第3幕
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***
クリスは森の寝室へと廊下を走っていた。肩から溢れる血は止まる気配がない。右腕は全く使い物にならなくなっていた。右腕だけではなく、落ち着いた場所で手当をしなければいずれ意識を失うだろう。先日多量に失血したばかりのせいもあってか、既に視界は白み始めている。けれどただひたすらに、傷口を押さえながら走り抜ける。
「ど、どうした?」
黒服の男が走ってくる血だらけのクリスに声をかけてきた。それへと緊迫した声で答える。
「侵入者です! 紅葉様が応戦されています、急いで救援へ向かってください! わたしはこのことを皆に!」
それを聞いた男達はすぐさま紅葉の元へと走っていく。尾崎紅葉という人物はなかなかに部下からの信用が厚いらしい。ならばこちらとしては好都合だ。
森の寝室へと急ぐ。頭に入っている見取り図のままに曲がり角を曲がった瞬間、黒服の男へとぶつかってしまった。
「……いッぁ……!」
衝撃が傷口へ響き、喉から悲鳴が漏れ出る。よろめいたクリスを、慌てて男が支えてくる。
「す、すまん、大丈夫か?」
肩を、知らない手が触れてくる。
――反射的にそれをはね除けた。
「うわッ?」
ここまで来れば紅葉のいる場所より森の寝室の方が近い。侵入者がいるという状況下で、森の警護ではなく紅葉の元へと向かわせるのは無理がある。
ならば。
左手にナイフを隠し持ち、素早く切り上げる。構成員仲間相手に無防備に晒された男の首筋から血が噴き出す。
男が倒れる様を見ることなく、駆け出す。ここからは時間との勝負だ。敵には通信機がある、ビルのいたるところにいる彼らに包囲される前に、彼らの首領の元へ辿り着かなければならない。傷の手当てなどしている時間はないのだ。
立っていた見張りへと危機を知らせる悲痛な声を上げながら近付き、心配そうに手を差し伸べてきた相手を首を近距離から掻き切り、先へと向かう。何度かはそれで切り抜けられた。が、分厚い大きな扉が見えてきたところで、見張り二人は迷いなく銃を向けてくる。
「侵入者を発見!」
――ダダダダダ!
散弾銃が襲いかかってくる。舌打ちし、クリスは近くの通路へと退避した。背中を壁につけ、撃ち鳴らされる銃声にため息を漏らす。
「……あともう少しだったのに」
さて、と傷口を見、右腕の動きを確認する。軽く痺れており、力は入らない。右手で武器を振るうことはできなそうだ。ナイフや拳銃は左手で使えるものの、敵が散弾銃持ちとなると射程距離的に不利。あまり異能の痕跡を残したくないので【テンペスト】の使用を避けていたのだが、さすがに打つ手が限られてきたようである。
「……仕方ないな」
あの二人だけは異能で倒すしかない。寝室に侵入できさえすれば、後は眠る人間が一人のみだ。
左手にナイフを握り込む。慣れた感覚に安堵を覚える。集中力を高めるように息を整え、唇を引き締めた。
――その時。
視界の端で何かが蠢いた。すかさずナイフを投げつける。
ビイィン!
床に突き刺さったナイフが細かに震えた。それへと鼻先を近づける、小さな丸い生き物の影。
「……猫?」
予期しなかった来客は、クリスの声に顔を上げて「ミャア」と答えた。
白地に黒と茶の斑の入った成猫だ。殺気立ったマフィアの本拠地内、しかも最上階で見かけるには奇妙な存在。その丸い目は血に濡れナイフを手にした人間を前にしているとは思えないほど落ち着いている。
殺すべきなのだろうか、とふと思う。ポートマフィアの誰かの飼い猫なのかもしれない。だとすれば隠しカメラや盗聴器等を仕込まれている可能性がある。小動物相手にも警戒してしまうのは、やはりこの生き物がポートマフィアビル最上階にいるという事実の不可思議さから来ていた。
クリスの疑心を知ってか、猫は媚びることも擦り寄ることもなくスタスタと元来た方へと歩いていく。森の寝室とは違う方向だ。
数歩先まで歩き、猫はくるりと振り返ってこちらを見つめてくる。ついて来い、ということか。
「……罠、か」
銃声鳴り響く場所へ自ら近付き見知らぬ人間を連れて行こうとする、その行動は野生の猫のものとは思えない。ちら、とクリスは廊下の向こうへと意識を向けた。銃声は途絶えつつあり、姿を見せないクリスを見張りが訝しみ始めたことが窺える。そろそろ他の構成員がこの場に駆けつけてくるだろう。そうなったらさすがのクリスでも苦戦では済まない。一度この場を離れて作戦を練り直す必要がありそうだった。
廊下の先で「どうするんだ」と言わんばかりにこちらを振り返る猫を見据える。
「……君を信用したわけじゃない」
クリスの言葉に猫は黙って前へ向き直った。四本足で足音もなく、真っ直ぐにどこかへ向かっていく。
軽やかな足取りの猫の後を、クリスは追いかけた。