第3幕
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***
敦と芥川がアジトに潜入し、花袋を内部ネットワークへ導いた。そして今、花袋のその技術と異能でウイルス異能者プシュキンを見つけ出したという。現在炭坑内では敦達がプシュキンを追っている。
残るは、あと一人。
「……ドストエフスキー、か」
『今のところアジトへの外部からの接触はなしじゃ、国木田。ケータイの通信も電波も、何も感知しておらぬぞ』
別の場所でアジト周辺のネットワークを監視している花袋が定期連絡を寄越してくる。そうか、と国木田は頷いた。そばにエンジンを切った車が佇み、後部座席で福沢が目を閉じ腕を組んで座っている。微動だにしない師匠とは先程再会したところだ。与謝野の治療によりポートマフィア首領との決闘による傷は癒えているが、ウイルス異能の影響は未だ続いている。動けない福沢の護衛が、今の国木田の任務だった。
「内部の状況は」
『プシュキンは物凄い勢いで炭坑内を逃げておる。おそらくトロッコじゃ。もうじき監視カメラのデータの統合が終わる、アジト内部の見取り図が作り出せたら、奴の行き先がわかるはずじゃ』
花袋の声は浮ついている。今回の件は探偵社在籍時でさえ稀にしかなかったほどの重大な任務だ、興奮するのも仕方がない。落ち着け、と何度か言っているが、花袋の実力を侮っているわけではなかった。花袋はああだが、気が焦りすぎて好機を逃すような真似はしない。
むしろ国木田自身の方が、急いている気がしている。
「……時間が迫っている」
腕時計へと目を落とす。ポートマフィア首領も武術の達人である福沢も、ウイルス異能により動くことがままならない。周囲を圧倒するほどの権威と実力のある二人ですらそうなのだ、共喰いの異能の恐ろしさが嫌でもよくわかる。
そして。
――このままプシュキンを捕まえられなかったとしたら、すぐそばに陣を構えるポートマフィアが探偵社員めがけて雪崩れ込んでくるという事実も、わかっている。
その時自分は、どれほどの覚悟でポートマフィア構成員と対峙し、時に殺め、福沢を守り切れるだろうか。
『なんじゃあ国木田、顔色が悪いのう』
花袋が底抜けの声を上げる。大きくため息をついてやった。
「音声のみの通信機越しだぞ、俺のことは見えんだろうが」
『何、勘じゃ。大方、プシュキンが時間内に捕まらなかった時のことを考えておったのじゃろうて?』
「……今つくづくお前との付き合いの長さを思い出したぞ」
花袋は十年来の友人だ、それほど自分が把握されていると思うとどうにもこそばゆい。
『今のところプシュキンの動きは単調じゃ、先読みは容易い。安心せい国木田』
「言われずともわかっている」
『なら良し、じゃ』
花袋は得意げに笑う。ため息を返し、国木田は改めて木々の隙間から見える炭坑入り口を見つめた。
探偵社はポートマフィアと共に《死の家の鼠》のアジトを囲い込んでいる。地上だけではなく上空も、谷崎と賢治が見ていた。太宰は「一応ね」と言って敦や国木田達と通信を行いながらトラックで移動している。行き先は教えてもらえなかった。ウイルス型異能者プシュキンの対処が第一だというのに、異能無効化の能力所持者がこの場を離れているのだから困ったものだ。しかし太宰曰く「奴なら敦くん達で十分」らしい上、乱歩がいない今、太宰でないとドストエフスキーに接近することができないのも事実。ここは敦と太宰を信じるしかない。
それに、探偵社のみならずポートマフィアの目もあるのだ、例え敵がアジトからの脱出を試みたとしても逃れられるわけがなかった。《死の家の鼠》のアジトは炭坑跡だ、故に出入り口は限られる。
けれど、と国木田は終わりのない思考を続ける。相手はあのドストエフスキー。太宰がいつになく真剣に仕事に参加し、その命を危険に晒しすらした相手。未だ居場所が掴めず、しかしアジトでは次々とこちらを錯乱するかのように動きが見受けられていた。
『太宰さん!』
何度目だったか、上空の谷崎が通信機の向こうで太宰を呼ぶ。
『南東側から数名の武装兵が脱出移動中! 頭巾の人物を護衛しています!』
『無視だ』
谷崎の焦りを突き放すように太宰は冷徹に告げる。
『あの魔人の捕縛だ、手勢は一人も無駄にできない。無視だ』
「本当に大丈夫なのか、太宰」
思わず問うてしまったのは、谷崎と賢治の戸惑いが伝わってきたからだ。今まであらゆる場所から様々な人間達が出てきている。車、ヘリ、護送付き、どれも太宰は無視を命じた。だがもしその中にドストエフスキーがいたら。そんな不安は拭えない。
『問題ないよ、国木田君』
ようやく太宰の声に笑みが乗った。
『私なら、そうする。信用したまえよ』
ぐ、と言葉に詰まる。信用していないわけではない。太宰は自殺ばかりを試みる馬鹿だが、その頭脳には一定の評価をしている。だからこそ、彼女を太宰の元に行かせたのだ。
――本当は、すごく怖いんです。
そう言ってクリスは笑っていた。震える両手を握り締めて、笑っていた。
あの笑顔に、何も言ってやれなかった。
わかっている。彼女には国木田に言えない事情がある。それを太宰は察することができる。だからこそ、国木田は太宰にクリスを託した。
クリスは国木田を頼らない。彼女にとって国木田はその程度なのだ。わかっている。そんなこと、以前からわかっている。
けれど。
せめて彼女の行き先だけでも、知りたかった。太宰に聞いても「やはり追跡し切れなかったよ」としか返って来なかった。太宰が止めなかったのだから危険な場所ではないのだろうが、けれどやはり意地でも聞き出すべきだっただろうか。ぐるぐると後悔に似た思考が止めどなく頭を駆け回っている。
『……太宰さん!』
谷崎の叫び声が耳をつんざく。ハッと我に返った。
『戦闘ヘリが東から接近中です! 国籍不明ですが、もしあれに乗って脱出されたら僕達の装備では追い切れません! 軍警に応援要請しましょう、軍用機なら追えるはずです!』
『……谷崎君』
太宰の声が、僅かだが揺れている。
『今、地上に人影は?』
「……地上だと?」
思わず呟く。谷崎はヘリの話をしていたというのに、なぜ今地上を気にするのか。
『いえ、特には……』
『あ、今、麓近くに登山客がいますね』
戸惑う谷崎とは反対に、賢治がいつも通りの声を上げる。
『遮光帽子で顔は見えないんですが……西方向にのんびりと散歩してますよ』
『それだ』
太宰が唐突にその一言を告げた。ぞ、と全身の肌が粟立つ。
――ドストエフスキーを、捉えた。
『大至急、全員でその登山客を拘束するんだ。森さんの兵も動かせ』
『国木田!』
ザザ、とノイズが入り音声が乱入してくる。花袋だ。
『アジトの見取り図ができた! 今データを送る、これでプシュキンを挟み撃ちにできるはずじゃあ!』
ピピ、と手元の機械が受信を知らせてくる。パッと画面いっぱいに蟻の巣のような図が現れた。たくさん蠢いている点は生命信号を発信している見張り達だろう。その中で一人だけ、歩きとは思えないスピードで炭坑外へと向かう点があった。
プシュキンだ。行き先は、外への通路ただ一つ。
「太宰、今花袋からデータが届いた。プシュキンが炭坑から出てくる場所がわかったぞ」
『森さんにそのデータを送るんだ。今ドストエフスキーを捕らえた後、全員をそちらに送』
『だ、太宰さん!』
太宰の張り詰めた声を遮って、谷崎が動揺に染まった叫びを放つ。
『違います!』
違う。
何がだ。
『登山客です! 喉を潰されて、手枷を嵌められています! ――ドストエフスキーではありません!』
「……な、んだと?」
今、谷崎は何と言った。
違う、と。
ドストエフスキーではない、と。
それが示す事実はただ一つ。
――太宰が、ドストエフスキーの思考を読み損ねた。
「おい、太宰……」
通信機の向こうは沈黙している。それでも、問わずにはいられない。
「ドストエフスキーは、奴は一体どこにいる……!」