第3幕
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***
楽しげに笑うクリスに、国木田は眼鏡を押し上げながら再度ため息をついた。出会った当初から彼女は時々人をからかってきたが、最近は太宰の影がちらつくようなことをしてくるようになった。敦が探偵社に来たおかげで奴も先輩らしく仕事をするようになり――というか奴の不手際を敦が処理できるようになり――そのおかげで消化器官の不良が治りかけていたのだが、彼女の太宰を想起させる悪戯のせいで再発しかけている。それも彼女のお遊びの一つなのだろうから厄介だ。
ちら、とクリスを見遣る。彼女は敦へ装填のやり方を教えていた。敦が手品のようなその動作を真似しながら首を傾げている。
年が近い二人は、一見、仲の良い友人同士に見える。けれど二人ともその笑顔とかけ離れた日々を送ってきた過去があり、異能に振り回され、強大な敵に狙われてきた。涙し、決意してきた。
――銃器の使い方を教えてください。
クリスの申し出を思い出す。連続猟奇殺人事件が幕を閉じた後、彼女が再び日常を送れるようになった頃だ。
――異能が使えない状況下になった時、ナイフだけでは足りないことがわかりましたから。もう少し銃器を使えるようになっておきたいんです。
あの事件で犯人として軍警に追われたクリスは、異能を使えば居場所が知られるからとナイフと拳銃で闇を駆けた。慣れない戦い方をした彼女は怪我を負い、その後国木田の援護によって危機を脱している。それを気にしているようだった。
確かに探偵社は、彼女を常に守り続けられるわけではない。むしろ彼女を守る側にい続けられるかさえわからない。クリスは祖国に狙われ追われている。探偵社は国を相手にできるような組織ではない。
わかっている。
けれど。
それでも、彼女に銃器を教えるのが正しいことだったのかと悩む自分もいる。まるで自分達は彼女を守れないと公言してしまったかのようだ。守るべき市民の一人だと言っておきながら、国木田はクリスを守り切れないと言外に告げてしまった。
彼女は国木田へ幻滅しただろうか。口先だけだと嘲笑い、やはりそうかと諦めただろうか。
自分は彼女に絶望を与えてはいないだろうか。
「国木田さん」
名を呼ばれ顔を上げる。いつの間にか目の前に少女がいた。青を不思議そうに見開き、その両手で国木田の頰を包んでくる。
視界に、青が煌めく。
――花袋の家でのことを、思い出す。
見知った体温、青の眼差し、近付いてくる吐息。
心臓が跳ね上がる。
「……ッ」
硬直した国木田へと手を添えた彼女は――むに、とその頰を引っ張った。
「…………なにをする」
「怖い顔をしているから柔軟体操を」
「元からだ」
「あれ、知らないんです? 怖い顔をしていると怖いものが寄ってくるんですよ?」
頰から手を離し、クリスは大層驚いた様子で目を丸くする。
「……怖いもの?」
ぞ、と寒気がしたのはきっと気のせいだ。
「怖いものって言ったら怖いものですよ。国木田さんにもありますよね、怖いもの」
「あるわけがないだろうが」
「その手のものはたくさん寄ってきたら大変ですよ? 肩凝りとか、胃痛とか、頭痛も目眩もそれのせいらしいですし」
「何、本当か」
そういえばここ二年ほど体調がよろしくない。太宰のせいだと思っていたが、そうではなかったのか。肩に得体の知れないものが乗っている気がしてゾワリと悪寒が背を撫でた。クリスの背後で敦が苦笑いをしているが、敦にも体調不良の覚えがあるのだろうか。
「ほら、メモメモ」
「あ、ああ、そうだな。……怖い顔を、していると、怖いものが、寄って……」
にこにことクリスは楽しげに笑っている。そういえば彼女は肩凝りなどに悩んでいるとは聞いていない。そういうことなのだろうか。肩凝りといえば最近、与謝野が肩を揉めと命じてくるので、このことを教えてやろうと思う。
「やっぱり国木田さんはこうでなくちゃ」
そう言ってクリスは「ね、敦さん」と敦に同意を求める。敦は、あはは、と乾いた笑いを漏らした。何のことだろうか。問うように目を向ければ、彼女はにっこりと笑みを返してくる。楽しげで明るい、こちらまで心を浮き立たせてしまうような、そんな笑み。
彼女に一番似合う表情。
亜麻色がふわりと揺れる。太陽に煌めく湖面のような眼差しが国木田を映し込む。血色の良い赤い唇が弧を描き、国木田を呼ぶ。
湖畔に佇む少女がそこにいる。手を伸ばせば触れられる距離で、それはいる。
嘆きも苦しみもない幸福が、そばにある。
これが永遠に続くのならそれが最も相応しいのだろう。彼女は一人の人間であり、国木田にとって守るべき市民の一人だ。幸福を体現している今のクリスは国木田にとって理想そのもの。例えそれが、国木田ではなく彼女自身が武力を行使して手に入れる平穏だったとしても。
ぐ、とペンを握る手に力が入る。この罪悪感に似た焦燥の意味が、今の国木田にはよくわからなかった。