第3幕
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***
原因不明の一波乱の後、クリスは国木田と敦と共に商店街へと来ていた。
「ここですね」
周囲を見回しながら敦が言う。呉服屋や眼鏡屋、そういった生活用品を専門的に扱っていそうな店が規則正しく並んでいる商店街だ。ところどころシャッターが閉まっているが、人通りは少なくない。居酒屋もあるので夜も賑わうのだろう。
「この辺りで、花袋さんは『黒髪の撫子』を見かけています」
「良し」
国木田は先程印刷した一枚の写真を胸元から出し、敦に手渡した。花袋から渡された、探し人に関する唯一の手がかりだ。驚くべきことに花袋は一目惚れした相手のことで頭がいっぱいになり、異能すら使えなくなっているのだという。それをどうにかすべく――具体的には、かの女性へ花袋さんが愛の告白をし再び異能を使える状態に戻るべく――国木田と敦は探偵社として花袋からの人物探しの依頼を受けたのだった。
「聞き込みは礼儀が欠かせん。名乗ること、事情を説明すること、頭を下げること、これは忘れるなよ」
「はい」
敦の返事は心地良いほどに元気だ。探偵社の仕事に慣れてきたことが窺える。はりきって聞き込みを開始する敦を横目に、クリスは「あの」とおそるおそる片手を上げた。
「そ、そろそろわたし、ちょっと用事が……」
「駄目だ」
すっぱりと言い切り、国木田は眼鏡を押し上げる。
「花袋の家に行くつもりだろう。駄目だ」
ぐう、と唸り、両手を握り締める。否、ここで諦めてはいけない。何としてでも説得しなければ。
「何でですか! あんなに貴重な機械がたんまり置いてあるなんて奇跡に近いんですよ? しかも花袋さんの異能! 『視界に入る電子機器を常人の数十倍の処理速度で操る』! 国宝級じゃないですか! 何であらかじめ教えてくれなかったんです!」
「そうなるだろうと予想できたからだ馬鹿者」
「わたしが来たところで調査のお手伝いなんてできません! なのに何で花袋さんの家で待機させてもらえないんですか!」
「許可するわけがないだろうが」
「何で国木田さんの許可が必要なんですか! わたし、社員じゃないです!」
「駄目なものは駄目だ」
「むうううう」
隣で喚き立て頬を膨らませるも、国木田は動じる様子もなく佇んでいる。こうなれば実力行使だ。
喚くのを止め、クリスはしおらしく俯いた。肩を落とし、ぽつりと呟く。
「……良いんですか、そういうことを言って。泣きますよ?」
「泣きッ……?」
ようやく国木田が動揺した。驚いた様子でこちらを見遣ってきたその顔を、既に潤んだ目で上目遣いに見上げる。
「舞台女優の実力、舐めないでくださいね」
「待て、落ち着け、ここでそれはやめろ」
「……どうしてわかってくれないんですか。わたし、ただ、興味があるものを間近で見たいって言っているだけなのに……」
それらしいことを言いつつ、目元に手を当てる。はた、と涙が地面に落ちた。肩を震わせながら身を縮め、嗚咽に声を震わせる。
「……わた、し、だって、好きなことを、したいんですッ……わかって欲しいのに……話くらい、聞いてくれたって、良いじゃないですか……!」
ざわ、と通行人がこちらを見て何やらひそひそと話し始める。街中で突然泣き出した女性に、戸惑う男性。この組み合わせに注目しない人間はそうそういない。そして大方、男性側に非があるのではという話が交わされるわけで。
「お、落ち着け、待て、おい」
わたわたと国木田が囁いてくる。それを無視し、クリスは隠しきれないほどパタパタと落ちる涙を拭い続けた。さて、この後彼はどう行動するだろうか。
「おい、クリス」
「……わかって、欲しかった、のにッ……」
「わかった、わかったから! ……こっちに来い!」
強引に腕を引かれる。どうやら一目につかない場所に連れて行こうということらしい。ここで「助けて、襲われる」などと叫べばこれまた面白い展開になるのだが、今回はそれが目的ではないので大人しくついていくことにした。
角を曲がり、人通りの少ない小道へと腕を引かれる。しばらく歩いた後、国木田は足を止めてクリスへと向き直った。
「……油断ならん人だな、あなたは」
「目的のためなら何だってしますよ」
からりといつも通りの声を出しながら、クリスは目元を拭って顔を上げた。本当に泣いているのだろうかという心配を窺わせる困惑顔へと、にっこりと笑みを向ける。
「今回のは国木田さんを困らせたいというのもありましたけど」
「おい」
「冗談はさておき」
ふとクリスは笑みを消す。
「わたしにとって情報というのは命綱に等しいんです。銃弾や異能にも勝る重要さです。花袋さんの異能は非常に有能、おそらくは彼自身の持つ技術も優秀でしょう。機械を見ればわかります」
「それがなぜ駄々を捏ねることに繋がる」
「花袋さんが仮にわたしを探るような場合になった時、対抗策を講じるためです」
「――な、」
国木田の反応は予想通りだった。目を見開き、息を呑み、「……何を言っている」と呟く。
花袋は探偵社専所属の情報屋だ。彼がクリスを探る状況というのはつまり、探偵社がクリスを探る状況ということになる。
「花袋に警戒している」というクリスの発言は、「探偵社を警戒している」という意味を含んでいた。
「あらゆる可能性を考慮しているというだけの話です」
言い、クリスは親しみを抱かせるような笑みを浮かべる。
「あなた方でなくとも、花袋さんが外部の誰かと組む可能性がある。花袋さんが脅されてわたしを探る可能性もある。そういった時に花袋さんからの攻撃を避ける、または迎撃する必要があるんです。そのためには、相手の手札を知っておかなくては」
「……疑っているのか」
何を、と言われるまでもない。
「ええ」
頷く。
「この世の全てを、わたしは疑っていますよ。今も、これからも」
例え相手が武装探偵社だとしても。
「そういう生き方しか、できませんから」
にこりといつものように笑いかけても、国木田の表情は硬いままだった。それもそうだろう、面と向かって「信用していない」と言われたのだから。
「……そうか」
ただ一言呟き、国木田は黙り込んだ。その沈黙が何を意味するのかは気にしないことにする。
気にしてしまっては、罪悪感に苛まされてしまうだろうから。
それは、クリスにとって邪魔な感情だ。
――ブーッ、ブーッ。
タイミングを図ったかのように国木田のケータイが着信を告げた。躊躇いの後、国木田はそれを取り出し耳に当てる。どうやら敦からのようだった。二人を見失ったので電話をしてきたのだろう。
「……そうか、まだわからんか。……気になること? ……なるほどな、わかった、見てみよう」
話はすぐに終わった。胸元にケータイを戻した国木田はクリスを一瞥し、眉間のしわを深める。
「……理由はともかく、一人で花袋の家に行くことは許さん」
「じゃあ一緒に来ていただけますか?」
「何?」
「一人でなければ、良いんですよね」
国木田はクリスの提案に驚いたようだった。考えもしなかったのだろう。やがて驚きに満ちていた表情に意志が宿り始める。
「ああ」
そこにあるのは、見慣れた堅実さだ。
「そうだな」
その答えにクリスは目を細める。
国木田は気付いているのだろうか。クリスに手札を晒すということはすなわち、クリスに攻撃の余地を与えるという自殺行為でもあることを。花袋の通信機器にアクセスできるようになれば、探偵社に関するあらゆる情報がクリスの元に流れ込んでくるだろう。今までの比ではない。それどころか花袋の機器を乗っ取り、そこから探偵社を攻撃することすらできる。そこまでわかっていたのなら、いくら国木田とはいえ部外者であるクリスに花袋の手札を見せようとは思わないだろう。
彼はクリスを疑いもしていないのだ。甘く濃い、信用という名の煙幕。その霧が晴れた時、国木田はクリスのことをどんな目で見るのだろう。