第3幕
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***
人々が動き出し始めた街中へ、靴音を鳴らす。通りの角を曲がれば、そこに目的の喫茶店はあった。フードを深く被り直し、クリスは目的の喫茶店へと足を踏み入れる。いらっしゃいませ、と一様の笑顔を向けてくる店員を全て無視し、奥のテラスへと向かう。
カツ、カツ、と靴音が床を叩く。とある席に座る男の背後へと回り込みつつ、左手の中にナイフを滑り込ませた。
背後、男の死角に佇む。ナイフを隠し持つ手を突き出せば、難なく相手を刺せる位置。けれど男は、悠々とティーカップを手にした。
「どうぞお座りください」
「君と席を共にする気はない」
「おや、それは残念ですね」
ス、とカップに口をつけ、ドストエフスキーは紅茶を一口啜る。その余裕は殺されないという自信だった。確かに、情報を何も吐いていない相手を殺すようなことはできない。それを逆手に取られているのだ。舌打ちを堪え、苛立ちを押し込めるように両手をポケットに入れる。
「勘違いしているようだけど、わたしは君から話を聞きに来ただけだ。仲良く談笑しに来たわけじゃない」
「そうでしたね」
背中越しに会話をする二人の姿に、店員達が戸惑ったようにこちらを見てくる。フードの下からひと睨みすれば、慌てたように他の客の元へと散っていった。これでしばらくは誰も近くに寄って来ないだろう。
「簡潔に答えろ。君は何を知っている」
「あなたには大切なご友人がいたとか。何でも、亡くなった彼の作品を彼の名で発表しているというではありませんか。健気なことです」
「……なぜそれを知っている」
「風の噂で少々。ネズミというものは至る所に耳を張り巡らせていますから。――〈赤き獣〉としてあなたに屠られた彼の無念は計り知れないでしょうね。その願いを叶えるために命を危機に晒してでも世界を巡り行く……素晴らしい友情です」
平然とそう言うロシア人の後頭部を睨み付ける。ウィリアムの脚本のことも、彼が〈赤き獣〉として死んだことも、それを下したのがクリスだということも、知る者は限られる。これらの事実が白日に晒されることがどんなに危ういことかを知っているはずのギルドメンバーが、よりによってこの男にそれを伝えるとは思えない。となると別の方法でそれを知ったか。
ならばこの男がそれ以上を知っている可能性も十分にある。どこまで知っているかはわからないが、もしクリスが異能実験の成功例であることすら知っていたのなら。
ぐ、とポケットの中で手に隠し持ったナイフを握り締める。微かな痛みが手のひらを刺激した。
まだ決めつけるには早い。探りを入れないといけない。奴がどこまで知っているか、隠さねばならない情報がどこまで外部に漏れているか、把握しなければ。
「……君からまだ必要な情報をもらっていない。無駄話をするつもりはないんだ」
「ああ、”真実の在り処”の話ですか」
のんびりとドストエフスキーは言う。底冷えのする、雪に埋もれた冬の街を思わせる声だった。
「焦る必要はありません。あなたは既に、それを知っていますから」
「簡潔に答えろと言ったはずだけど」
「そうでしたね、これは失礼。――ではお伺いしますが、あなたは過去に”手記と呼ばれる、異能の込められたチップ状の記録媒体”を見たことがあるのでは?」
氷の吐息がそれを告げてくる。
手記。
異能の込められた、記録媒体。
「……それは」
――そのチップを探し出し奴に渡すことが、奴から〈本〉についての情報を聞き出す条件だ。
高慢な声が聞こえてくる。資料に載っていた小さなチップ型記録媒体を思い出す。
あれは確か、ギルドで初めて関わった任務の時。クリスはフィッツジェラルドに命じられ、異能が込められたチップ状の記録媒体を敵対組織から奪い取った。
まさか、あれが。
「……それが、何だ」
低い声で平静を装う。心臓が脈拍を速めていた。興奮ではない。これは怖気、寒気だ。
知ってはならない真実を、今、聞こうとしている。
「それが”真実の在り処”ですよ」
男は笑む。
「あれは手記――とある研究者が書き記した、とある異能研究についての記録書だそうです」
息を呑む。
喉に声が詰まる。
瞠目する先で、男は悠々と紅茶を口にした。言葉が脳内を駆け巡る。何度も何度も耳元に聞こえてきては、からかうように消え去っていく。
研究者が書き残した手記。
とある異能研究の記録書。
真実の在り処。
「……まさか」
「ええ」
ドストエフスキーがカップを静かに置く。カチャ、と陶器が擦れ合う音が微かに鳴る。
「その手記には、あなたに施された異能研究技術について記されているのですよ。誰にも知られてはならないはずの、世界を戦争へと導く技術の詳細が」
「嘘だ」
断言し、唇を噛む。嘘に違いなかった。この身に与えられた技術は英国の極秘情報であり、世界を震撼させる最先端の戦争技術。誰の手にも渡ってはいけないものだ。漏洩するはずがないし、漏洩させるはずもない。利の全くない、危険行為だ。
「やはり信じませんか。まあ実物を見れば納得せざるを得ないと思いますが……その前に一つ、親切心代わりにお教えしましょう」
背中を向けたまま、ドストエフスキーは人差し指を立てた。謎解きをする人間のように、何か目に見えないものをその指に留めるかのように、宙を指す。
「彼の本当の願いは演劇ではありませんよ」
「……何を言うかと思えば。会ったこともない人間について妙に詳しいみたいだけれど」
「間違いではなくとも正しくはない、という話です」
男は笑う。絶えず、その薄い笑みを浮かべ続ける。
「なぜ言い切れるのか。簡単なことです。――ぼくが知っている情報は全て、白銀の髪の英国人が遠い昔にぼくの知人へ告げてきた話ですから」
瞬間。
息が止まった。音が遠ざかる。視界が白む。
「……え」
白銀の髪の、英国人。
――クリス。
声が、あの笑顔が、呼んでくる。
「……白銀、の」
声が詰まる。震える。
この男は、確実に、ウィリアムを知っている。でなければあの独特な身体的特徴を言い当てられるわけがない。つまり――ドストエフスキーの言っていることは、全て正しい。
まさか、という一言が頭を駆け巡る。
まさか。
「〈赤き獣〉についても、手記についても、その内容も、全て彼本人から聞いた情報ということです。……あなたならもうおわかりでしょう」
「嘘だ」
「国の外に持ち出されてはならない研究内容、それが記された手記。異能を施してまでチップにそれを書き留めた理由は一つ、国外に持ち出すため。ではなぜ国外に持ち出す必要があるのか――答えは単純です」
「違う」
違うはずなのだ。誰にも知られてはならない、戦争と破滅を招く異能技術。それを記した手記の存在を、白銀の髪の英国人は――ウィリアムは外部へ流出させた。それが示す可能性、ウィリアムの狙い、それはきっと一つではない。一つだけであるはずがない。そのはずがないのに。
「……違う、はずだ」
呆然と立ちすくむ。辿り着いてしまった答えはどくどくと脈打ちながら頭の中を巡る。動揺が心臓を叩く。悲鳴じみたクリスの声に呼応するかのようにドストエフスキーの低く静かな声がそれを告げる。
「手記を作り出したのは、あなたに施した異能技術を外部に広く広めるため。そして、それによって世界に再び戦火を与えるため。つまり、あなたのご友人は――再びの異能戦争を望んでいる」
「嘘だ……!」
吐き出すように叫ぶ。フードごと頭を抱えて髪を握り締め、強く目を閉じる。既に輪郭を明確にした答えを「違う」の連呼で掻き消そうとする。それでも、消えない。
――いつか君が僕の脚本で舞台の上に立つ姿を見てみたいなあ、なんてね。
はにかんだような笑顔が、鮮やかな芝生の中、陽だまりに照らされている。
――良い子だね、クリスは。
「……だって」
――僕と友達になって欲しいんだ。
「……君は」
――僕が君を守ってあげる。
「……そんなことを望む人じゃ……ない、でしょう……?」