第3幕
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[Act 3, Scene 1]
盛大な拍手を聞きながら、目の前で幕が降りていくのを見つめていた。歓喜した観客達の顔が、動き続ける手が、その真紅の布に隠されていく。誰の意思でもなく遮断されていく観客席と舞台。
やがて幕が降り切った時、拍手はだんだんと鳴り止み、代わりに感嘆の混じったざわめきが幕の向こう側から聞こえてくる。
「お疲れ様でしたー」
舞台の上でもそれは同じ。安堵と歓喜に浮き立つ声がいくつも重なって、互いを労う木霊となる。
目を閉じる。息を吐き出す。瞼の裏に焼きついた人々の笑顔を見つめる。
「リア」
呼ばれ、クリスはそっと瞼を上げた。船乗りの服を着た同い年くらいの男が、隣で不思議そうに顔を覗かせてくる。
「どうしたんです?」
「……ヘカテ」
「ぼんやりして……体調でも悪いんですか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
心配そうなその顔ににっこりと笑みを向ける。事実、体調が悪いわけではない。少し考え事をしていただけだ。
再び幕の裏側を見、クリスは目を細めた。この向こう側にいたたくさんの人を、その眼差しを、思う。
「……幸せだな、と思ったんです。舞台の上にいて、目の前にお客さんがいて、誰もが喜んでくれていて」
「そりゃ勿論そうですよ、リアの演技は誰が見たって凄いんですから。あ、そういえば今度の新作のポスター、有名な画家さんに描いてもらえるんですよね! すっごく嬉しくて、跳ね上がっちゃいました!」
ヘカテは自分のことのように、楽しげに笑う。
「なかなかアポも取れないような画家さんですって。それが、あっちから申し出てきたんだそうですよ、知ってました? リアの魅力は画家さんにも通じるほど、圧倒的で完璧なんだなって、改めて見せつけてもらえた感じですよね!」
「そんなに大袈裟に言わなくても」
「大袈裟なんかじゃないです!」
拳を握り締めて、ヘカテはぐいと顔を近付けてくる。興奮に目が輝き、頰が火照る、その真っ直ぐな熱意にクリスは仰け反るように一歩後ずさった。
「ヘカテ……」
「僕もリリアに憧れてここにいるんです。僕だけじゃない、いろんな人が、リアに魅了されて、惹きつけられてる。……僕、本当は演劇なんて見たこともなかったんです」
「え?」
「本当ですよ、学生時代だって筋トレばっかりで、劇を見るだなんてしたことなかったんですから」
でも、とヘカテは照れたように苦笑いした。帽子を取り、頭を掻く。
「……たまたま、見てみたのがリアの舞台だったんです。何も考えられませんでした。もっとそばで見たいと思って、そこから役者を目指し始めて、最近ようやくリアと一緒に主役をやれるようになって……それをさせようと思わせてくれるくらい、リアは凄いんです」
「……凄い、って言ってばっかりですね」
「ああ、すみません、語彙が少なくて」
クリスの指摘にヘカテは顔を逸らしながら笑った。その笑顔はどこまでも楽しげで、満足そうだ。この表情をさせているのが自分自身だということが、クリスには嬉しかった。
自分を見る眼差しはいつも、恐怖や敵意や好奇心だった。けれど今は違う。ここでは、誰もが笑顔を向けてくれる。
自分が誰かを笑顔にするなど、少し前までは無理だと思っていた。
胸に手を当てる。胸元に止められたブローチが冷たい。男装の、貴族の召使いの服装は、舞台の上だからこそ着ることができるものだ。その事実は、クリスが今舞台の上にいるということを確かに教えてくれる。
夢見た舞台の上にいると、教えてくれている。
ウィリアムが、ウィリアム達が望んだ場所に立っていると、実感させてくれる。
「ありがとうございます」
クリスは言い、ヘカテへと微笑んだ。
「……ヘカテには助けられてますよ」
「ぼ、僕が?」
「ええ」
「そ、そんな、そんなことは、別に何かしてるわけでもないし!」
目を丸くしてわたわたと自分を指差したヘカテに、クリスは小さく声を上げて笑った。ヘカテの動きはわかりやすい。それがとても、心地良い。
この街の人達は皆素直だ。好意も、敵意も、真っ直ぐに伝えてくる。騙してくることも繕うこともない。
「……どこへまでも踊りたい気分」
「え?」
クスリと笑って、クリスは舞台の中央で天井を見上げる。眩しい照明に目を細めながら、手を伸ばす。息を吸って、細く吐き出しながら呟くように歌を歌う。
「"I skipped o'er the water,
I danced o'er the sea,"」
――わたしは踊る。水を越えて、海を越えて。
くるりと回り、両手を広げてヘカテに微笑む。これは歓喜の舞、幸福の歌。
「"And all the birds in the air,
Couldn't catch me."」
――空を行く鳥すらもわたしを捕まえることはできないでしょう。