第3幕
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***
突然のことに中也は呆然と佇んでいた。目の前には一人立つ女。それだけだ。
路地だったはずの周囲は更地と化していた。上から大きなものが叩きつけられたかのように、建物という建物が瓦礫と化している。周囲にいた部下達は皆、その塵をまとった瓦礫の下に埋もれていた。
圧されたのだ、と気がついた。上空から平たい鉄板を落としたように、全てが潰された。
呻き声一つ上がらない中で、女は黙ってこちらを睥睨している。狂気も歓喜も嘲笑も、そこにはない。静かに凪ぐ青が、そこにあるだけだ。
その背後の瓦礫の山へグワリと黒い円が描かれた。瞬間、円に囲まれた瓦礫は跡形もなく失せる。その中心で体を起こし立ち上がる黒い人影。
ちら、と女がそれを一瞥した。
「……さすがに君は無理だったか」
「笑止。この程度で僕を倒せると思うな、女!」
瓦礫を食った黒い龍が声のない咆哮を上げる。芥川の外套の一部が地面へと鋭い槍のように潜り込む。地面の下を走り、それは女の足元へと身を現した。いくつもの黒い刃が女の全方位から飛び出し、その体を串刺しにする。
はずだった。
地面から伸びた外套が何かに遮られたかのように、女に触れる寸前で留まる。皿のような平たい板が宙に現れ、攻撃を防いでいた。防御壁を瞬時に展開したか。際限なく全てを食らう芥川の黒龍に対し、際限なく防御壁を再生成しているのだろう、この女の異能はやはり強い。
けれど、これが隙だ。
芥川の攻撃を全方位から受けた女は、その場で立ちすくむだけだ。それへと中也は一歩で接近、芥川の羅生門を掻い潜り、目を見開いてくるその表情へと笑みを返す。
「甘えんだよ」
パーカーを羽織った肩をひっ掴み、異能を発動。そして相手の腹部へ拳を叩き込む。女はすぐさま吹っ飛んだ。瓦礫の山に衝突し轟音を立ててその中に飛び込んでいく。煙が立つ、塵が舞う。
曇った視界が晴れた時、瓦礫の中に埋もれた人物に中也は驚愕した。
「芥川……!」
女ではなく、芥川が瓦礫に突っ伏している。なぜだ。確かに手応えはあった。
そのことを思考する間もなく背後に気配が現れる。すぐさま蹴りを回した。が、難なく飛び躱される。
「君の異能は強い」
瓦礫の中に降り立ちながら、女はこともなげに言った。束ねていた髪を解き、手で軽くほぐす。
「君が触れた相手はことごとく君の思うままになる。けど、逆に言えばそれは触れた相手にしか通じない」
「何だと……?」
「とはいえ防御壁ごと殴り飛ばされたんじゃあ避けようはない。そのままやられるのも嫌だったから、芥川さんの服を引っ掴んで巻き込んだ。これで君の疑問は晴れるかな?」
ポン、と女は両手のひらを叩き合わせる。瞬間、目に見えない何かが同心円状の波紋を広げた。常に使っていたのは氷による防御壁だったはずだ、しかしこれは違う。全身を包むように、目に見えないそれは女を守っている。防御壁というよりは防御膜だ。それがある限り、中也は女に触れることができないということか。
「芥川さんは攻撃と防御の切り替えの間を狙えばまだ策がある。問題は君だなあ、中原さん。物理攻撃が効かないんだもの、風も氷も君には無意味だ」
さて、と女は顎に手を当てて思わしげに口の端を上げる。青の目が細く、険を帯びる。
「どうするかな」
ふと、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。警察か。ちらと女を見れば、やはりそいつは客を見る娼婦のような余裕でこちらを見返してきた。反吐が出る。
「あらかじめ呼んでやがったか」
「君達が来るとわかっていて、単身で来るわけがない」
「そうかよ」
ぐ、と拳を握りこむ。同時に、周囲の瓦礫が浮き立った。直接触れずとも、攻撃はできる。一瞬で終わらせれば警察が来る前に片をつけられる。周囲に浮いた数多の瓦礫に、女は笑みを消して中也を睨みつけてきた。その表情に、思わず笑みがこぼれる。
「良い顔すんじゃねえか、ネズミ野郎」
「君は真剣な表情の方が好みなんだ?」
「違ェよ――死に瀕する手前の顔が最高なんだよ!」
瓦礫が女に向かって突進する。中也の異能は重力操作だ、弾かれようが切り刻まれようが、中也が意図した方向へ物体は突き進み続ける。重力からは逃げられない。
女へと次々に瓦礫がぶつかっていく。胴が、頭が、ぶちのめされていく。
そう、見えた。
ブオッと風が女を中心に巻き起こる。熱風が一帯へと広がった。腕で顔を覆う。額から汗が噴き出す。まるで真夏のアスファルトの上にいるかのような、くらりとする風が強く吹き付けてきた。
「何だ……!」
一ヶ所に突っ込む瓦礫の中から人影が飛び出してくる。風圧で瓦礫の飛来速度を緩め、その隙に跳躍、場を逃れたか。しかしその程度、重力方向を変えれば対処は可能だ。
グン、と瓦礫が宙で一斉に向きを変える。そのまま真っ直ぐに、飛び出してきた人影へと突っ込んでいく。
瞬間。
――宙で、その影は揺らめいて消えた。
「幻影だと……!」
奴がそんな力を使えるとは聞いていない。本体はどこだ。
見回そうとした中也の帽子が前方に吹き飛ぶ。後頭部を殴ってきた強風。ハッと背後を振り返り、視界の端にその姿を見つける。遠く離れた建物の上、見下ろすように佇む影、そして。
眼前に迫る銀の刃。
鎌鼬だ。
視界に銀色が煌めく。銀色の奥で女がこちらを見つめている。目が合う。
自らのものとは違う、青。
二つの青が、交錯する。