第3幕
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そっと瞼を上げれば、そこに人影は既になかった。ベッドの隅に人一人の痕跡が残っているだけだ。そこに残されたある物に気が付き、太宰は数度瞬きを繰り返した。
「……見舞いに来たわけじゃない、ではなかったのかな?」
手を伸ばし、それを拾い上げる。ちょうどその時、コンコンとノックの音が聞こえてきた。ひょこ、と看護師が入ってくる。先程谷崎との電話を阻害してきた看護師とは別の人だ。
「太宰さん、お加減いかがですかー?」
「やあお姉さん、おかげさまで。ちょうど良かった、一つ花瓶をいただけます?」
「花瓶? ……あら」
太宰の手にあるそれを見、看護師はにっこりと微笑んだ。
「白いスミレだなんて、健気なお相手ですね」
「というと?」
「花言葉ですよ。はい、体温計。――スミレは純潔、貞節、小さな幸せ。白だとあどけない恋とか、初々しい感じなんですよ」
初々しい、か。
体温計を脇に挟みつつ、手の中の小さな花を見つめる。彼女がこれを置いていったのは、太宰への贈り物というわけではないのだろう。
小さな幸せ、純潔、あどけない恋。
――この微かな幸せが少しでも長く続いて欲しいのだという、一途で純真な祈り。
「お姉さん詳しいんですねえ」
「女の子は誰だって一度は調べるものですよ」
太宰が体温を測り終わるのを待ちながら点滴のチェックをし、看護師は「どんなお相手なんですか」と世間話の調子で尋ねてくる。ふふ、と太宰は思わせぶりに唇に人差し指を当てて微笑んだ。
「とても可愛らしい子ですよ。まさにこの花のような子で」
「あらあら」
「けれど私と一緒にいるのは嫌がられてしまうんです、照れているのか恥ずかしがっているのか、何にせよ困ったもので。……もしよろしければ」
す、と太宰は看護師の手を掬い上げる。
「この私の心の寂しさを、あなたに塞いでもらえませんか?」
――ピピッ。
まるで答えるように体温計が鳴り響く。これは果たしてイエスかノーか。
「はい、体温計返して下さいねー」
「……素晴らしい、そのブレない仕事ぶり! 輝かしい献身! ぜひ私と心中を」
「まずはその体にできた穴を塞ぎましょうねー」
「……じゃあその後に!」
「その後は退院手続きですねー。あ、花瓶を持って来なきゃ」
すたた、と看護師が部屋を出て行く。ぽつんと一人、太宰は静かな個室に取り残された。はあ、とため息をつき、手の中のものを見つめる。
「……後でまた誘ってみよ」
白い小さな花が、今にも萎れてしまいそうな儚さで咲いている。