第3幕
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探偵社へ敦と鏡花のことを伝えた後、クリスは一階の喫茶に向かった。そろそろ閉店時間だが、顔を出すだけでもしておきたかったのだ。
扉を開ければ、チリン、と軽やかな音が響く。
「いらっしゃいませ」
店長の落ち着いた声が、ベルの音に呼応する。サングラスの似合う妙齢の彼は、クリスの姿を見て優しく微笑んでくれた。
「お一人ですか」
「すぐに帰ります。店長さんが手を怪我されたと聞いて、見舞いを」
言い、クリスはここを訪れる前に花屋から受け取ってきた花束をカウンター越しに店長へ渡す。この小さな店に似合う、小さな花束だ。
「お加減は」
「問題ありません。また珈琲を淹れることができるというだけで、十分です」
花束を受け取り、店長は早速それを生ける花瓶を探しに店の奥へ行く。一人静かになった店内で、クリスはカウンターに座りながら両肘をついた。
「――出てきても殺さないよ」
もぞ、と視界の隅で何かが動く。奥の席の、テーブルの下だ。そこに誰かが隠れているのは店に入った時から気付いている。
諦めたようにそれはテーブルから出てきた。バンダナで覆った赤毛が、テーブルのささくれにでも引っかかったのかぼさぼさになっている。
「……探偵社員でもないのに常連気取りだなんて、随分お気楽なのね。今度は誰を裏切るのかしら。それともあたしを抹殺しようとでも?」
「いや、殊勝に働く君を見物しようかと」
「今すぐアンの部屋に閉じ込めるわよ」
「さすがにそれはお断りしようかな。天候操作じゃ異空間から出られないからね。――どう? 調子は」
ニイと笑んだクリスへ、モンゴメリは苛々とした様子で「散々よ」と答えた。
「ギルドは壊滅するし、虎猫ちゃんはあたしにビクビクしてばっかりだし、あなたに会うし」
「上々だね」
「人の話を聞いていて?」
「フィーは死んだの?」
「聞いてないわね? ていうかフィーって誰……ああ、フィッツジェラルドさんのこと?」
明らかに不快さを露わにしていたモンゴメリが、一旦言葉を切り、そしてちらと視線を逸らす。その一瞬の沈黙は思考のよるものだった。話すか、話さざるか――伝えて良いのか、と。
「……あの高度から落ちたら普通、ひとたまりもないわ。虎猫ちゃんは無事だったけど、それは異能があったからよ、あの時のフィッツジェラルドさんは異能が切れてた……遠目から見ていたからわかるわ。――期待はできないでしょうね」
「まあ、そうだよねえ」
「そうだよねえ、ってあなた、わかっていたならわざわざ訊かなくても……」
モンゴメリがもの言いたげに身を乗り出したところで、店の奥から店長が戻ってきた。途端、彼女は黙り込む。聞かせたくないというよりは、店長に「他人と仲良くお喋りしている自分」を見られたくないのだろう。彼女の強気さは強情とも言えるものだ。
間違ってもこの、表向きの顔だけは良い裏切者と友達だとは思われたくない――そういったところだろうか。
モンゴメリの異様な沈黙に気付くことなく、店長はくびれのついたガラスの瓶をカウンターの端へと置いた。そしてようやく彼はモンゴメリの姿に気付く。
「ああ、ご紹介がまだでしたね、彼女は」
「知ってますよ、新人さんですよね」
「おや、ご存知でしたか」
「噂で少々」
ちらりと横目で見遣れば、モンゴメリは不機嫌そうに顔を背けた。そのやり取りでわかったらしい、店長は「おや」と感嘆の声を漏らす。
「お知り合いでしたか」
「以前いた国で、互いに話を聞いていた程度です。その後この街で顔を合わせて、そして今改めて」
「縁がおありなんですね」
「そんなもの、あってたまるもんですか」
ぼそりとモンゴメリが呟く。かなり機嫌が悪いらしい。白鯨でもそうだったが、彼女はクリスに対してあまり良い感情を持っていないようだった。それに対して何か思うわけではない、人の好みは人それぞれ、他者が口を挟むことなどできない。
となれば、無視するのが一番だ。相手が明らかに嫌そうな顔をしているが、気にしなければ良い。
「ねえ、モンゴメリ」
「気安く呼ばないでくださる?」
「じゃあ、モンゴメリちゃん」
「ふざけてるの?」
「少し」
「あら、アンと遊んでくださるのかしら? いつだって大歓迎よ、いっそ今すぐお招きしてあげるわ。特別にその手足と口をリボンで可愛らしく結んでぬいぐるみと一緒に置いてあげる」
「フィーは、最後に」
苛立ちを露わにしていたモンゴメリの表情が変わる。
「最後に……何か、言ってた?」
クリスの問いに、モンゴメリは大きく息を吐き出した。呆れをこれでもかと吐き出した後、彼女は肩をすくめて「ええ」と答える。
「白鯨から離脱した時。クリスの異能なら白鯨落としの威力を防げる、奴が死ぬわけがない、作戦が終了したらすぐに探し出せって」
「変わらないなあ」
勝利を確信していた辺りが、フィッツジェラルドらしい。そしてクリスの行動を先読みしているところも。まさか自分の方が敗北し、生死不明になるとは露ほどにも思っていなかっただろう。
クリスだってそうだ。あの男が敗北を喫し行方すらわからなくなるなど、起こり得るとも思わなかった。誰もが想像しなかった結末。
だから、ギルドの皆はちりぢりになった。彼の生還を信じ組織を維持するという発想すらないままに。今後あの組織があの実力でクリスの前に立ちはだかってくることはもうない。
決して、ない。
「で? あたしとギルドの思い出話をするために来たわけ?」
「いいや」
「じゃあ何しに来たのよ」
「さっき言ったよ。見物って」
「なッ……!」
「君が給仕をしている姿を見に来た。服装似合ってるね」
「な、な、な……!」
本当に見物目的だとは思わなかったのだろうか、絶句したモンゴメリを横目にクリスはカウンターから立ち上がった。と、店内に置かれた装飾物を見つける。
ピアノのスノードームだ。いつから置かれていたものだろう、何度もこの喫茶を訪れているのに気がつかなかった。しかし見覚えがある。確か、白鯨の、誰かの部屋で。
クリスの視線の先を辿り、モンゴメリが「ああ、それ」と声を上げた。
「オルコットちゃんがくれたのよ。転職祝いに」
「ああ、そうだ、オルコットのだ。……君、オルコットと仲良かったんだ?」
「あたしをギルドに勧誘したの、あの子よ」
「へえ」
内気な作戦参謀を思い出す。あのオルコットが、フィッツジェラルド以外の人と交流していた事実が驚きだった。
「意外だな。オルコットと違って君はおしゃべりだから」
「何が言いたいのよ」
「意外だって話だよ。別に君と喧嘩をしたいわけじゃない。突っかかりすぎると嫌われるよ」
「余計なお世話よ!」
何かの敵対心からなのか、モンゴメリはピリピリとクリスの言動を気にしている。その反応が面白くて、と言ったらさすがに異能を使われてしまいそうなので黙っておいた。ちなみに店長はモンゴメリの様子を見てニコニコしている。彼女のことを娘のように大切に思っていることが窺える、あの様子では「仲の良い友達だ」とでも思われていそうだ。それを口にしたら彼女は今よりも激昂するのだろうけど。
――探偵社の周りは、良い人ばかりだ。
それじゃ、と片手を振って店の扉を開ける。来た時と同じ、チリン、という軽やかな音が響く。
「君が楽しそうで良かった。また来るよ」
「来なくて良いわよ」
「良いでしょ、たまには英語を聞かせてくれても」
「ホームシックってわけ? 母国語が聞きたくなっちゃうお年頃なのかしら?」
ふふん、とモンゴメリが得意げに言う。その言葉に、クリスは軽く目を見開いた。
「……いいや」
どうか、この顔に心情が映っていなければ良い。もしくは、顔を背けるのが間に合っていたのなら良い。
「あの国の英語は、一生聞きたくないよ」
扉のガラス面に映る自分の顔を見る。見慣れた青は、砕けたガラスの欠片のように鋭く、無機質だった。