第2幕
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しばらくぶりの外は風が心地よかった。野次馬とパトカーが取り囲んでいるコンビニを少し離れた場所から眺めながら、クリスは髪を撫でていく風を感じていた。それはどこまでも吹いていく。何を切り刻むでもなく、ただ、触れ、運んでいく。
「クリス」
名を呼ばれ、そちらを向く。どこかに行っていた国木田が珈琲缶を手にして戻ってきていた。二種類のそれを差し出し「いるか?」と尋ねてくる。
「どちらが良い」
「……もらって良いんですか?」
「構わん」
「ありがとうございます。じゃあ……こっちを」
あたたかいそれを受け取り、しかし飲む気も起きずに手の中で転がす。それだけだというのに心もあたたかくなるような、不思議な心地がした。
あたたかい――それは人を和ませるものなのだろう。しかしクリスにとっては別の意味合いを持っている。
「……国木田さんにとって、異能とは何ですか?」
突然の問いに国木田は窮した。けれどそのまま黙り込むわけでもなく、なぜそんなことをと問い返すでもなく「そうだな」と低く呟く。
「……理想のための手段の一つ、か」
「理想ですか」
「そうだ。俺にはやらねばならんことがある。それを実現する方法の一つだ」
軽く掲げた手には彼の手帳がある。漢字が二つ縦に並んだ表紙が特徴的な彼の私物だ。そこに書かれている内容をクリスは知っている。盗み見たのだ。そこには国木田の思いが、意図が、夢が、所狭しと書かれていた。そのほとんどが美しく、素晴らしく――現実的ではなかった。
それを、彼は実現させるつもりなのだという。浪漫のある話だと思う。ただ、それだけだ。
それだけのはずだった。
「……わたしの演技力を異能のようだと言った人が、過去にいました」
思い出しているのは、敵として邂逅し、部下になり、やがて刃を向けたかつての長。
――誰もを否応なく引きずり込み、強制的に役を与え、やがて己が元々何者だったかすら忘れてしまう。これを異能力と言わずに何と言う?
彼はクリスに「魔性」という言葉を与えた。異能力と大差ないほどの才能、蜘蛛のように獲物を絡め取り、その脳を食す魅惑の魔物。単なる技術にしては超人的な、他者を狂わす絶対的な力。
これを褒めてくれた人がいる。凄いね、と言ってくれた人がいる。白銀の髪と土色の目が特徴的な人だった。
彼は死んだ。クリスの異能に引き裂かれて、目の前で死んだ。
「わたしにとってこの演技力を異能とするのなら、これはわたしの道具です」
演技力だけではない。【テンペスト】も【マクベス】も、諜報技術も人脈も、向けられる感情も優しさも、この手が使えるもの全てが道具だ。
躊躇いなどしない。
何であろうと糸で絡め取り、その脳を食らい、使役してみせる。
それが亡き友へのせめてもの懺悔だから。
「わたしはそれを全力で使います。夢を叶えるために」
「……夢?」
「叶わないまま消えた夢です。わたしが潰した夢でもあり、わたしにしか叶えられない夢でもある」
あの場所を、忘れることはない。あの光景を、忘れることもない。
赤、血の臭い、幾本もの腕と足、忘れられない体温。
あれは、故郷での出来事だった。小さな村にあった、大きな建物の一室。ガラス張りの天井を持つその大広間で行われた一方的な殺戮。「凄いね」と言ってくれたあの人を、「いつか君が僕の脚本で舞台の上に立つ姿を見てみたい」と言ってくれたあの人を、銀色の風は跡形もなく切り刻んだ。
それが成果だった。クリスという――村を模した実験施設で作り出された、人工的に攻撃型の異能を発現した異能兵器による、平穏の結末だった。
この身に秘められているのはあの国の実験成果、そして世界を再度異能戦争へと持ち込める秘匿技術だ。
これを隠すためだったら何だってしてみせる。あの人の夢を叶えるというもう一つの目的――幼稚で自己中心的な懺悔、それを実現するためだったなら何だってしてみせる。
例え、この人の理想というものを轢き潰してでも。
「……あなたの理想が、実現すると良いですね」
嘘を言ってでも。
「そういえば国木田さん」
口調をからりと変え、クリスは跳ねるように国木田を見遣った。陽気な仕草に二人を取り巻いていた雰囲気が一変する。これでもう、何の話をしていたか忘れてしまっただろう。それで良い、クリスの話など覚えている必要はない。
どうせ、いつかこの街も去ることになる。別れが決まっている相手を無駄に悩ませてはいけない。
「楽しんでいただけましたか?」
「何を」
「恋人ごっこ」
からかうように言えば、国木田は途端に顔を歪ませた。
「……心臓に悪い。今後は事前に……いや、事前に言われてもごめんだ。俺はああいうのには向いておらんのだ」
「あれ、でもなかなか良かったですよ、国木田さんの演技」
「そ、そうか? ……いや、頭が混乱していて自分が何を口走ったかすらよく思い出せん」
「ふふ、即興劇も楽しいですね。また遊んでください」
国木田が「もうごめんだ」と頭に手を当てたのを見、クリスは明るい笑い声を上げた。