第3幕
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[Act 3, Scene 15]
福沢の快気祝いの次の日、クリスはそのビルの前に立っていた。見上げるほど高い、港町にそびえる建築物。その入り口には「マナセット・セキュリティ」の文字がある。ただの警備会社だ。〈神の目〉というシステムを開発し所持している、ただの傭兵集団。以前にも立ち入ったことのある建物。
なのにどうにも今回は、立ち入るのに気力が要る。
「……行こう」
自らに言い聞かせる。数歩歩み寄った先で、自動ドアが開いた。歓迎するかのようなその動きに息を吐く。
怯えているわけではない。緊張しているわけでもない。この先にいる男に会うことを拒んでいるわけでもなかった。驚くほどに、彼への抵抗感はない。問題は、彼に――フィッツジェラルドに会いに行く理由だった。
受付に予約済みの来客であることを告げる。言われるがままロビーのソファで待つこと数分、腰の低い男性が「あの」と声をかけてきた。
「どうもこんにちは」
優しげな面持ちで、彼は礼儀正しく頭を下げてくる。確か〈神の目〉の開発者にして殺人の冤罪を着せられていた男性だ。
「こんにちは」
立ち上がりながら挨拶をにこやかに返し、手を差し出す。当然のようにそれを握り返し、彼は「改めてご挨拶させてください」と人の良い笑顔で言った。
「エクルバーグです。代表にはとてもお世話になっています。ご友人だとは知らず、先日は失礼をしました」
「お気になさらず。連絡もなく押しかけたわたしにも非がありますから」
「ささ、どうぞ。代表が待っていますよ」
まるで親しい相手を前にしているかのように、エクルバーグは片手で行く先を指しながら歩き出した。フィッツジェラルドがクリスを「友人」と称したからだろう。友人といえど、彼とは敵対しているようなものなのだが。
「代表には恩があるんです」
廊下を歩きながら、エクルバーグは楽しい思い出話をするかのような笑顔で言った。
「親友を殺した犯人として有罪判決を言い渡されそうになって……代表が、事件を解決して僕を助けてくれたんです。おかけで堂々と親友の墓にお参りできるし、本当に助かりました」
「その件についてはよく知っていますよ」
なるべく笑顔で相槌を打つ。
「……ご友人のお墓参りに、行かれるんですね」
「ええ。そりゃ、親友でしたから。良い奴でしたよ。たまに喧嘩することもあったけど、でも良い奴でした」
「……博士にとって、親友とは何ですか?」
突然の質問に、エクルバーグは「ええッ?」と声を上げた。
「そんな急に……少し恥ずかしいなあ」
そう言いつつも、彼はその幸せそうに誰かを懐かしむ表情を保ち続ける。
「そうだなあ……どんなに離れていても、ずっと大切に思っていられる、そういう相手ですかね。たまに一緒に酒を飲みたいなとか、学生みたいに馬鹿騒ぎしたいなとか、そういう思い出に浸る行為を一緒にできる相手というか」
そうですか、とクリスは呟くように返す。脳裏に思い出すのは、あの優しかった白銀の人。
「……とても素敵ですね」
「マーロウさんはどうです?」
「え?」
「代表のこと」
そう尋ねてくるエクルバーグの顔は純粋な疑問しか浮かんでいない。からかっているわけでもなく、単純に、知りたがっているようだった。
「代表って前の会長とは違う怖さというか、畏怖というか、そういうのがあるんですけど、ご友人からしたら代表ってどんな方なんですか?」
ご友人からしたら、か。
思わず笑んでしまったのは、それが滑稽な言葉のように思えたからか。
「……そうですね」
悩むふりをしてから、クリスは肩をすくめながら冗談めかして言った。
「――厄介、ですよ」
「誰が厄介だと?」
突然聞こえてきた声にエクルバーグがビクリと跳ね上がる。腹の底から湧き上がってきそうになる笑いを堪えながら振り返り、クリスは「だって」と背後に立つ男に形の良い笑顔を向けた。
「こうして盗み聞きをしてくるじゃないか」
「盗み聞きだと? わざと俺に聞こえるように言った奴が言うことか」
「あれ、気付かれちゃったか」
「無論だ」
固まるエクルバーグをよそに軽口を叩き合った後、フィッツジェラルドは「来い」と先に歩き出した。どうやらクリスがただ遊びに来たわけではないことを理解しているらしい。話が早いのは良いことだ。
フィッツジェラルドは自身の部屋の戸を開け、先に入っていった。その横柄な背に続こうとしたクリスへ、そっと声がかかる。
「マーロウさん」
一瞬遅れて後を追ってきたエクルバーグが耳打ちしてきたのだった。
「……代表をよろしくお願いします」
驚いて振り返れば、エクルバーグはにっこりと笑いかけてきた。
「あの人とそうやって話ができるのはあなただけですから」
「……どういう意味?」
「僕達はあの人の部下にはなれても、友人にはなれません」
それでは、とエクルバーグは頭を下げる。ついてくる様子はない。この部屋に入れるのはフィッツジェラルドとクリスだけらしかった。人払いは既にしてあるということか。
改めて部屋へと向き、短く息を吐く。そして、開け放たれたその扉の向こうへ、歩みを進めた。