第2幕
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謎の少女に出会い、その助言に従って仕方なくビルにたどり着き、しかし周囲をうろついていた敦の耳元に届いた銃声。それを聞いた瞬間、躊躇わず駆け出した。
しかし探偵社へ飛び込んだ彼の目の前に広がった光景は、敦の予想を大きく上回っている。
「……まさかここまでとは」
窓の外に襲撃者を放り投げた後、敦は他の社員と共に後片付けをしていた。思わず流れた涙を隠すために袖でこすり過ぎたのか、目元が少し痛い。
「こんなの日常茶飯事だからねえ」
書類を棚に戻していた与謝野が敦の独り言に答える。
「仕事が仕事だから狙われることは常だし、別に隠してないからこの場所に直接入られるのも珍しくない。敦も早いところ慣れてしまいな。挨拶回り要員が増えてくれるのは助かるからね」
「襲撃に慣れるというのはどうかと思いますが……」
「でも皆さんご丁寧なんですねえ」
敵から奪ったと見られる銃の部品を楽しげにいじりながら、賢治がとんでもない発言をさらりとする。
「わざわざここまでいらっしゃって。お茶をお出しする間もなく用事を済まされてしまいましたし」
「……突っ込みどころがわからない……」
いい加減戸惑うのも疲れてくる。武装探偵社という名は伊達ではなく、むしろマフィアより物騒だということはわかった。入社試験の時も「物騒だ」と思ったが、あれの比ではない。
もはや物騒探偵社だ。
「そういえば敦はどこに行ってたんだい?」
与謝野が他愛ない話題提供とばかりにそれを持ち出してきた。う、と敦は気まずげに顔を逸らす。どう答えようか。国木田のようにサボりだとは思われたくない。けれど本当のことを言うのは気恥ずかしい。
敦は言葉を探しながら手元の紙束をトントンと整える。
「……芥川に『お前のせいで周囲が不幸になる』って言われて、それでその、考える時間が欲しかったので、えっと、ちょっと外に出ていたというか」
「真面目だねえ、ただの挑発文句じゃないか。……で、答えは出たのかい?」
「そうですね……まだわかりきってはいないけど、なんとなく、わかった気がします」
――まずは確かめること。
あの子の言葉を思い出す。結局、実際にこの人達に自分の必要性を尋ねることはしなかったけれど、あの子の言う「光」を感じることはできたと思う。
「……僕、もう少しここで頑張ろうと思います」
僕は周囲を巻き込み傷つける。けれど探偵社の皆は僕を弾き出そうとはせず、襲撃者を撃退した。何もできない僕を、それでも探偵社社員として認めてくれている。
――ここにいて良いのだと知った。ここにいたいと感じた。だから僕は、ここにいるという選択肢を選ぶ。
「……そういえば、名前聞きそびれちゃったな……それに『また明日』の意味もよくわかってないし……」
「何のことだい?」
与謝野が首を傾げる。敦は偶然出会った少女について話そうと口を開いた。
が、出した声は明朗でのんびりとした声に掻き消される。
「明日行けば良い」
「……へ?」
口を出してきたのは乱歩だった。散らかる部屋の中で、机に座りながら飲み干したラムネ瓶を光に透かして眺めている。片付けを手伝うという様子は清々しいほどに全くない。
「春野っちと行くんでしょ?」
「……あ、演劇を観に行く話ですか。でも、ナオミさんが……」
「ああ、明日の劇ですね」
乱歩の近くで書類を拾っていた春野が立ち上がる。そして、申し訳なさそうに敦の方を向いた。
「どうしようかなと思っていたんですけど……せっかく席を取ってもらったので、行かないといけない気もするんですよね」
「なんだい、クリスったらまたうちに良くしてくれたのかい?」
呆れたように与謝野が言う。何でも、ナオミがその演目をかなり気に入ってしまったらしく、今までもかなり頻繁に見に行っているらしい。その劇団のチケットは入手が難しい状態が続いており、キャンセルすると席を融通したクリスという人の迷惑になるという。
「私はナオミちゃんが行くならと思ってたので……敦さんはどうします?」
「え? えっと……困ったなあ」
不思議なあの子のこともあり、敦としては行かなくてはいけない気がしている。しかし行きづらいのも確かだ。
「チケットは何枚あるんですか?」
賢治が尋ねてくる。確か、と敦はナオミとの会話を思い出した。
「三枚って聞いてますけど……」
「おい、手を休めるな」
扉のなくなった入り口から国木田が入ってくる。そういえばいつの間にか姿がなかった。気付かなかったのは、自分の無力さへの落胆と襲撃という初めての経験とそれの片付けという予想外の体験で頭が混乱したままだったからだ。
「おや、いたのかい国木田」
「太宰を探していた。うずまきにも行ったが見事に姿がない」
大方この状態になることを予期して逃げたのだろう、と国木田は眉間のしわを深くしつつ言う。ということはやはりこの探偵社の人間は皆、例外なく、襲撃者そのものより襲撃を受けた後の後片付けに嫌気が差しているということだ。
この会社に馴染めるのだろうか、と考えざるを得ない。
「国木田も来たし、始めようか」
与謝野が拳を出す。賢治、そして乱歩までが同様に拳を掲げた。状況の読めない敦はまた何か始まるのかと目を白黒させる。焦るでもなく戸惑うでもなく平然と大きなため息をついたのは国木田だ。
「……今回は何枚だ」
「三枚、一枚は敦だ。この場にいない太宰は無戦敗。やるんだろう?」
「もはや定例だな」
そして国木田も拳を出す。もしや喧嘩かと怯える敦の前で、火花を散らした四人は今し方敵をやっつけた拳を再度振りかざし、そして。
「じゃんけん、ぽん!」
――残り二名を競ってじゃんけんを始めた。
***
そして次の日、観劇当日。
「……はあ」
劇場から出た敦の頰を夜風が撫でる。熱が集まっているのだろう、その冷たさが心地良い。ず、と鼻水をすすり、敦は目元に残っていた涙を手で拭った。
「……本気で泣いてしまった……」
「いやあ何度見ても面白いねえ!」
うきうきと敦の隣で乱歩がはしゃぐ。昨日のじゃんけんで真っ先に勝ち抜けていた彼の能力は、あの後の探偵業務の手伝いの中でしっかりと見ている。もはやじゃんけんでさえ敵う気がしない。
というか彼が劇などというものにこれほど興味を持つとは思わなかったから、あのじゃんけんに参加したのが意外だった。昨日の事件現場に向かう途中で訊ねてみたが「あれは別」と曖昧な言葉しか返って来なかったのを思い出す。
そういえば、と敦は現場からの帰りに太宰から言われた言葉も思い出した。
『誘われたのだね、行ってくると良い。彼女の演技は素晴らしい! それが演技であることを忘れてしまうよ。きっと敦君も驚くに違いない。それは滅多に経験できるものではないからね、己が誰であるかさえわからなくなるなど、そうそうあることじゃあない』
だから、と彼は笑っていた。
――彼女には気を付けたまえよ。
あの言葉は、どういう意味なのだろう。
「とりあえず、なんか凄かった……ずずッ」
「鼻を拭け、小僧」
垂れる鼻水をすすり続ける敦にティッシュを差し出したのは国木田だ。残った三人による激戦の末、紙一重で勝っていた。あんなに熱の入ったじゃんけんは初めて見た、と敦は思う。入社試験での太宰とのじゃんけんでさえあれほど熱は入っていなかった。
「ありがとうございます……ちーんッ」
周りにいる観客達も皆、鼻を赤くしていたり目元を覆ったままだったりしていた。しかしその表情は誰もが晴れやかで、最後に役者が舞台に総並びになった時の大きな拍手の音は嘘ではなかったのだと知る。
「ずず、凄く良かったです……主演の男の人はかっこいいし、女の人は綺麗だし……どう見てもお似合いで……どうしてあの二人が幸せになれなかったんでしょう……ずずッ、死んだことにならなきゃ叶わなかった恋なんて……ずッ、切ないですね……」
「ああ、だが最後二人はやっと一緒になれた……死後の世界で、二人は結ばれているはずだ」
「ずずッ、だとしても何だか寂しくて……ううッ、最初の場面でロミオさんがただの面食いなんじゃないかって思った自分が恥ずかしい……」
「存分に泣け、小僧……!」
「はいッ……!」
「何二人して鼻水垂らしてんの」
乱歩の指摘を受け、鼻水を拭きながら三人は帰宅の道を歩いていた。劇場は探偵社からあまり離れていない。バスという手もあるが、酷い顔になっているので歩いて帰ろうということになった。ちなみに、いつも誰かしらが酷い顔になっているので、行きはまちまちだが帰りは必ず徒歩になるのだという。
「うう、鼻水が止まらない……」
「次からは自分の分の紙を持って来い」
「はい、国木田さんたくさん紙持ってきたんですね……」
「こッ、これは貴様の分を持ってきただけだ!」
「国木田はうちの中で一番消費量多いからね」
そうこうしているうちに、三人は川辺の道を歩いていた。見覚えのある風景に、敦は立ち止まり周囲を見渡す。
「どうした」
「いや、ここ、確か昨日来た気がして……」
気のせいではない。この川の煌めきも、向こう側に見える建物の様子も、柵も、見覚えがある。
「昨日? ……ああ、お前が仕事を放り出して飛び出していった時か」
「あ、あれは放り出したわけじゃなくて……なんというか、その……!」
「敦さんのことをあまり虐めないで下さいよ、国木田さん」
ふと。
川を眺めながら言い合う三人の元に、楽しげな声がかけられる。
「彼なりにいろいろ考えていたんですから」
聞き覚えがある。まだ昨日の出来事だ。忘れるわけがない。振り返った敦の視線の先には、亜麻色の髪を片手で押さえながら微笑むあの子が歩み寄ってきていた。
「ナオミさんが死にかけているというから、春野さんも来ないだろうなとは思っていましたけど……またじゃんけんですか?」
「やあクリス、今日も面白かったよー」
乱歩がひらひらと手を振る。
「良かったです、乱歩さんにそう言ってもらえるとほっとします」
「ふふん、なんたって名探偵である僕自らが認めるんだもんね! 存分に誇ると良いよ!」
「……来ていたのか」
ふんぞり返る乱歩の横で国木田は顔を隠すように眼鏡に触れる。
「ふふ、国木田さんの反応は役者として励みになりますね。いつもありがとうございます」
「何のことだ」
「舞台から観客の顔って案外見えるんですよ?」
「なッ……!」
「あ、あのッ」
和気あいあいとしている中に敦は声を上げる。ようやく彼女の目が敦を捉えた。夜でもよく見える不思議な色合いの瞳に自分の間抜けた顔が映る。一瞬何を言おうか忘れかけて、慌てて思い直した。
「あの、その、昨日はありがとうございましたッ」
勢いよく頭を下げた敦に、彼女は何も言わない。自分が先に言わなければ、と敦は目を彷徨わせながら言葉を選んだ。
「あ、あの、おかげで僕、その、やらなきゃいけないことがわかったというか、えっと、行き先がわかったというか、なんというか、その」
「戻れましたか?」
言い切る前に問われる。短くてわかりづらいその問いが何を意味するのか、敦には理解できた。
「はい。……もう少し、頑張ろうと思います」
「それは良かった」
にこりと彼女は笑った。よく笑う人だ、笑顔というものに慣れている。それもただ笑んでいるわけではなくて、こちらの話を聞いてそれに同意して、そしてこちらの心地を良くするような、そういった類の笑みだ。孤児院で育ち虎に追われマフィアに怯える敦とは違う。
羨ましくなるほどの眩しさが、そこにはあった。
国木田が不思議そうな顔をして「知り合いだったのか」と彼女に問う。ええ、と少女は頷いて「通行人Aの役でしたけど」と奇妙な例え方をした。もちろん国木田がその意味を知るわけもなく「どういう意味だ……?」とぼそぼそと呟いている。その横ではやはり全てを見通しているのか、乱歩が「君にしては遠回しなことをしたね」と少女へ声をかけていた。
かなり親しげだ。まさか、偶然知り合った女の子と探偵社の皆が知り合いだったとは。世界は狭い。
「えっと、あの、あなたはどうしてまたここに……? それに皆さんお知り合いなんですか?」
楽しげに話を進める三人に、敦は疑問の視線を向ける。すると乱歩と国木田はきょとんと敦を見返した。なぜ気付かないのか、と問われている気がして、敦も彼らと同じ表情をする。
「……えっと?」
「敦、こちらがクリスだ。ミス・クリス・マーロウ。話しただろう」
確かにその名前は出かける前に教えてもらった。チケットをナオミに融通した劇団関係者だ。
そこまで考えて敦はふと考え込む。
谷崎とナオミの話によれば、チケットを融通した人は劇団に所属している知り合いで、劇団の中でも一番の稼ぎ頭だという。加えて、出かける前にクリスという人について教えてもらった。その人は探偵社とある事件で関わったのをきっかけに仲が良くなったのだとか。
そしてさっき――自分はリアという人が「ロミオとジュリエット」の主演女優であること、その人がかなり人気なのだということを知った。
つまりこの子は。
「……えええええええ!」
敦の絶叫が川辺に響く。耳を塞ぐ乱歩と国木田とは正反対に、亜麻色の髪の少女は「そういうことですね」と言いつつ敦の様子を楽しむように微笑んでいた。