第3幕
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駅に着いたクリス達は、見慣れた一団がいることに気が付いた。
「市警……の、鑑識?」
「あっちのは救護班だねえ」
駅員から話を聞いたり駅の利用者の様子を監視したりしている警官が数名。予期せぬ状況に、クリスと与謝野は顔を見合わせた。
与謝野が話を聞いたところ、どうやら駅構内に爆弾が仕掛けられていたらしい。旅行鞄が爆発したのだという目撃情報もあったようで、今はその事実確認をしているところだという。
「どうやら国木田が市警を呼んだらしいね」
駅のホームへと向かいながら、与謝野が言う。その言葉にクリスは「え」と声を漏らして目を丸くした。
「……国木田さんが? 今日は一段と予定が詰まっているんでしたよね? 市警の話と合わせると、時間が噛み合いませんけど……?」
「あれはそういう男だよ」
エスカレーターで一段下に乗った与謝野がクリスを振り返りつつ笑う。それは、呆れているようでいてその実、誇らしげだった。
「アンタもわかってるだろう?」
わかっていて当然とばかりにそう言われ、クリスは軽く呼吸を止めた。
「……わたしは」
わたしは、あの人について何も理解できていませんよ。
そう言おうとして、止める。代わりに明るい笑顔で肩を竦めてみせた。
「国木田さんには敵いませんね」
彼にとって「予定」は何よりも大切なものだ。それを無下にしてまで彼は爆弾処理に尽力した。その結果がこの、怪我人もなくダイヤの乱れもない街。
国木田のことは知っている。彼にとって予定よりも大切な思いが、信条が、理想があることも知っている。けれどそれを理解しているかどうかは別の話だ。
「……他人なんて放っておけば良いのに」
ぽそりと呟いた本音は、高らかに電車の到来を告げる放送に掻き消される。
「わけがわからない」
だからわたしは、あの人のようにはなれない。誰かのために自分を投げ出すというのは一体どんなものなのだろう。誰かへと伸ばしかけた手を戻して胸元で握り締めることも、目の前で泣き叫ぶ子供から目を背けて耳を塞ぎその場から駆け出すこともない毎日とは、罪悪感すら存在しない虚無に満ちた毎日とどれほど違うのだろう。
わからない。
ホームに着き、電子板を見て時間を確認する。もうすぐ来るらしい電車を待つ間、クリスは与謝野と他愛ない会話をしていた。
「初めて列車を見たときはとても驚きました。大きなものが、もの凄い勢いで動いていたから」
「賢治も初めて見た時は相当驚いていたよ。目を輝かせて、走ってる列車に触ろうとするもんだから慌てて引き戻したっけ」
そう言って与謝野は探偵社員達との思い出を聞かせてくれる。クリスの知らない話ばかりだ。相槌を打ちながら聞いていたその時、奇妙な音が聞こえてきた。
――ゴオオオオォォ……!
線路の奥から、大きな鐘が鳴らされたような音が響いてくる。木霊をいくつも重ねたような音だ、列車が向かってきている音に似ているが、少し違う。聞き覚えがない。
が、そう思っていたのはクリスだけのようだ。
「……この音」
「与謝野さん?」
「なるほどね、爆弾魔探しでもしていたか」
頭に手をやり、与謝野はため息をついた。そして戸惑うクリスをちらりと見遣る。
「国木田からの要請だ」
「……え?」
「何かに巻き込まれたらしい。爆弾処理が必要になりそうだから、市警にそれを伝えてもらって良いかい? 妾は先に国木田のところに行くよ」
す、と与謝野は電車の来ていない線路の奥を見つめる。
「この先に、国木田はいる。妾達の名前を出して良いから、なるべく早く頼むよ」
「……どうして、わかるんですか」
それは純粋な問いだった。今聞こえてきたのは遠くからの音だけだ。なのに与謝野は市警を動員しようとしている。あの音が国木田によるものである確証はないし、国木田が今何をしているのかは不明なままだ。爆弾処理の必要性などもっと確信がない。
「理由なんて些細なもんさ」
軽やかに線路へと降り立ち、与謝野はやはり楽しげに笑うのだ。
「何となくそんな気がする。ただそれだけだよ」
片手をひらりと振りながら、与謝野は照明の乏しい線路の向こうへと歩いていく。ぽかんとしたまま、その背を見送った。
「……全然、わかんないな」
国木田へ連絡を取るだとか、市警を引き連れて向かうとか、そもそも駅員に知らせるだとか、先にやることはあるはずなのに。不鮮明な直感だけで、この人達は歩いて行ってしまう。その先に誰かを救う可能性があるのなら、きっとこの人達は躊躇わない。
――きっとそれを、人は「強さ」と呼ぶのだろう。
「……わかんないなあ……」
くるりと線路に背を向けて、クリスは先程降りたばかりの階段を駆け上がる。駅にいた市警の中に、爆弾処理班の姿もあったはず。国木田があらかじめ爆弾のことも伝えていたのだろう。あの人達を呼ぼう。
クリスに探偵社の真似事はできない。けれど、彼らの意思を手伝うことくらいはできる。
そのくらいはできる。
改札近くにいた警官に与謝野の名と伝言を告げる。武装探偵社の社員の言葉だと知った彼らの動きは素早かった。あっという間に増員し、規律のある動きでホームに向かっていく。薄く硬質な盾が事態の重々しさを表しているような気がした。
改札の隣に立ち、階段下に消えていく警官達を見送る。その先へは行けない。クリスは探偵社員でも市警でもない、一般市民。危険だとわかっている場所に警官達の反対を押し切ってわざわざ踏み込めば、目立ち過ぎる。
改札の外に出、平穏で代わり映えのしない街並みと人々を眺める。爆弾魔、と与謝野は言っていた。あの線路の先では、壮絶なやり取りが行われているのだろう。
――いつも、こうだ。
服の裾を握り締める。
わたしはいつも、こうだ。
いつだって、言い訳のようなことを抱えながら自分のことばかり考えている。この身に迫っている危険なんて全部気のせいで、危ないことをしたくないだけなんじゃないかと思う時は良くある。否、この逃避の理由の一つはそれに違いない。わたしはそうやって、目の前で命をかけて何かを守っている人達をエンターテイメントとして眺め続けるのだ。
それで良いのだと、笑う。こんな下卑た自分だからこそ、自分を厭うことができる。
人は世界のどこかに敵を求める。それを憎み蔑み貶すことで、自分の正しさを自覚する。敵のいる人は幸せだ、正しい自分でい続けることができるのだから。
だから、きっとわたしは幸せなのだと一人笑う。これ以上を望むのは贅沢に違いない。
だから。
横を人々が通り過ぎていく、その中で一人立ち竦む。息を細く吐き出した。ざわつく心を潰すように、そこにある何かを殺し消し去るように、両手を胸の前で握り合わせ、そして、指を組む。口元に寄せ、目を伏せる。
悪を行う人間は光に罪を照らされることを恐れ、神の導きを信じる者は光の下に集まる。故郷で誤った神を教え込まれていたクリスに、ホーソーンはそう教えてくれた。光の下に集った人々へ、神は祝福をもたらすのだと。
ならば、光の下で生きるあの人達を、神は救うべきだ。
「……あなたが本当の神様であることを、証してみせて」
風が髪を掬い、耳元を撫でていく。