第3幕
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[Act 3, Scene 12]
混乱する敦へ投げ技を一つお見舞いすることで、花袋の部屋は落ち着きを取り戻した。
「やはりマフィアビルを正面突破は難しいか」
国木田が顎に手を当てて考え込む。敦もまた、打つ手を失った現実に目を伏せた。
「鏡花ちゃんも芥川と戦って軽い怪我をしたみたいです……やっぱりポートマフィアと戦う以外の方法を考えるべきなんじゃ」
「乱歩さんが言っていただろう、無理だと。そして唯一の方法だった花袋も消された」
国木田の言葉は重い。
「……俺達にはもう手がない」
「そうとも限りません」
国木田と敦が顔を上げる。青白い光を放ち続けているモニターから目を離し、クリスは二人の視線を受け止めた。
「パソコンがまだ残っています。解析すれば、花袋さんが何を調べていてどんな手がかりを得たか、わかるかもしれない。それに隠しカメラをあらかじめ設置していた花袋さんです、敵がここに来ることを見越して他に痕跡を残してくれているかもしれません」
「確かに……!」
パッと顔を明るくした敦とは反対に、国木田は眉間のしわを深めてこちらを見遣ってくる。
「……関わるなと言っただろうが」
「花袋さんが調べていたのはギルドを利用しようとした相手のことです。わたしに無関係というわけでもない」
「屁理屈は良い、手を引け」
「花袋さんの異能で操作されていたパソコンですから並みの人には扱えないでしょう。わたしならある程度は探れます」
「クリス」
「ここまで来て黙って帰ることはできません」
国木田へと形の良い笑みを向ける。相手を安心させ、納得させる笑みだ。
「それに、ある程度の敵なら退けることができるので心配要りませんよ。……簡単に死にませんから、わたしは」
国木田は返す言葉を探すようにクリスをじっと見つめる。やがてそれは諦めたように逸らされた。自らの額に手を置き、「全く」と国木田は言う。
「……無理はするな」
「はい」
頷けば、国木田は物言いたげにクリスを一瞥した後ため息をついた。ポートマフィアと正面からぶつかり合う以外に方法の潰えた今のこの状況で、クリスの手を借りない選択肢は彼には選べない。けれどそれが彼にとって不本意であることは、誰の目から見ても明らかだ。
それでも彼に是と答えさせる理由が、クリスにはあった。それは彼らへの恩義とは別の、クリス個人の都合だ。
顔を上げ、国木田は敦へと指示を出す。
「敦、お前は玄関周りを見ろ。俺は部屋の中を見る」
「はい!」
敦が元気良く答えた。希望が残っているということに対する、純粋な喜びがそこにある。敦を見ていると、こんな状況だというのに諦めるのは早い気がしてくるのだから不思議なものだ。彼は粘り強い。太宰の行動を先読みし乱歩すらも手玉に取る未知の敵を相手にしているというのに、この状況下で未だ、ポートマフィアと争わない道を探そうとしているのだから。
敦が玄関へ、国木田が台所の方へ向かったのを見、クリスもまた改めてパソコンの側へと歩み寄る。モニターに映し出された映像を数分戻し、そこに映った来訪者を凝視した。
ストレートの黒髪、異国の服装。血の気の薄い色白の顔に、目の下の濃い隈。拳銃で人を撃ちながらも消えることのない薄い笑みが、この男の異様さを表している。
見知った男だった。フィッツジェラルドの元でこの男の顔と名を見た時の衝撃は筆舌に尽くし難い。
「……君が」
あれは確か、連続猟奇殺人事件が各所で起こっていた頃だ。劇場の近くにいたクリスを劇団関係者だと判断し、当たり障りのない感想を言ってきた紫眼の男。
――まるで物語の登場人物のようでした。
そう言ってその薄い笑みを向けてきた男。
「……また会うことになるとは思わなかった」
カタカタとキーボードを叩く。いくつものモニターが一気に各々のソフトウェアの起動画面を映し出す。花袋と同じことはできないが、似たようなことはできるだろう。花袋がした処理を履歴から検索、再現するのだ。
それぞれのモニターが別々の処理を開始する。それを見守りつつ、クリスはポーチから小型パソコンを取り出した。パソコンの一つに接続し、キーボードを叩く。目的のものがある場所も、それを引きずり出す手順も、わかっていた。迷わずトラップを潜り抜けコードを読破し奥へ奥へと突き進む。
最後に内部コードの一部を書き換えてエンターキーを叩けば、小型パソコンの画面は一瞬にして様相を変えた。黒一色の画面の中に鼠のマークが浮き上がり、下部に表示された二桁の数値が徐々に上昇していく。
やがてそれが百を示した時、鼠のマークはスウッと消え、代わりに白い横文字が画面へ書き込まれていった。
『お久しぶりです』
親しい相手へのメッセージのようなその言葉の一段下で、次の言葉を待つようにカーソルが点滅している。クリスはそれをじっと見つめた後、キーボードの上に指を滑らせた。
『わたしがここに来ることもわかっていたようだね』
最後にエンターキーを押す。点滅するカーソルが下段へと移動し、次の言葉を待つ。カーソルが動き出したのはすぐ後だった。
『お待ちしていましたよ』
黒い画面で静かな会話が形成されつつある。これは相手が密かに仕込んだ罠だ。クリスがここに来、データが詰め込まれたパソコンが一台も壊されていないことに違和感を抱くことをも見込んだ罠。
背後で敦と国木田が部屋を捜索している音が聞こえる。勘付かれないよう、静かにキーボードに触れた。
『君がドストエフスキーだったのか』
『ぼくのことを覚えていてくださったのですね。余興を準備した甲斐がありました』
『余興?』
『赤き獣はお気に召しましたか?』
ぴくり、と手が止まる。
〈赤き獣〉。
――クリス。
ぞっとするほど優しい声が記憶の底から聞こえてくる。どこからかいくつもの手が伸びてきて肩や腕を掴んでくる。首筋に生ぬるい液体が滑り落ちていく。見知った優しい体温が、肌を浸透し体内に染み込んでくる。
目の前に散る銀色の風と赤い塊。ぱたぱたと降り注ぐ赤い雨。
〈赤き獣〉。故郷で教え込まれた、人々を罪へと陥れる化け物。人の姿を失った、化け物。
――クリスが刻み殺した、大切な人。
「……な、んで」
ひくりと喉が呼吸を拒む。
何よりも恐れるあの光景が、以前ヨコハマで再現された。連続猟奇殺人事件と呼ばれたそれによりクリスは殺人犯として軍警に追われたが、探偵社の機転と協力により逮捕は免れ、代わりに今探偵社の元で監視を受けている。
あの事件の首謀者は森だったはずだ。だが、一つだけ解決していない点があった。殺人現場に落ちていた紙切れ、それに書かれた文言だ。
――今宵、赤き獣が降りた地にて。
〈赤き獣〉という言葉を知る人間は限られる。ギルドのメンバーのうち数人だけが知っている程度のものだ。森が知っているわけがなかった。
その言葉を、画面の向こうのロシア人は使った。
「余興」という言葉と共に。