第3幕
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[Act 3, Scene 4]
敦は孤児院育ちだ。その小さな王国の中でも特に下層の存在で、痛いことも寒いこともあった。それが普通だったし、それに耐え切らなければ生き延びられなかった。
まさかそんな自分が、武装探偵社という異能組織の一員となり、虎に化ける異能を使って街を守る仕事をすることになろうとは誰が予想できただろう。
そして。
「……国木田さんに言われて来たけど」
バスから降りて歩いて数分。そこにあった施設を前に、敦は呆然と口を開けてそれを見上げる。
それは円筒状の形をした白い巨大な建物だった。堅固な城壁を思わせるそれは軍警の所持物で、探偵社も時折世話になる訓練施設なのだという。
国木田は仕事の合間を縫って敦に戦闘技術を教えてくれている。銃の扱い方もわかってきたし、体術も一般人を取り押さえるくらいはできるようになった。刃物に関しては鏡花に教わりながら勉強している。少しずつだが確実に、孤児院で泣きながら暗闇にうずくまっていた頃より成長してきていると思う。
それは弱い人間を痛めつける力ではなく、弱い人間を助けるための力だ。暴力に怯えてきた敦にとってこれがただの暴力ではないという点も、自信に繋がっていた。
入り口の警備員に社員証を見せ中に入る。壁にある案内図を見たところ、この大きな建物には道場の他にもクライミング設備やトレーニング設備があるらしい。国木田は三階に来いと言っていたから、射撃場に行けば良いということだろうか。
階段で三階に行き、きょろきょろと周囲を見回す。廊下の片側はガラスが多くはめ込まれていて、中の様子が見えるようになっていた。一部屋あたり三人程度が並んで練習できるようで、各部屋で軍警の服を着た人が銃を手に的へと撃ち込んでいる。くぐもった銃声だけが聞こえてくる廊下で、ごくりと唾を呑んだ。
「敦」
静かな廊下に聞き慣れた声が響く。見れば、廊下の向こうに国木田の姿があった。
「国木田さん」
「時間通りだな」
慣れた仕草で腕時計へと目を落とし、国木田は満足そうに頷く。あの、と敦は周囲を見回しながら小さな声で尋ねた。
「今日の訓練って……」
「そろそろ本格的なことをしても良いかと思ってな。銃の仕組みや使い方はわかっても、実戦でその通りできるかどうかは別問題だ。ここでは的以外にも様々な設備がある」
「的……以外?」
頷き、国木田はそばの扉を開けて中に入った。その部屋だけ白い壁に覆われて廊下から中が見えなくなっている。そろ、と国木田の後ろから部屋へと入った。
部屋は二つの空間に仕切られていた。手前には机やロッカーがあり、ガラスのはめ込まれた仕切りの向こうに射撃場がある。仕切りに向かって置かれた机にはマイクが乗っていて、どうやら指示を仰ぎながら射撃練習ができるらしかった。
仕切りの向こうで誰かが射撃をしている。ヘッドホンと防弾眼鏡が備わった帽子で顔は見えないが、背筋の伸びた人だ。左手に拳銃を持ち、それを真っ直ぐ前に向けている。
――パン!
発砲音がくぐもって聞こえてくる。同時に、遠くの壁に立っていた人型の的がぶれた。心臓と額の位置にたくさんの穴を開けたそれに、的中したらしい。
『一度休憩しろ』
国木田がマイクのボタンを押して指示を出す。仕切りの向こうの人はふと拳銃を構えていた腕を緩めた。傍らにあった机に拳銃を置き、くるりとこちらを向いて、仕切りにはめられた扉を開ける。耳当てと帽子を外し、その人は軽く頭を振った。
「だいぶ当たるようになりました」
ふわ、と亜麻色が揺れて見慣れた青が現れる。
「……え」
思わず声を漏らす。すると彼女は、敦を見て「ああ」と笑いかけてきた。
「時間通り来たんですね、さすがです敦さん」
「な、な、なんでクリスさんが……」
「見ての通り、訓練ですよ」
何度か左手を握る動作をしながらクリスはさらりと言う。国木田が大きくため息をついた。
「お前と同じだ。異能に頼ってばかりではもしもの時に困る」
「でも、クリスさんはナイフが使えるし、体術だって……」
「あれだけでは不安なので」
クリスはにこりと笑う。あれだけ、と言うが敦にとっては十分なほどだ。それに、ここは軍警の施設。クリスには不都合な場所なのではないのか。そもそも軍警でも探偵社員でもないのにここに入って良いのだろうか。
諸々の疑問が次々と湧き出てくる。パクパクと口を開閉させる敦に、国木田はさらに呆れ顔をした。
「金魚か貴様は」
「いや、だって、その」
「国木田さん、準備してますね」
呆れる国木田と混乱する敦をさておき、クリスがそばにあるロッカーへと向かう。時々思うが、この人も探偵社員同様話の流れをぶち切ることが多い。そういったことには慣れているのだろう、国木田は「ああ」とクリスに答える。
クリスがガチャリとロッカーを開ける。そこには大小様々な銃器が詰め込まれていた。訓練用のものだ。銃器だけではなくホルスターや弾倉なども入っている。
それらを身につけていくクリスを見つつ、敦はそっと国木田に尋ねた。
「準備、っていうのは……?」
「今日のお前の訓練は見取り稽古だ」
「見取り稽古?」
「彼女の動きを見て学べ、ということだ。参考になるだろうからな」
「参考……」
「国木田さん」
クリスが両腰に拳銃を、手首に弾倉を固定したバンドを締めながら歩み寄ってくる。
「自分のタイミングで始めろ」
「はい」
クリスが帽子を被りつつ射撃場への扉を開けて中に入っていく。扉を閉じる直前、敦へと軽く手を振ってくれた。気のせいだろうか、なんだか楽しそうだ。
しかしその陽気さは彼女が定位置についた直後、すぐに変わった。射撃場でクリスは脱力した状態で静かに佇む。
静寂は一瞬だった。
彼女の両手が腰の拳銃を掴み、素早く引き抜く。同時に国木田が何かのボタンを押した。
バッと的場に人型の的が並ぶ。その数、五つ。しかもそれらは距離が異なる上、ランダムに倒れたり起きたり、動いたりする。
クリスはその両手を真っ直ぐに的へ向け、銃弾を放つ。全ての的が揺れる。けれど次々と的が湧き出てくる。発砲音が連続する。息継ぎすら許されない戦場の音が、絶えず部屋を支配する。
「天才的だ」
ふと国木田が呟いた。え、と顔を上げた敦に、国木田はガラスの向こうのクリスを見つめつつ続ける。
「ギルドで銃撃の異能者に一通り学んだとは聞いていたが、それ以上だな。視認速度と対応速度が桁外れだ。数日間利き手ではない左手での撃ち込みを練習していたが、今や左右どちらも遜色ない」
ふと、何かが落ちる音が銃声に混じる。クリスの右の足元に空になった弾倉が落ちていた。けれど銃撃は止まらない。微かな間に、左手のバンドに止めた弾倉を引き抜き、左手は銃撃を続けながら、宙に放ったそれへ真っ直ぐに銃の底を添え、それごと自分の胴へ押し当てることで装填を完了させる。スライドを引かないのは、弾を一発残した状態で装填作業をしているからか。
右の拳銃の装填が終わったところで、同じ動作を左の拳銃でも繰り返す。ふわ、と弾倉が宙に浮く瞬間だけ、時が止まっている気がした。
二丁拳銃の利点は発砲回数が単純計算で二倍になることだが、両手が塞がるので装填に手間取る。クリスの手の動きはその欠点を抹殺していた。
「……手品みたいですね」
「弾数と装填時間を完全に把握し、左右の発砲回数を調整している。それでいて的から目を離さず撃ち漏らすこともない。ギルドの同僚を真似たと言っていたが――つまり」
国木田が敦を見下ろす。
「あれほどの腕の人間が、この世界では珍しくないということだ。少しでも気を抜いてみろ、お前も俺も、あの的のように穴だらけになるぞ」
――パン!
クリスの両手が放った銃弾が的の頭部を撃ち砕く。