第3幕
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***
「糞ったれ!」
グシャと紙を握り潰し、中也は吠えた。
「二日だと……!」
先程、森が街中で襲われたという知らせが入った。エリスとの買い物の最中だ。森とてポートマフィアの首領、そう簡単に暴徒にやられるような未熟者ではない。敵は相当の手練れだった。現在ビルへと搬送されているが、傷の浅さにも関わらず意識不明に陥っているのだという。何らかの毒が盛られたのは明らかだった。
その敵からのご丁寧な案内状が中也の手元にあった。曰く、ポートマフィア首領と武装探偵社社長にそれぞれウイルス型の異能を植え付けたという。その異能は四十八時間かけて宿主の体内で成長し、やがて宿主を食い破ってしまう。
苛立つ中也の横で紙面を覗き込んでいた紅葉が、握り潰された紙を眺めつつ「ふむ」と呟く。
「異能が植え付けられてから四十八時間以内にどちらかの宿主が死ねば、異能は停止する……探偵社とポートマフィアを潰し合わせる奸計か、厄介じゃのう」
「くッそ!」
紙を握り締めた拳で机を殴る。今、会議室にいるのは中也と紅葉だけだ。森が不在である以上、幹部である二人で今後を選択し決断しなければならない。
選択、とはいうものの、これは実質一択だ。
「手口が太宰のそれと似ておるのう。選択の余地すら与えず、相手の意思でそれを選ばせる……黒幕は相当な輩じゃ、安直に手を選べば思う壺ぞ?」
「わかってます! けど、二日じゃ黒幕をぶっ潰すには時間が足りねえ!」
紙を机に叩きつけてガタリと立ち上がる。が、くらりとその体は傾いだ。よろめいた足が椅子を騒々しく倒す。目眩を抑えるように、額に手を当てた。
「……こんな、時に」
数日前に吸い込んだ毒の影響がまだ残っている。梶井の爆弾を餌に、ポートマフィアへ取引を持ちかけてきた女を思い出した。嘲笑と殺意を秘めた青の眼差しが脳裏に浮かぶ。ギリ、と歯を噛み締めた。
「あの女、ぜってえ許さねえ……!」
「あと一日は安静にせよと言われておるじゃろう、無理はするでないぞ」
「ボスが危機の時に休んでられませんよ、姐さん」
改めて顔を上げ、紅葉を見遣る。中也の発言を待つ静かな目を、見返す。
「やるしかねえ。……準幹部クラスを招集、指示を出します。姐さんはボスの警護を」
紅葉が頷く。元より自分達にはこの選択しかない。帽子に手を遣り、中也は姿なき敵を睨み付ける。
「――ボスは死なせねえ」
たとえその生に数多の犠牲が伴おうとも。
***
『ボスは死なせねえ』
ザザ、と雑音の入り混じる音声をイヤホンから聞いていた。
「……ポートマフィアは早速動き始めたか」
バサリ、と身につけていたドレスが床に落ちる。下着の上からブラウスを羽織り、上から順にボタンを留めていく。クローゼットから膝下程度の長さのズボンを取り出し、足を通す。ブラウスの裾を入れつつ腰上にしっかりと上げ、ベルトを締めた。
着替えを進めながらもクリスはイヤホンの音から意識を離さなかった。聞こえてくるのは、怒声混じりの指示を出す声。彼はどうやら、会議室を出た後階下の広間に向かっているらしい。
「向こうの動きがわかればいいな、程度にしか考えてなかったけど、まさかこんな形で使うことになるとはね」
盗聴器を仕込んであるのは、中也の帽子だ。先日取引現場で戦った際、こっそりと忍ばせてもらった。あの取引での成果は金ではなくこれだ。ポートマフィア幹部に直接接触し盗聴器を仕掛けられる機会などそうそうない。一応芥川の服の襟にもつけているが、階級が上である中也のものを聞いていれば大体は把握できるだろう。
バサリと上着を広げ、袖を通す。
「……福沢さんだけでなく森さんも、か」
二人の宿主のどちらかが死なない限り二日後に宿主を食い破る異能ウイルス。敵の詳細は不明、異能所持者についても不明。この状態では、互いに互いを潰し合う選択しかできない。なるほど、敵の狙いは福沢でも探偵社でもなく、探偵社とポートマフィアだったのだ。
ブーッ、とポーチの中で通信端末が鳴り出す。取り出して見れば、国木田からの着信だった。イヤホンをしていない方の耳に端末を当てる。
「はい」
『クリスか』
「どうしました?」
『社長の症状について詳細がわかった』
言い、国木田はウイルス型の異能が植え付けられたこと、福沢を救うには森を殺さねばならないことを告げてくる。
「ドストエフスキー、か……」
その名を反芻する。”鼠”――「共喰い」と呼ばれる今の状況を作り出した張本人にして、ホーソーンにあの伝言を言わせた主の名。
澁澤を唆してベンを殺した、顔も知らぬ仇。
――『あなたには力がある』。
知っているのか。クリスのことを。一体どこまで。
『太宰も撃たれた。今病院に搬送されている』
「与謝野さんの異能では治らなかったんですか?」
『太宰は無効化の異能者だぞ、与謝野先生の治癒異能は効かん』
「……なるほど、そう言われてみればそうか」
『太宰の方は命に別状はない。社長は検査のため異能に通じた病院に連れて行くつもりだ。……クリス』
改めて名を呼んでくるその声は、硬い。
『これ以上関わるな。ポートマフィアとの交戦が想定される。あなたは探偵社員ではない、今回はギルドも関係していない。巻き込まれる必要はないのだ』
ふ、と思わず笑ってしまったのは、国木田がクリスの動きを粗方把握していたからだろうか。確かにクリスは社員ではないし、今までと違いギルドも関係ない。しかし探偵社には恩がある。それを口実に関与しようとするだろうと、そう思われたのだろう。
「わかりました」
電話口の向こうへ、明るい声で返す。
「わたしも無闇にポートマフィアと敵対したくはありません。今回は探偵社のそばにいるだけで被害を受けそうですし、遠くからご無事を祈るだけにしておきますね」
『すまない』
「連絡も取らないようにしましょうか。傍受されたら厄介ですから」
『ああ。……クリス、実は、だな』
ふと、国木田の声の調子が変わる。真剣さが失せ、代わりにたどたどしく言葉を紡いだ。
『荷物を郵送したのだ』
「え?」
『直接手渡す暇がなくてな。後で見ておけ』
こんな時に、郵送物の報告とは。何か貸していただろうかと考えてみたが、思い当たるものはない。何はともあれ実際に見てみればわかるだろう。そう結論づけ、クリスは「わかりました」と返す。
「それじゃ、その……」
電話を切ろうとするも、締めの言葉がわからない。しばらく連絡が取れなくなるのだから何か言いたいのだが、こういう時人は何と言うのだろう。
悩み、ふと思いついたのは劇でのセリフだった。
「――どうか、ご無事で」
『……ああ』
微笑みの混じった声が聞こえてくる。ふわりと胸が高鳴った。そのまま、通話は終了する。端末を耳から離し、ぼんやりと見つめた。
「……送り出す側の言葉、初めて使ったな」
誰かと離れ離れになる時は多く経験しているが、ほとんどが予期せぬ出来事だったので、別れの言葉や見送りの言葉を言ったことはない。ギルドでは戦場に赴くことが多く、見送るよりも見送られることの方が多かった。
そして今回もまた、見送る側にはならない。
『……探偵社はもぬけの殻だと? チッ、どこかに隠れやがったか……そう遠くにはまだ行ってねえはずだ、探し出せ!』
耳元で中也が叫んでいる。それを聞きながら、クリスはポーチへと端末をしまい、他のポケットからナイフを取り出す。
「……さて」
照明にナイフが輝く。その光を見、目を細めた。