第3幕
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沈黙が数分の時を支配していた。
項垂れたまま、クリスは何も言わない。微動だにしない。けれど言い訳を必死に考えている、などというような無言ではなかった。
その姿は、緊張の糸がぷつりと切れた人形を思わせた。微かに残っていた動力でようやく動いていただけの、機械人形。先程までの華やぐ少女の姿はどこにもない。
「……油断、していました」
ぽつり、とようやく聞こえた声はか細かった。
「……邪魔になるだろうから外せ、って言ってわたしからポーチを手放させて、火を見ることに夢中になっている隙に居間を片付けると偽って搭乗券を盗み出した……油断していました。あなたなら、わたしを陥れないと……根拠もないのに、そう思っていました」
「クリス」
「そう、ですよね」
国木田を遮るように言うその声は虚勢じみた笑みで震えている。
「裏切らない人なんて、どこにもいないんですよね。わかっていました、だから今まで失敗したことはなかった。失敗してはいけなかったから」
「……すまなかった」
「謝る必要なんてありませんよ。あなたは当然のことをしただけです」
顔を上げ、クリスは微笑む。
「探偵社はわたしを特務課からの依頼という形で監視している。逃がしたら大変な騒ぎになります。わたしの動向を監視するのは当然の行為です」
「違う、これは」
「上手く隠せると思ったんですが、探偵さんはやっぱり凄いですね。完敗です。ああ、追跡は不可能ですよ、対策してありますから。飛行機ですからもしもの時は乗客全員を人質にできますし、無理に手を出さない方が良いと思います」
国木田に何も言わせないとばかりにすらすらと言い、彼女は道端で出会った時のような親しげな笑みを国木田に向けてくる。その言葉は紛れもない脅しだ。そして、その笑顔が意味するものは――不信だ。
ずぶりと大きな刃物が胸に突き刺さる。後悔に似た焦燥が全身を駆け巡り体温を下げる。
「クリス」
名を呼ぶ、身を乗り出す。
――それしかできなかった。
眼前に突きつけられた包丁の切っ先に、国木田は息を呑む。前屈みになった国木田の顔の真正面へと、クリスはそれを向けていた。国木田が気付いて動きを止めなければ鼻先か頬か、もしかしたら眼球を傷つけていただろう。台所から持ってきたのを、今まで背中に隠していたのか。
先程国木田と二人で交互に使った刃物を、今度は国木田へ躊躇いなく向けながら、クリスは笑みを僅かに歪めた。
「……あなたを信じすぎて、ナイフの一本も身につけていなかったんですよ」
その言葉に、一瞬目眩を覚える。
――引き留めろ。血まみれにさせてでも、絶望させてでも、息の根を止めてでも。
あの言葉が脳内を木霊する。
「相手を根拠なく信用しきって、武器を身につけないまま、手を読まれて……初歩的なミスです。笑っちゃいますよね」
そう言って、実際に彼女は笑う。目を細め、眉を下げ、口で弧を描きながら。
「馬鹿みたい」
――白い小さな花が、強風にしなり花弁を宙へと引きちぎられるように。
ドッと血流が全身を逆流する。心臓が何かを叫ぶ。その声を聞くよりも先に、動き出す。
包丁を持つ彼女の右手を弾くと同時に手首を掴み、前傾姿勢、手を伸ばして彼女の制圧を試みる。
「……ッ!」
肩を掴まれると察知したクリスは回避すべく体を引き、畳に下半身を滑らせて国木田の足元を崩しにかかってきた。国木田の体の下に滑り込ませた足で国木田の膝を蹴って体勢を崩させ、そのまま膝を曲げて国木田のみぞおちに叩き込む。
「ぐ……!」
苦しさに気が一瞬遠のく。その一瞬のうちにクリスは手首を掴む国木田の手を振り払った。左肘をついてそれを軸に回転、床に水平なその体勢を維持したまま国木田の下から抜け出し、半身返して体勢を立て直そうとする。
しかし、それを国木田は読んでいた。
軸になっていた彼女の肘を掴みつつ、自身の上体を反らす。懐へと引き寄せれば、体勢の立て直しが間に合っていなかったクリスの体は呆気なく国木田へと傾いてきた。
咄嗟に構えてきた包丁を左手で再度逸らし、同時に右手を伸ばす。その先で、クリスは驚きに目を見開いている。
間近に迫った青が、何かを決意して剣呑に輝く。