第2幕
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犯人から指示された通り、自動ドアから最も遠い商品棚に隠れるようにクリスは国木田と男性店員と共に輪を描いて座っていた。そのすぐそばには男達がモゴモゴと顔を寄せ合って相談している。
外ではきっと市警が周囲を包囲しているだろう、ガラス窓に下がった幕の向こうから騒がしい気配を感じる。しかしこちらにいる犯人は銃を持っているのだ、今すぐには突撃してこない。さて、彼らはどうするか。
「あの、すみません、こんなことになってしまって」
店員が頭を下げてくる。名札を見れば「ふくだ」と書かれていた。フクダさん、と仮に呼ばせていただこう。
「フクダさんのせいじゃないですよ。対応は正しかったんでしょうし」
「そうだ、対応は間違っていなかった。全てはあの犯人二人が悪い」
二人から同時に言われ、感極まったのかフクダさんはまた涙を滲ませた。相当心にきているらしい。まあ、普通犯罪に巻き込まれたのならそういう反応になるのだろう。そこまで思い至って、クリスは自分もフクダさんと同じ様子を演じるべきだったのだと気がついた。犯罪に巻き込まれるというのがあまりにも予想外だったせいで一般人の演技をするのを完全に忘れていたのだ。
今から弱々しく泣き出したらさすがに奇妙なので、今回は腹の据わった舞台女優という設定で乗り切ろうと思う。
『あー、あー』
突然外から聞こえてきたのはスピーカーを通した男性の声だ。偉い人を思わせる野太い声は、自らの身分と名前、そして市警が包囲を完了したことを告げてきた。警察は立てこもり事件の常套である交渉作戦に出たらしい。上手くいけば犯人自らの降参、上手くいかなければ市警の突入がこの後に予定されていることになる。
『犯人の方、聞こえているだろうか。今すぐ人質を解放し、投降しなさい』
「市警は上手くやるでしょうか」
「何とも言えん。身を委ねるしかない」
国木田は犯人の様子を睨むように窺いながらクリスに答える。彼なりに隙を狙っているのだろう。しかしこういうのは時間が勝負の決め手となることが多い。根気の続いた方が勝つ、というそれだ。
「いつまで続くと思いますか、これ」
「長期戦は覚悟する必要があるな。こういうのは気張った方が負ける。二人とも体から力を抜いていた方が良いぞ」
「床で寝るのは久しぶりですが……」
「寝るな」
「どうしよう……」
余裕のある二人に対して、フクダさんはさらに身を縮こませて震えた。細い体がさらにか細く見える。
「自分……自分……両親に黙ってバイトしてるんです。今日も図書館に勉強しに行くって行ってバイトに来てて……時間通りに帰らないと……」
「おやまあ」
これはまた困った予定外だ。
「帰宅予定時間は?」
「六時です。家に帰るまでは三十分ほどで……」
ちら、と国木田が自身の腕時計を確認する。
「二時三十七分四十八秒」
「時間はあるとはいえ、それまでに解放されるとは言い切れませんね」
「そんな……うう、やっぱり無断でバイトなんかするんじゃなかった……」
「そもそもなぜご両親に言わなかった?」
国木田のごもっともな質問に、フクダさんは一瞬息を詰めた後、ゆっくりと息を吐き出した。
「……欲しいゲームがあって。でも両親は二人で定食屋をしててお金に余裕はないみたいだし、自分には妹もいてワガママ言える立場じゃなくて。だから、自分で稼ぎたかったんです」
お金がなければ盗めばいいじゃない、がクリスの座右の銘だが、この国の一般市民ではそう簡単ではないのだろう。しかし聞く限りでは「欲しいなら会社ごと買い取ってやる」などと言い出すような成金とは違い、物わかりの良さそうな良い親御さんだ。話をすれば聞き入れてくれると思うのだが。
この国の人間はどうにも遠慮が過ぎる。そのくせ意志が強いのだから奇妙なものだ。
「……心配させたくない、反対されたくない、傷付けたくない、いろいろあるだろうが」
国木田が口を開く。その声音は説教のようでいて、その実耳に染み入る穏やかさだ。
「親御さんとしては、息子に信用されていないという事実が何よりも心を傷付けられることだと思うがな」
その言葉を、クリスは呆然と聞いていた。
信用。
国木田ともあろう人が、奇妙な言葉を選んだものだ。信用など、大したものではないではないか。クリスにとって信用とは情報屋に抱くものであり、銀行に金を預ける時に抱くものであり、それ以上の意味は持たない。そんなものがなくとも人間関係は成り立つ。欺し欺され、裏切り裏切られ、そうして人は関わりを持ってはそれを捨てて次の居場所を探しに行くのだ。クリスにとってはそうなのだ。
なのに。
「あ……」
フクダさんは声を詰まらせた。
「……そうですね、そうですよね。すみません、そうですよね、ありがとうございます、すみません……」
泣き出したフクダさんに、国木田は不慣れな様子でその肩を叩いた。そこに嘲笑は一切なく、二人の間には感動に似た雰囲気が漂っている。その様子をクリスは静かに見つめることしかできなかった。
なぜフクダさんが泣いているのか、皆目わからなかった。
泣き止んだフクダさんは見違えるほど明るい顔をしていた。鼻息を荒くして拳を握りしめている。
「では、皆さんで協力して、この場を乗り切りましょう! ……とはいえ、作戦は特にないんですよね……」
大袈裟すぎるほどにがっくりと項垂れたフクダさんはどう見ても一般人だ。この状況で作戦が思いつけるような経験があるとは思えない。無論クリスは自分の能を国木田に見せるつもりはない。
となると、頼りはこの人だけである。
「……二人して俺を見るな」
「国木田さん、何か案ありませんか?」
「急かすな、今考えている。待てよ、確かあのページに……」
眉間にしわをよせて手帳をめくり続ける国木田の表情はだんだんと暗くなっていく。頼みの手帳にはこの状況に陥った際の対処法は書いていなかったのだろう。
じゃあ、とクリスは考え込みながら言った。
「ここはもう突撃しちゃいますか」
「それはなしだ。人質たる俺達は怪我をしてはいけない」
「じゃあ先に撃つ」
「先手必勝みたいに言うな」
「国木田さんによる説教タイム」
「俺を何だと思っている」
「通りすがりのダメ人間のフリをして説得?」
「……敦に聞いたのか」
「あ、爆弾! 爆弾で脅しましょう!」
「持ち合わせがない。しかもその方法ではこちらが犯罪者になりかねん。もっとこう、俺達に相応しい方法がないものか……」
「そういえば国木田さんって異能力をお持ちなんです? それ使ってぶん殴るとかできませんか?」
「俺の異能はそういう使い方をするものではない、むしろサポートに適している。あの二人程度ならば異能力を使わずとも叩きのめせるだろうが、銃があるとなるとさすがの俺にも手が出せん」
「なるほど、じゃあ相手に武器を使わせなければ良いんですね? 色仕掛けとかどうでしょう? やり方お教えしますよ」
「なぜ俺がやる話になっている!」
「わたし普通の一般人ですから、荒事はちょっと」
「ぐっ……」
「……冗談ですよ、だから真剣に自分の体見て悩まないで下さい。冗談ですから。他に方法ありますから。聞こえてます?」
冗談だったのだが真に受けてしまったようだ、国木田が青ざめた顔で黙り込む。そのつもりはなかったのだが、これほど真面目な人だったとは。からかうのはここまでにするか。
「何か、あるんですか?」
二人のやり取りに口を挟めないでいたフクダさんが訊ねてくる。頷けば、その顔は一気に明るくなった。
「……どんな方法だ」
「疑っています」とその青い顔に堂々と表しながら国木田が問う。少し、いやかなり茶化しすぎたかもしれない。比較的真面目な顔を作りながら、クリスは口を開いた。
「相手が武器を手放すか使えない状況になれば、国木田さん一人でなんとかなる……そういうことですよね」
「ああ」
「わかりました。やってみましょう。フクダさんにも少し手伝ってもらわないといけないんですが、よろしいですか?」
「僕ができることなら……」
「おい、何をする気だ」
国木田が眉間のしわを深めて身を乗り出してくる。詳細を言おうとし、少し考えた。全てを言うと、あまりにも非常事態慣れしていると思われるかもしれない。今のクリスは「腹の据わった舞台女優」なのだ、堅実な計画能力があると知られるのは今後に響く。とりあえずは、この危機を楽しんでいる舞台女優――そういう風に演じよう。
「ちょっとしたお芝居です」
言い、クリスは微笑んだ。相手を見定めるように、妖艶に、目を細める。真正面からそれを見た国木田が大きく目を見開いて固まった。上々、ここからこの場はわたしの――リアの舞台となる。
リア。
稀代の舞台女優。
その仕草は人々の視線を集め、その声は人々の魂を奪い取る。彼女を知る者達は言う。彼女に魅入られるのは人だけではないだろう、と。
「――神さえも目を見張る真の演技、それを皆様方にご覧に入れるまでのことですよ」