第3幕
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[Act 3, Scene 7]
クリスが重傷で運ばれてきたという知らせは、瞬く間に探偵社内に広がった。爆破事件の現場処理を見守ってから帰ってきた国木田は、その情報に息を呑む。
「……状況は」
「通報で駆けつけた軍警が、ポートマフィアの抗争跡と見られる場所の近くで見つけたらしい。軍警から特務課へ、そして探偵社へ連絡が来て、今医務室にいるよ」
太宰が真剣な面持ちで答える。
「クリスちゃんに関してはうちに連絡するよう言ってあるからね」
「与謝野先生は」
「今クリスさんの治療中です」
敦が国木田の焦りに答えるように早口で言う。
「与謝野先生は治せると行っていましたし、命に別状はないと思うんですが……」
「……そうか」
与謝野の治癒能力で治せるというのなら、命は無事だ。まずはその事実に安堵する。けれど緊張は拭いきれなかった。外傷が治ることと、本人が無事であることは別物だ。気が急くのは、最後に見た彼女の後ろ姿が目に焼き付いているからだろうか。
――わからないままで良いんだと思います。わたしは結局、そういう生き方が身に合っていますから。
割り切ったように言い、彼女は笑っていた。そこにあったのは納得ではなく、諦めだ。彼女は自分が普通ではないことを自覚し、そして普通になることを諦めている。そこまでわかっていながら、彼女に何も言えなかった。立ち去っていく背中を止められなかった。
今更クリスを止めなかったことを後悔した。あの時彼女は「用がある」と言っていた。今回の怪我と無関係ではないだろう。去っていくあの背中を止めていれば、何かが変わっただろうか。彼女は傷付かず、自分は平静を失うことなく、彼女のその胸に隠した本心を少しでも理解できていただろうか。
軽く頭を振る。過去を悔いたところで事態は変わらない。
「……太宰、ポートマフィアの抗争跡の近くと言ったな。なぜそこにクリスはいた?」
「さあ。彼女に聞くか、それとも」
太宰はくるりとそちらを見る。
「乱歩さんなら何かわかるのでは?」
窓辺の机の主は、窓の方を見たまま動かない。大きな背もたれに隠れてその姿すら見えなかった。たまに、ポリ、という菓子を食べる音が聞こえてくるだけだ。静かな沈黙の中に咀嚼音が聞こえてくる。
「……取引だ」
ぽつりと乱歩は言った。はむ、と次の一口を放り込み、また咀嚼を始める。のんびりとした、いつもの乱歩の間合いだ。
「ポートマフィアと取引に行って、その時に襲われたんだろうね」
「取引……?」
「クリスはポートマフィアにとって邪魔な存在だ、暗殺命令すら出ている。クリスにとってその事実は疎ましいものだろう。そこで奴らの弱みを握り、取引を持ちかけ、奴らより優位に立とうとした」
「その、取引っていうのは一体……?」
敦が呟くように尋ねる。乱歩は椅子を回してこちらを向いた。駄菓子の袋に手を突っ込み、掴み取った菓子を口に放り投げる。
「爆弾だ」
「ば、爆弾?」
「国木田、僕はあの爆弾騒動の犯人をポートマフィアだと言ったな。あれは半分嘘だ」
さらりと言われた告白に国木田は言葉を失った。乱歩の推理は常に正しい。だからこそ、疑いもしなかった。
それが、嘘だった。
「確かに軍警から爆弾を盗み出し商用ビルで爆発させたのはポートマフィアだ。けど、それはクリスが指示したものだった。本人も認めている」
「……なぜ」
ようやく口に出た短い問いに、乱歩は平然と答えた。
「それが取引だったからだ。奴らの利を手伝うことで優位に立ち、自分への手出しを控えさせようとした。けど向こうだって馬鹿じゃない。取引が終わった瞬間、総出でクリスを殺そうとしたんだろう」
「じゃあクリスさんは取引に失敗して……?」
「違うよ、敦君」
静かな太宰の声は、いつもよりも鮮明に耳に届いた。顎に手を当て、太宰は何かを思うように目を細める。
「彼女は成功したんだ」
「で、でも、今クリスさんは……」
「彼女だってポートマフィアに身を晒す行為が何なのか、わかっていたはずだ。彼女がしたことは、まさしく狼の群れの中に飛び込む羊なのだからね、無傷で帰って来れるとは思っていなかっただろう。けれど彼女は死を覚悟したわけじゃない」
そうだ。
クリスは、その身に埋められた秘匿故に死ぬことができない。自らの命を投げ打って何かをすることができないのだ。
ぐ、と国木田は拳を握り込む。
「……つまり彼女は、死に瀕するに値する何かを成し遂げてきた、ということか……?」
太宰が何かを言おうとする、その声が発される前に物音が聞こえてきた。開けっ放しになっていたドアを、与謝野がノックしたのだ。
「終わったよ」
「与謝野先生、あの、クリスさんは」
「傷は治った」
けど、と白衣のポケットから手を出し、与謝野は額に手を当てる。疲労なのか、いつもより覇気のない声で続けた。
「……元々あの子は丈夫じゃない。酷い熱が出てるね。今夜を乗り切れるかどうか……」
「そんな」
「今夜は妾が様子を見てるつもりだ。……何だい、皆酷い顔をしてるねえ。そんなに妾が信用できないってのかい?」
クスリと与謝野は微笑む。それは仲間達を勇気付けようとしているように見えた。そうだ、と国木田は拳を握り込む。与謝野は医者だ、任せておけばできることをしてくれる。
「与謝野先生」
国木田は一歩歩み出、与謝野へと頭を下げた。
「よろしくお願いします」
それが、医術の心得のない自分にできる唯一のことだった。
それだけが、今の国木田にできるただ一つのことだった。