
「何が? じゃねえよ。手前、そいつんとこに行ったふりして逃げる気だろうが」
「勿論」
「このネズミ野郎……!」
「この後大事な約束があるんだよ。必ず行かないといけない。だから君に全部任せようかと」
「さも当然のように言うんじゃねえ!」
クリスは目の前の怒り顔をまじまじと見つめた。
「……駄目?」
「駄目もクソもあるか!」
「駄目か……でも凄いな。太宰さんから、中原さんは目の前に赤い布か敵をぶら下げておけば勝手に戦ってくれるって聞いてたのに」
「俺は闘牛じゃねえ!」
「じゃあ何?」
「な、何……何ってそりゃ……何だろうな……」
「兎か馬かマントヒヒか」
「何だその三択は!」
「両手を挙げろ」
日常会話を行い始めた二人を遮るように、低いしっかりとした声が聞こえてきた。クリスと中也は知り合いに名前を呼ばれた時のように気負いのない様子でそちらを見る。軍勢の中から一人、前に進み出た人がいた。
「今すぐ両手を挙げろ。これは警告だ」
銃口がこちらを見据えている。じわり、と包囲が近付いて来る。お遊びはここまでのようだった。
「……中原さん」
「知るか」
中也からの返答は素っ気ない。はあ、とクリスは大きくため息をついて項垂れた。仕方ないか、と頭を掻く。
「間違って死んだら責任取ってよね」
「安心しろ、骨まで砕いて海に捨ててやる」
「それは良い、最高だ」
軽口を叩き終わった、瞬間。
――ドゴオッ!
地面が大きく波打った。それは、クリスの足元から発生し、周囲へとひび割れを伴って広がっていく。誰もが膝を曲げ、地面に手を付いた。が、その地面が割れ、浮き立ち、彼らへと降りかかって圧する。
瓦礫が舞う。地面を抉って飛び出してきた岩が、無数に宙を滑空しその場にいる全員を襲った。広大な重力操作の場。無駄話をしている間にクリスが中也の足元の地面を広範囲に抉っておいた。中也の異能は触れさえすれば発動する。一つの固体として中也の支配下に置かれた地面をその後砕けば、無数の塊が中也の意志通りに宙を飛び交い敵を襲うようになる。
「何……!」
誰かが叫ぶ。その声に、中也が高らかに笑う。
「ネズミも犬も、まとめてぶっ飛ばしてやる」
だから嫌だったのだ。鎌鼬と防御壁で岩塊の嵐を防ぎつつ、クリスは舌打ちを我慢する。
この作戦で問題なのは、クリスもまた中也の異能が発動するその時まで勢力内に留まらなければいけないことだった。中也に声をかけたが「手前の異能で自己防衛でもしてろ」と言わんばかりに「知るか」と言い捨てられてしまったので、自分で対処するしかないのだろう。現に今、中也はクリスにさえも岩塊を容赦なくぶちこんできている。この程度でクリスが死ぬはずもないという確信なのだろうが。
ぐ、と銀の刃が無数に入り乱れる宙を睨み上げる。
「――ッ!」
防御のために繰り出していた異能を解除し、今度は足に風を纏って跳躍。襲いかかる瓦礫に着地、不規則に高速で飛ぶそれからすぐさま跳び上がり、さらに高い位置の瓦礫へと飛び移る。無闇に異能を使えば瓦礫を巻き込み中也の重力操作とぶつかり合う。余計な手間はしたくない。
最後の跳躍、瓦礫の群れの上へと出た。すぐさま風を呼んで体勢を立て直し、薄氷を生成、それへ足をつけると同時に突風を纏い一直線にそちらへと向かう。
地へとその先を向ける尖塔――骸砦。
擂鉢街を見渡すその麓に立っている、一つの人影。
「――見つけた」
突風は瞬間移動のようにクリスをそこへ運び込んだ。骸砦を背後に、目の前に黒い服と黒いキャップ帽に身を包んだ男がいる。瞬きの間に眼前に迫ったクリスから逃げようとするそれへ、手を伸ばす。
「……ッ!」
男が銃を取り出す。拳銃だ。避けることは可能。しかしその銃の形状に、クリスはハッと息を呑む。急ぎ男との間に防御壁を球状に展開、全身を包み込んだ。
銃声。透明な壁がゆらりと波紋を描く。
――銃弾はない。シャボン玉に息を吹きかけたかのように、防御壁上に歪みが生じただけだ。
「音響銃……!」
資料で見たことはある。けれど実在するとは思わなかった。音波で脳を揺さぶる、銃弾なき銃。中也や賢治のように銃弾が効かない異能者は多いが、音の振動を防げる異能者は限られる。
幸い、ホーソーンから学んだこの防御壁を形成する層の一つは真空層だ、音を遮断できる。だが音は宙を無限に広がる。その効果が消えない限り全身を防御壁で覆うしかなく、その間相手には触れられない。
何だって、と男が防御壁の向こう委で声を漏らしたようだった。音響銃が防がれるとは思わなかったのだろう、大げさなまでに身を引いて驚きの感情を露わにする。
陽気さと素直さを思わせるその動作に、見覚えがあった。
「――え?」
記憶の底からその姿を思い起こす。背丈、体格、癖。全てを思い出し、そして目の前の男に重ねる。
一致した。
「……そんな」
先程必死に飲み込んだ汚泥が、またせり上がってくる。
信じていたものが信じていた通りではなかったあの衝撃が、悲しみが、また。
――心を裂く絶望の旋律はまだ、止んでくれない。