幕間 -DEAD APPLE-

夢小説設定

この終焉(おわり)なき舞台に拍手を
本作品の夢主は英国出身北米育ちです。
カタカナでの名前を推奨しております。
名前(ファーストネーム)
名字(ファミリーネーム)
舞台女優名

***


 街が霧に包まれた、その数日後。
 クリスはとある路地裏に来ていた。所狭しと建物が並んだその細い道には日が差さず、明かりの灯った看板がいやに目につく。そのうちの一つを見つけ、クリスは店の扉を開けた。カラン、とベルが鳴る。少し奥へと進めば、カウンターが見えてきた。入り口のあった道と垂直方向に伸びたそのテーブルの中央に、男が一人座っている。

「やあ、来たね、クリスちゃん」
「……こんなお洒落なところで飲んでいるんですね、太宰さん」

 少し驚きながらカウンターを見回す。太宰はちょうど中央の席に座っていた。その右側の席には手のついていないグラスが一つ置かれている。琥珀色の液体の中に、丸い氷が浮いていた。少し考え、そのグラスが置かれている席の隣に座る。太宰と一人分の距離ができた。

「おや、なぜそこに座ったんだい?」
「おそらく太宰さんの両脇は、あなたのご友人の席だと思ったからです。後もう一つ、これだけ距離があれば飲み物に毒を混ぜられません」
「お互いに、ね」

 店員に水を頼もうとしたクリスを遮って「烏龍茶を」と太宰が横から勝手に言う。じとりと見遣ったクリスへ、太宰はへらりと笑った。

「酒は飲まないんだね」
「先日の戦いが尾を引いてまして。アルコールは体への負担が大きいですから。不便なものです」
「まあ良いじゃない。酒がなくても話はできる」
「でもあった方が話が進みますよ、きっと。特にあなたとの会話は」

 茶色の液体が入ったグラスが、目の前に置かれる。落ち着いた穏やかなその色を見つめ、クリスはグラスへと手を伸ばした。

「……ご友人のお名前は?」
「その前に乾杯をしよう」

 太宰がグラスを掲げる。一瞬考え込み、クリスもまたグラスを持ち上げた。隣の席に置かれたグラスへと、それを近付ける。

「何に?」
「ストレイドックに」
「野良犬に?」
「そこは『迷い犬』と和訳してくれたまえ」
「……そうでしたか」

 納得はしていないまま、クリスはグラスを掲げた。それに合わせて太宰もまた、空席のグラスへと自身のそれを近付ける。

「ストレイドックに乾杯、って英語で何て言うの?」
「"To stray dogs"、でしょうか」
「良いね、それで行こう。――"To stray dogs."」
「"To stray dogs."」

 カチン、とガラスがぶつかる音が、店内に響く。

「良いねえ、やはりネイティブの発音は良い」
「それはどうも」

 お互い一口飲み、グラスをテーブルへと置いた。太宰が片肘をついてクリスへと向き直る。

「名前だったね。彼は織田作之助。私達は織田作って呼んでいたよ」
「妙なところで区切りましたね」
「特別っぽくて良いじゃない。外国のニックネームと違って、誰もが呼ぶわけではない呼び方。浪漫だろう?」

 とんとんと会話が進んでいく。取り留めのない、探りを入れるためでもない会話。それはクリスと太宰にとっては初めてのものだった。
 今までも、これからも、この男とは敵と味方の間の関係だ。けれど今日は、この静かなバーにいる今は、拳銃も異能もなく語らっても良い気がした。

「ニックネーム文化の中で過ごしたので理解しかねますが……ポートマフィアの中のご友人でしたっけ」
「そうそう。これまた面白い奴でね、私の予想を大きく超えるような発言をしてみせるのだよ。飽きがなくてとても楽しかった」
「へえ、太宰さんにそう言わせるとは」
「だって”林檎自殺”と聞いて、織田作ったらシンデレラと答えたのだよ?」
「えっと、白雪姫Snow Whiteか。ウィリアムとはまた違った感じかな」
「というと?」
「”シンデレラって灰かぶりって意味なのに、今や世界はそれを奇跡的な力で玉の輿を手に入れた女性を意味すると思っている。つまり灰をかぶれば玉の輿に乗れるってことだ”」
「ははあん、なるほどそう来るか」
「えっ、何で理解できるんですか?」
「君の友人と私は随分と気が合いそうだ、なーんて」
「それは否定しません」
「否定してよお。私、玉の輿に乗るために灰をかぶる人間じゃないよ?」
「むしろ他人にそう吹き込んで、灰かぶろうとする様を見届けますよね」
「うん」

 顔を見合わせ、笑い合う。穏やかに見える偽りの和みが、酒場を満たす。

「ところで」

 太宰がグラスの中の氷をつつきながらクリスを見遣る。

「あの薬、死体現象の進行を抑制するものではないね」
「おや、ばれました?」

 クリスの底抜けに明るい声とは反対に、太宰は店内の静けさを保つような落ち着いた声で続ける。

「私が薬物を購入したことを知った君はまず、私がいつそれを使う可能性があるかを調べたはずだ。そして澁澤がこの街に来ることを知った。私が彼をこの街に案内したこともね。君は私を疑った。そうだろう?」

 詳細な説明を求める太宰の口調に、クリスは肩をすくめる。

「勿論。澁澤さんの存在も来国も、政府以外知る由もなかったはずでしたから。一番に思いついたのは澁澤さんと旧知の仲で、元々この街をターゲットにしていた可能性ですが、その線は非常に薄い。異能者を大量に変死させる必要が異能無効化の力を持つあなたにはありません。ではなぜ澁澤さんを案内したのか……考えたんですけど、全くわかりませんでした」
「当然だ。その疑問からして間違っている」
「ええ。……なぜこの街に案内したのか、ではなく、なぜ澁澤さんに接近したのか、ということを考える方が正しかった」

 太宰の指が氷から離れる。カラン、と氷とグラスがぶつかり合って音を立てた。

「異能無効化の異能力者である太宰さんが澁澤さんの力を必要とするとは思えません。なら、なぜ澁澤さんに協力したのか。――澁澤さんがこの街に来ると知り、その上でコンタクトを取ったと考えるのが現実的でした。ただしその場合、澁澤さんを利用しようとしているのか、それとも澁澤さんを阻止しようとしているのかまでは判断ができません」
「そして私の真意を探るためにこれを渡してきた」

 これ、と言い、太宰が円筒状のケースをつまみ上げた。蓋を開け、ひっくり返す。中身のない白いカプセルと一緒に小さな機械がこぼれ落ちてきた。

「発信器だね」
「高精度の盗聴機能付きです。お値段高かったんですよ。中に貼り付けていたんですが、やはり気付きましたか」
「気付くように仕掛けたのだろう?」
「ええ」

 楽しげなクリスの返事に、太宰は呆れたようにため息をつく。

「そして、私を試した」
「これを壊されなくて安心しました。わたしの追跡を拒むような、心苦しい理由がないということですから」
「壊された時は私を消しに来た、か」
「そのつもりでした。生憎その時間すらなかったでしょうが」

 クリスの指が茶色を透かしたグラスの表面を撫でる。

「……一つ、お伺いしても?」
「何だい」
「ドストエフスキーというのは何者ですか」

 盗聴器から聞こえてきたその名を口にすれば、太宰は何かを考え込むように押し黙った。一口酒を口にし、そしてグラスを置く。

「なぜ気になるのか、聞いても?」
「わたしとウィリアムの共通の友人が、澁澤さんによって殺されています」
「異能者かい?」
「融合の異能者です。二つ以上の異能を融合し、一つの異能を作り出す……【錬金術師】という異能の所持者でした」

 ――太宰が再び黙り込む。
 おそらくその頭の中では、様々な情報が組み上げられ、新たな事実を示し始めているのだろう。

「……澁澤が標的にしてきた異能力者の情報は、ドストエフスキーから買ったものだと言っていた。おそらくは彼らの異能も魔人は把握していただろう。そして今回、利用した……残念だけれどもね」
「ベンを殺したのはそのドストエフスキーという人だということですね」
クリスちゃん」

 是を答える代わりに太宰がクリスの名を呼ぶ。それは戒めのような響きを持っていた。ちらと視線を向ければ、太宰はその暗闇を知る眼差しをこちらに向けてきている。

「感情的になってはいけないよ。特に君は。それが敵の策略だ」
「敵?」
「君を利用しようとする奴だ。君はあまりにも奴の駒に適しすぎている。奴はあらゆる手を使って君を思うままに動かそうとしてくるだろう。あれの思考を読んで先回りするのは非常に困難だ、私でも奴と対峙するくらいしかできない。だから、君には自分の意志で奴の策略から逃れてもらわないと」

 太宰の言葉は示唆的で、抽象的だ。具体的にどうすれば良いかがわからない。それに、奴とは誰のことだ。戸惑いをそのままに、クリスは目の前のグラスを見つめた。穏やかな茶色が、氷を浮かべている。
 記憶の中の眼差しがそれに重なる。
 優しい声で名を呼ばれた気がした。

「……太宰さんは、憎まなかったんですか」
「憎んださ」

 何を、とは聞かずに太宰はさらりと答える。

「きっとね。けど、言われてしまったから。人を救う側になれ、って」
「……素敵な言葉だ」

 目の前の茶色から目を逸らす。

「……わたしには、できそうにないことです」
「君は孤独を約束されている。君が頼った相手はことごとく死の危険に晒され、君に近付く者の全てが君の力を利用しようとする。死体になることすら許されていない君は、自ら死を選ぶこともその身を投げ打って誰かを助けることもできない。君は常に利己的で一人ぼっちだ。けれどもね、考えてもごらんよ」

 太宰が微笑む。

「それをわかった上で、君は生きている。爆弾を抱えることもなく、金属液を飲み干すこともなく、生きている。君が君であるが故に、君の生は何よりも全てを救う方法であることには違いない。今のクリスちゃんは、十分”人を救う”ことができているのだよ」
「……そうだと良いんですが」
「納得はできないだろうけどね」

 太宰がグラスを持ち上げてくるりと液体を回す。その様子を見、クリスはグラスの茶色へと目を細める。両手でそれを包み、手前に引き寄せる。水面にうっすらと自分の顔が映り込んでいた。

 ――良いんですよ、仲間ですから。

 ――そんなこと、じゃないよ。

 ――もっと自分を大事にしてよ。じゃないと、君を大事に思っている人達が悲しむ。

 賢治の笑顔が、与謝野の怒声が、谷崎の必死の表情が、思い浮かぶ。

 ――私にも可能性があった。あなたにも、ある。

 ――僕達にはあなたを守り切る力はないかもしれない。けど、一緒に立ち向かうことはできます。

 鏡花の澄んだ眼差しと敦の強い言葉を思い出す。
 そして。

 ――俺に頼れ、クリス。俺はあなたを救うことで、俺の理想が正しいのだと知ることができる。

 あの優しい嘘を、思い出す。
 この胸の苦しさは何だろう。誰に裏切られた時よりも、誰を殺した時よりも、胸の中に何かがつっかえている。それは涙を想起させた。胸の中に涙があふれようとしている。喉を枯れさせ、呼吸を浅くし、頭を重くぼんやりとさせ、唇をわななかせる、震えに似た感情。

「……不思議な気分です。まるで刃のないナイフで心臓を刺されているかのようで」
「確かにそれは不思議な気分だねえ」

 穏やかな声が相づちを打つ。

「きっと、それは憎しみとは真逆のものなんだろう」

 憎悪と真逆の感情。
 それは一体、何だ。

クリスちゃん」

 太宰が中身の減ったグラスを傾けてくる。乾杯を示唆する仕草だった。なぜ、と目で問うと、いつもより明るさを失った静かな表情で彼はにこりと笑む。

「そういう気分だからさ」
「酔ってます?」
「ふふ、内緒」

 再び、グラスとグラスがぶつかり合う音が響く。落ち着いたジャズの音楽の中に、その音は水たまりに落ちる雫のように消えていった。


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幕間 -DEAD APPLE- 完

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