第2幕
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[Act 2, Scene 6]
ヨコハマは良い街だ。心の底からそう思う。食べ物が美味いし衛生的だし命を狙われても追い返せる程度の輩しかいない。仕事は順調、リアという舞台女優の名声が上がるにつれ、彼女の舞台作品とそれを生み出したとある脚本家の名も徐々に広まりつつある。そしてついに劇団は久し振りの黒字を記録した。
「順調って素晴らしい」
ショッピングモールの中を歩きつつ、クリスは一人満足していた。今日は劇団の座長の都合で劇場そのものが休みとなっている。いつもの休みなら持ち込んだ脚本の調整を座長と共に進めるのだが、それもできない。他にすることもないので、クリスは未だ把握しきれていないヨコハマの街を散策することにした。
そして今、クリスはショッピングモールなる場所へ来ている。
平日なためか人は少ない。が、ぼんやりと歩いていると誰かにぶつかってしまいそうなほどには客がいる。
「シュークリームがふわふわで美味かったし、さっき飲んだフルーツジュースも生搾り感が堪らなくって美味しかったし、お昼に食べた焼きそばはソースが濃ゆくって美味しかったし。美味しいって素晴らしい」
様々な店が集まって構成されたこの大きな建物は、案内板がないと迷うほど広い。しかも服屋のみならず電気屋も本屋も、そして飲食店も入っていた。ここに来るだけで一日を終えられそうだ。ヨコハマって素晴らしい。素晴らしすぎて感想が単調にならざるを得ない。
「上から順に回ってきたから、あとは地下一階フロアだけか。地下もあるなんて建築技術がすごいなあ」
地下はスーパーらしいが、ここまで満喫したついでだ、今夜の夕食でも買っていこう――料理をせずとも出来合いのものが安く手に入るという点も素晴らしい――そう思うも、クリスは先程アイスクリーム屋で広げた財布の中身を思い出し「あ」と呟いた。
「……お金、ない」
もともとここまで浪費するつもりはなかったため、現金はあまり入れてこなかった。足が付きやすくなるのでカード類は作っていない。仕方ないな、と銀行かATMを探すためショッピングモールの案内板を凝視する。
銀行は最上階にあった。なら外にあるコンビニの方が近い。この街は最高だ、convenience(便利)という名の店があるのだから。
「コンビニ行くか……」
外に出た途端、夕食の買い出しなどという食べ歩きとは異なる買い物に興味がなくなって帰宅の道を歩き始める可能性はないわけではない。が、その時はその時だ。
大きな自動ドアが勝手に開く様を物珍しげに眺めつつ外に出たクリスは、ここに来る間に見かけたコンビニへと向かった。店の前に立つや否や、ウィン、と入り口が開く。自動ドアというのは便利を追求し過ぎてやいないだろうか。足を止める間もなくドアが開かれる感度の良さ。ネズミにも反応するのだろうか、と毎度通るたびに思うことを今回も思いつつ、クリスは自動ドアを通って店内へ入る。
このコンビニは出入り口の左手側の壁沿いにレジが並んでいる。そしてそれは、出入り口からとても近い。
つまり客が店内に入った途端レジに並ぶ人々と目が合うわけで。
「……あ」
クリスと目が合ったのは、黒い服と黒い目出し帽と黒光りする銃を店員に構えた男達だった。
ああこれは世に言う強盗の初手。
後ろで自動ドアがウィーンと閉まる。逃げ遅れた――というよりは閉じ込められた感が強い。
「……何でこうなる」
クリスの呟きは、誰にも拾われなかった。
***
国木田はショッピングモールに来ていた。今日は非番だ。というのも、太宰にからかわれたせいで駄目になった万年筆が増え、新調する必要が出たからだ。
太宰のせい、というか太宰に苛立った自分がへし折ってしまったせいなのだが、根本的な話をすれば太宰のせいなのでその点は問題ない。
今日は平日だ。いつもより客の少ないショッピングモールの二階に文具屋はある。もっと格式高い店で買うのも良いのだが、太宰のせいで万年筆を駄目にする頻度が上がっている以上、あまり選り好みはできないのが懐事情だ。
がしかし、国木田は己の手帳にも記していない出来事に遭遇する。
「……金が足りんな」
そもそも今日万年筆を新調する予定などなかった。全てが予定外だ。苛々するのは決してカルシウム不足ではない。最近さすがに気になって毎朝牛乳を飲んでいるのでその点は問題ない。
「銀行……よりもコンビニの方が近いな」
銀行はこのショッピングモールの最上階にある。ならば地上にあるコンビニのATMを利用するのが合理的だろう。その判断により、国木田は一旦ショッピングモールを出てコンビニへ向かった。コンビニの自動ドアの手前に辿り着けば、ウィンとドアが素早く開く。来訪者の足を止めない程度の素早さで開く自動ドアは実に良い。歩数合わせでもたつく時間を予定に考慮しなくて済むのだから。
感心しつつ店内に入った国木田は、しかし足を止めた。
目の前には銃を店員に向ける男達、そして入り口の近くで膝をつき両手を頭の後ろで組んだ見慣れた少女の姿。
――全てが予定外だ。
「……なぜこうなった」
国木田を閉じ込めるように、自動ドアが背後で閉まる。
***
かくしてクリスと国木田による予定外の強盗目撃事件は幕を開けた。
「国木田さんはどうしてここに」
犯人に言われクリスの隣で膝をついた国木田に、クリスは動揺を隠さず問う。
「金を下ろしに。そちらは」
「……お金を下ろしに来ました……」
誰かから突っ込まれることを待っているかのようなこのベタな状況。しかもこれがクリスの仕掛けた事件ではないのだから驚きだ。
ちなみに男は二人。一人は店員に金を出せと怒鳴り、一人はクリスらを見張っている。
「犯罪多いなあ……」
以前も誘拐に巻き込まれた。巻き込まれた、というとかなり語弊があるが巻き込まれたことには変わりない。一般市民がおいそれと事件に巻き込まれるなどあって良いものか――クリスを一般市民という位置づけにして良いのかという点はさておいて。
マフィアと挨拶を交わしがてら戦闘ができる時点で察してはいたが、この街の治安はもしかしてかなりよろしくない。
「この間もコンビニ強盗がありましたよね。その犯人でしょうか」
「その可能性はある。が、こうも見張られていると打つ手がない。隙が作れたなら良いのだが……」
「どこかに注目を集める、か」
「何か策が?」
「いえ全く」
答えれば国木田は少しばかり落胆したようだった。申し訳ないが、とクリスは「うーん」と悩む振りをする。
策はある。簡単な話だ、真正面から突っ込んで叩きのめせば良い。相手は武装しているとはいえただの人間、人質が突っ込んでくれば驚くのは必然だろう。その隙があれば国木田程度なら場を制するくらいできる。怪我人は出るかもしれないが、事件が解決できるのならば安いものだ。
けれどそれを提案するのはできない。国木田にとってクリスはあくまで非戦闘員であり一般市民なのだ、国木田の実力を知っていると知られるのはかなりよろしくない。無論、クリス自身の実力を晒け出すつもりもない。
「はい、あの、これ」
緊張と恐怖で涙目の男性店員が震える手で犯人に鞄を指し示す。どうやら金を詰め終わったようだ。今は彼一人しか店にいないらしい。だとしたらかなりの不幸だ。見た目も中身も、到底強盗犯に一人で立ち向かえるようには思えない。
男が鞄を奪い取る。そして二人で店を出ようとした、その足は自動ドアに感知される前に止まった。
「おい!」
鞄を持った男が店員へ声を荒げる。
「サツ呼びやがったな!」
普通呼ぶよね、と口に出さずにクリスは思う。最近の店員はコンビニに限らずその手の研修が行われていると聞く。犯人に知られない方法で市警へ通報することなどお手の物だろう。
しかしここはヨコハマの中心街。どうやら市警はとてつもなく早く現場に着いてしまったらしい。見れば確かにガラスの向こうにサイレンの赤色が見える。
「くそッ」
苛立った男が店員に全てのドアに鍵を掛け、目隠しの幕を降ろすように命じる。予定外はクリスと国木田だけではなかったのだ。ちらと見遣った先では、国木田もまた予想外の展開に額に手を当てている。
「……国木田さん」
「言われなくともわかっている」
――かくして、強盗犯コンビニ立てこもり事件が幕を開けた。