第3幕
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[Act 3, Scene 3]
まさに「日本の住宅街」という単語が表す街並みがそこにはあった。
「……この辺りは初めて来ました」
きょろきょろと周囲を見回しながら、クリスは先を行く国木田へと声をかける。特に特徴のない一般的な住宅街だ。車がぎりぎりすれ違える程度の幅の道路沿いに電柱が立ち並び、数メートルごとに脇道が現れる。網目状に組まれた道路に合わせて一軒家やアパートが並んでいた。
「家があるか知り合いに会う用事かがなければ来ることはないだろうな」
「こんなところにいるんですか? その、凄腕の情報屋が」
「ああ」
「へえ」
再びぐるりと周囲を見、クリスは同じく物珍しそうに街並みを見ていた敦へと目を向けた。
「楽しみですね、敦さん」
「た、楽しみかどうかはわからないんですけど……」
「遊びに行くのではないぞ」
国木田が呆れたように口を挟んでくる。待っていましたとばかりに、すかさずクリスは言葉を返した。
「では何をしに?」
それは準備されていた言葉だった。この会話は他愛ないものではない、自然な話の流れの中でクリスが国木田の真意を探るためのやり取りだったのだ。間髪入れずに発された疑問符へ、国木田は大きくため息をつく。
「……わざとか」
「そろそろ教えていただいても良い頃合いかと思いまして」
クリスの答えに、国木田は少し迷った風に前を向いていた。が、諦めたのか立ち止まり、クリス達へと振り返って胸元から透明な袋を取り出す。
「……あなたに話すつもりはなかったのだがな」
そこに入っていた機械に、クリスは見覚えがあった。
手のひら程度の大きさの、タブレット端末。
「……フィーが持ってた機械」
「白鯨の制御端末だ。これを調べさせる」
「もう沈んだ飛行艇の制御端末を、今更?」
「問題はここだ」
くるりとそれの背面を見せ、国木田はその一箇所を指差す。カバーの外された背面は回路が剥き出しになっていた。その一部に、口端を大きく上げて笑うネズミのような絵の描かれたチップが貼られている。
「遠隔干渉チップだ。本来敦は白鯨の再浮上に成功していた」
「え?」
バッと敦を見れば、彼は当時を思い出しながらしっかりと頷く。
「はい。フィッツジェラルドから端末を奪って、白鯨の降下を止めました。けど、すぐにまた降下が始まって……」
「そうだったんですか」
あの時クリスは遠くから白鯨の沈む様を見ていた。再浮上に成功していたと聞いたのは今が初めてだ、見ていた限りではそのような様子は見られず、白鯨は真っ直ぐに街へ落ちてこようとしていた。
「白鯨落としは、オルコットが任務中に考え出した作戦だったはず。それすらも見通した誰かが、端末にあらかじめ手を加えていた……と?」
「相当頭の良い相手だ、油断はできん。ヨコハマ壊滅を目論んだ経緯からすると、再び何らかの方法で同じことをしようとしてくるだろう」
「それで、相手を探し出すために情報屋へ依頼を?」
「ああ」
端末を懐に戻し、国木田は再び歩き出す。どうやら彼は、クリスの元々の居場所だったギルドが誰かに利用されたという事実を隠そうとしてくれていたらしい。その程度など衝撃的でも何でもない、全てはフィッツジェラルドの判断ミスなのだから、とクリスは思う。見知った場所を歩くような躊躇いのない歩みを、クリスは敦と共に追いかけた。
「けど、それならクリスさんでもできるんじゃ……」
敦の視線に、クリスはにっこりと笑ってみせる。
「残念ながら、わたしの手持ちは特定の場所から情報を抜き出すことに特化しているので、不特定多数から情報を検索して収集するのは不得手なんです。機械の容量や処理速度の問題もあって時間もかかってしまいます」
「そうなんですか」
「その代わり必要な情報ならどんなところからも抜き出してみせますよ。高いですけど」
「高いんですか……」
「探偵社からの依頼なら割引しても良いですけどね」
わざとらしく先を行く背中を見つめれば、国木田は苦々しい顔をしながら振り返った。
「クリスには頼むなよ、敦。以前他の件で試しに見積もってみたら社の経営が傾くほどの金額を請求された」
「え……」
「金額に似合う質の良い商品をお渡しする自信がありますから」
にっこりと笑う。国木田は当時を思い出したのかさらに眉を潜め、敦は目を白黒させながらぽかんとした。元よりクリスは情報屋ではない。加えて、必要以上に情報収集活動をしたくなかった。なるべく活動を控えて日々を過ごさなくてはいけない身だ。高額の報酬設定は、自分を利用させないための盾でもある。
「け、けど、今から会う情報屋ってハッカーなんですよね? 信用できるんですか? そんな危ない橋を渡るくらいなら、知ってる人に頼んだ方が……」
敦が心配そうに国木田に尋ねる。対して国木田は「安心しろ」とさらりと言った。
「奴とは一応十年来の付き合いだ、何より奴は元探偵社員でもある」
「ご友人ということですか?」
「そんなところだ」
国木田と敦のやり取りに、なるほど、とクリスは納得した。仕事以外でもたまに顔を出しに行くのだろう、国木田の足取りには迷いもなく、個人の家に行くというのに気張っている様子もない。
友人、か。
国木田と敦の背を見ながら、クリスは思う。
友と呼んだ誰かがまだ生きていたのなら、クリスにも、今の国木田がまとうような気軽さで彼らに会いに行くような日々があったのだろうか。
***
着いた先はボロボロのアパートだった。
「……ここが」
「すごい、わたしこんなに古い建物テレビでしか見たことありません。どこかに隠し通路とかあるんですよね、これ」
「それは古城か何かなのでは……?」
「日本の家屋の番組でしたよ?」
「武家屋敷……?」
「例えば、壁を押すとくるっと回って、向こう側と繋がってるんですよね」
「に、忍者屋敷だ……」
「わくわくしますね。見た目はただの古い建物なのに。どんな仕掛けがあるんでしょう」
「は、はは……」
敦は困ったように笑う。そんな会話をしながら、三人はとある部屋の前へと辿り着いた。
すう、と国木田は息を吸い込む。察知したクリスは耳を両手で覆った。え、と戸惑う敦の横で、国木田は怒声を張り上げる。
「花袋! 俺だ、入るぞ!」
返事を待たずに扉を開け放つ。ズカズカと躊躇いなく入っていく国木田の後を、敦が呆気に取られたようにそろそろと追った。二人分の足跡が床に新たに刻まれる。その足跡を、クリスはじっと見つめた。
埃の量からして一週間以上は放置されている。が、足跡は二人のもの以外は薄く、判別がつかない。この部屋の主は玄関の外にすら出ていないのか。情報屋というからには色々な人々とやり取りをしているのかと思ったが、どうやら彼は探偵社の仕事のみを受ける情報屋らしい。
ならば、とクリスは部屋の中へ足を踏み入れる。情報屋経由でクリスの存在が外部に漏れることはおそらくない。彼らは客の情報となればより慎重に扱うからだ。それに加えてやり取りする相手が探偵社のみならば、姿を見せても害はないだろう。
廊下の先のふすまが開かれ、国木田と敦がその中を覗き込んでいる。国木田は何かを見下ろすように腕を組んでいた。敦の後ろからひょこりと顔を出す。
「儂はもう駄目じゃあ……」
頼りない声は和式布団の中から聞こえた。前面に並んだいくつものパソコン画面が、それを青白く照らしている。よく見ればボサボサの黒髪が布団の下に隠れていた。ゴミの散らかる一室でモゾモゾと布団の中を動き回るこの男が、几帳面な国木田の友だというのは不思議な気もする。
「……あれが、田山花袋さんですか」
こそりと国木田に尋ねる。大きなため息をついて、国木田は頷いた。
「そうだ」
「思ったのと違いました。わざわざ配線引いてるんですね。情報屋は大抵、配線が既に張り巡らされている街中の地下を好みますが……」
「それは非合法のハッカーの話だろう。花袋は一応、合法のハッカーだ」
「なるほど」
国木田は花袋の様子に慌てることもなく、当然のように台所に向かう。花袋もそれを気にすることなく「布団の外は地獄じゃあ」などと会話を進めていた。一人置いていかれている敦は戸惑った後、部屋の隅にちょこんと座る。クリスもその隣に座ろうとし、ふと電子画面に映るものに気がついた。
「……あれ?」
ゴミを軽く避けつつ、花袋の布団の横を通って機器へと歩み寄る。
「これ……」
「ぬおおッ!」
花袋が被っていた布団ごと跳びのき、クリスから距離を取った。驚かせてしまっただろうか。
「あ、すみません、ご挨拶もなしに。お邪魔してます」
「お、お、おおおおなごじゃと……!」
花袋は布団を盾にするように顔を隠して目だけを覗かせ、クリスをまじまじと見つめてくる。
「……く、国木田が女性を連れてきた……」
「勘違いするな花袋。クリスはお前に会いに来たのだ」
「わ、儂に?」
「凄腕の情報屋だと聞いたので。これ、D3ですよね」
クリスは画面の一つを指差した。ぽかんと花袋が目を丸くする。
「……同業か」
「似たようなものです。うわあ、懐かしいなあ。これは何ですか?」
他の画面を指差しながら、クリスは布団の端に膝を乗せる。もぞりと花袋が布団にくるまったまま、クリスの元へと近付いてきた。
「せ、セキュリティ解読システムじゃ」
「もしかしてRRですか! SA07ver.12の後継と名高い、あの」
「し、知って……?」
「Leoは駄目でしたものね、WBと相性が悪くて」
「そ、その名称を知っているとは中々の腕と見た……!」
「WBにはお世話になりっぱなしですよ。あ、でもこの間のバージョンアップで単純なリーディングバグが発生していたのには笑っちゃいましたね」
「ああ、あれはむしろ修正を待つより自分で直した方が早いと話題になったのう」
「そうそう」
「おい」
グイ、と腕を強く引かれる。驚いてそちらを見てみれば、国木田が不機嫌極まりない様子で眉をしかめていた。
「来い」
「へ?」
「女性が男の布団の上で和気あいあいと話をするな。敦がいるというのに」
「……うん?」
「危機感が薄いのだあなたは! 良いから来い!」
無理矢理引っ張られ、立ち上がる。そのまま国木田はクリスを台所へと連れて行こうとした。力づくのそのやり方に、クリスはぴくりと眉を動かす。
「嫌です」
掴まれている腕を引き、足を踏ん張って抵抗する。国木田が何を気にしているかは知らないが、今ちょうど話が盛り上がっていたところなのだ。
思わぬ抵抗に国木田は軽く目を見張ってクリスを見下ろした。
「……何だと?」
「こういう話ができる相手ってそうそういないんですよ。お仕事の邪魔はしません。もう少しだけ」
「駄目なものは駄目だ」
「あと少しだけ!」
「だ、め、だ!」
「むう……!」
唇を尖らせてむくれてみせる。国木田は眉を動かしただけだった。互いに互いを睨みつける。
国木田の機嫌を損ねるようなことをした記憶はない。花袋と話していただけだ。それを阻害してくるのは、いくら国木田だからといって許されるものではない。
「じゃあ理由をちゃんと説明してください。納得がいきません」
「だから言っただろう、女性が男の布団の上で和気藹々とするなと! 男女というのは初めはその気がなくとも段々とそういう風になってあんなことやこんなことをだな!」
「なるわけないでしょう!」
「なぜ言い切れる!」
「言い切れますよ!」
言い、クリスは国木田の頰に手のひらを当てた。向こうが何をムキになっているのかがわからないが、それを追及するより今の不毛な論争にいち早く決着をつけた方が良い。
「お、おい……?」
「男女のやり取りの基本は、視線と接触、そして表情です」
指で軽く顎の線をなぞりつつ、じっと国木田の目を見つめる。瞬きの回数は少なめに、しかし瞼を開きすぎない程度に、軽く顎を引いて。釘付けになった国木田の目を覗き込みながら微笑み、背伸びをして唇を近づける仕草をしてみせれば、国木田は予想通り目を見開いたまま固まった。
「目を合わせたまま微笑んで、相手の体に優しく触れる。この過程があれば男女はそういう関係になります。顔や体を近づけ性的接触を想像させたならさらに効果的です。今のわたしと花袋さんにはそれがなかった。国木田さんが考えるようなことにはなりません」
すっぱりと言い切り、国木田を捨て置くように手を離して身を返し、花袋の元へと戻ろうとする。まさか諜報組織で学んだハニートラップの技術を国木田相手に使う時が来るとは思わなかった。
「国木田さんは気にしすぎです。わたしにいつも危機感がないと言うけど、だったらわたしは今生きてませんよ」
言いたいだけ言った後、ふとクリスは返事がないことに気が付いた。想定ではここで「人でからかうのもいい加減にしろ」だの「だが危機感がないのは事実だ」だのと言ってくるはずだったのだが。
そっと振り返る。国木田はそこにいた。が、体勢が少しも変わっていない。
「……国木田さん?」
名を呼ぶ。そこでようやく、国木田はびくりと体を揺らした。目が合う。先程間近で見た真っ直ぐで強い眼差しが、動揺を素直に表しながらクリスを見る。
「……馬鹿者」
国木田は呟き、額に手を当てて天井を仰いだ。
「そういうところだ。そういうことを、容易く人にするな」
「思ったより弱々しい反応ですね。何かありましたか?」
聞けば、国木田は大きなため息を長々と漏らした。答えを求めて敦を見れば、顔を赤くしたまま困ったようなぎこちない苦笑が返ってきた。その手の経験は浅いであろう敦はともかく、国木田がクリスへ反論すらしなくなるのは想定外すぎる、原因は何だろうか。
「……もしかしてハニトラされたことがあったとか? その気になってしまった手痛い過去が……わかった、国木田さんのその飾り気のない眼鏡はハニトラ避け……!」
「人の過去を捏造するな!」
「あ、元気になりましたね」
ぱちぱち、と手を叩く。国木田ががっくりとうなだれたのを見、クリスは声を上げて笑った。