第3幕
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***
豪華客船とはいえ、そこに集った仲間達の賑やかさが大人しくなるわけではなかった。与謝野は谷崎に絡み、そんな谷崎をナオミが色気のある動作でからかっている。鏡花と敦は仲良く食事を楽しんでいるようだったが、そこに乱歩が乱入して食べ物を奪い取っている。ケーキを奪われた鏡花に敦が自分の分を渡しているのが微笑ましい。鏡花もそれを半分にわけて敦と一緒に食べているのだから、この二人には穏やかな雰囲気がとても似合っている。
「で」
クリスは横にいる元同僚へと目を移した。
「こんなところにいて良いの? ポオ」
「むぐ?」
頬にチキンを頬張りながらポオが顔を上げる。その頭頂へアライグマのカールが「きゅッ」と飛び乗った。その毛並みの整った小動物の顎下を撫でながら、クリスはポオが料理を咀嚼する様を眺める。
「中原さんが君の本の中にいるはずでしょう? いつ本から帰ってくるかわからないのに、見張っていなくて良いの?」
「それは問題ないのである」
フォークを軽く振りながらポオはあっさりと言った。
「乱歩君が言うには、幹部殿はまだ帰還できそうにないらしいのだ」
「それはそれは……」
思った以上に可哀想な状況らしい。ポオの小説の中では異能は使えない。とはいえ素の戦闘力も高い中也にとってその辺りは問題ないだろうが、一番の難点は引きずり込まれた先が推理小説であることだろう。
むう、とあの帽子の似合う小柄な男を思い出す。推理、できるのだろうか、彼は。
「クリス君はあの幹部殿と知り合いなのであるか? 非常に気に掛けているようであるが……」
「いや、正直なところ中原さんには微塵も興味がない。仕掛けた盗聴器を回収するタイミングが掴めなくてね」
「そ、そうであるか」
「仕掛けるのが大変だったし、気付かれても困ることはないから、もう放置し続けて良いかなって思い始めてるんだけど」
それに、とそっとクリスは目を細める。
――手前、まさか、手前もなのか。
ギルドが仕掛けた民間人多数錯乱事件。あの事件の際、中也はクリスへとそう呟いた。あの続きを未だに聞けていない。気になるというほどでもないが、引っ掛かっているのは確かだ。
――この身もこの身に埋め込まれたものも、この世界にあってはならないものだ。
クリスのその言葉に、なぜ中也は「手前もなのか」と言ったのだろう。
「……化け物、か」
「うん?」
「いや、何でもないよ」
テーブルの上に並んだ皿に山積みになったモッツアレラチーズをフォークで一突きし、ポオの口元へ突っ込む。
「むぐ」
「はい」
「……どうも?」
不思議そうな顔をしつつもポオは素直にチーズをもぐもぐと咀嚼した。その頭上ではカールが不思議そうに首を傾げている。一緒に過ごしている人は性格が似るというが、その典型的な例だろうか。
「……なぜ笑っているのだ?」
「いいや」
何でもない、と言いつつもクリスは笑みを押さえられなかった。その様子を見、ポオはなぜかホッとしたように口元で弧を描く。
「……あ、そうだ」
ふと、クリスはフォークをテーブルの上に置いて、代わりにあるものを取り出した。先程からこれについての意見を皆に聞いて回っているのだ。ポオにも聞いてみれば、何かわかるかもしれない。
「それは……?」
「国木田さんからもらったんだ。防犯ブザーっていうものらしい」
「防犯?」
「そう、防犯。わたしが一番犯罪に近いのにね」
そんなことはさておき、とクリスは手に乗せたそれをポオへと見せる。点々とした目が可愛らしい、ピンクのクマだ。これを引っ張ることで頭頂部についている紐が引っ張られ、ブザーが鳴る仕組みらしい。
「ポオはこのクマを見たことある?」
「……は?」
「わたしは見たことがないんだ」
両手で包み込むように持ったそれを眺めながら、クリスは続ける。
「どこにいるのかな? 敦さんも鏡花さんも見たことがないっていうから、たぶんここら辺にはいないんだと思うんだけど……北米にいたかなあ? ピンクのクマ」
「……いや、いなかったと思うのである……」
戸惑いを表情に浮かべながらポオは呟くように言った。どうやら、彼も見たことがないようである。ふと横を見れば、料理を皿に移している賢治が目に入った。遠いところで育った彼ならわかることがあるかもしれない。
「賢治さん」
「あ、クリスさん。どうしました?」
「お伺いしたいんですけど、賢治さんはピンクのクマを見たことがありますか?」
「ピンクのクマですか?」
きょとんと賢治が目を丸くした。実は、と手の中の物を見せる。
「国木田さんからもらったんです。ピンクのクマなんて見たことがなくて、不思議に思っていて。日本古来の生き物なんでしょうか?」
「さあ……僕は田舎の生まれですし、クマに会ったこともありますけど、茶色とか黒とかばかりでした。これよりももっと目が鋭くて牙がありましたし。お肉も美味しいし毛皮も重宝するんですよね。うーん……都会の生き物なのかもしれませんね」
「でも敦さんも鏡花さんも見たことがないって……」
「そうなんですね。都会の伝説的な生き物なんでしょうか」
顎に手を当て、賢治は真剣に考え込む。
「国木田さんにもらったんですよね? なら、幸運を運ぶ動物を象ったものなのかもしれませんよ。金色のフクロウとか、金色の猫とか、都会には様々なものがありますから」
「なるほど……」
金色のフクロウに、金色の猫か。見たことはないが、何だか豪華そうだ。捕まえて売れば儲かりそうである。
「あ、あの、クリス君?」
そっとポオが声をかけてくる。見れば、物言いたげな様子でポオが「あの」と囁いてきた。
「その……盛り上がっているところでとても言いづらいのであるが……それは、その、幼児や女性向けのデザインであって、深い意味はないと思われるのである……」
「……え?」
ぽかんとポオを見つめる。
「……そうなのかな」
「おそらくは……我輩もこの国の文化に詳しいわけではないけど……」
「……そうか」
手の中の物に目を落とす。手のひらよりも小さいそれは、点と線で作られた愛着の湧く形をしていた。そういえばこの道具はか弱い人間を助けるためのものだ、ターゲット層受けの良いデザインにしていると見るのが自然だったか。
「残念、見てみたかったのに。ピンクのクマ」
「僕もです」
賢治と二人肩を落とす。わたわたとポオが慌てて「何だか申し訳ない」と謝ってきた。
「……ふふッ」
そっとそれを両手の中に握り込み、胸に当てる。ふわりとしたあたたかいものが、胸に宿っている。これの名を、知っている。喜びだ。自然と目元が緩み、心が安らぐ、感情を上向かせる優しい力。
「嬉しそうですね、クリスさん」
賢治が笑いかけてくる。ええ、と返し、クリスは笑みをそのままに目を閉じる。手の中の物を、それを渡してきた人を、思う。
この胸のあたたかさをずっと留めておくために。この笑みを誰の前でも保っておくために。
胸の奥に渦巻く絶望と悲鳴に耐え、誰に縋ることなく時を過ごすために。