幕間 -DEAD APPLE-
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日差しの暖かな中庭のベンチで、少女はいつものように一人座っていた。足をぶらぶらとさせ、そのサイズの合っていない靴が揺れ動く様を見つめる。ふと遠くから聞こえてきた会話に、少女はウサギが耳を立てるように顔を上げた。
「だーかーらー、もしその理論を実証するなら十年は軽くかかるって言われたんだろ? ならお前もこの先十年はここで研究してなきゃ駄目じゃねーか」
「僕がいなくてもベンがいるじゃない?」
「俺の専門は異能特異点なの。異能発現関係なんてさっぱりだってーの。一人だけ隠居とかズルだぞ、許さねえからな? ……ったくどうしてこんな辺鄙な田舎に来ちまったんだろうなあ。こんなとこで十年も住めねえわ、無理無理」
「落ち着くよ? 昼寝するとね、鼻に蚊が入ってくるし」
「全然落ち着かねーじゃねえかそれ」
「うん、すっごいくしゃみが止まらなくなる」
「……大丈夫かこれ、会話になってんのか?」
「会話とは相手の言った文章に文章を返し、相手がそれへさらに文章を返すという一連の流れによって成立する。つまり、前後が繋がっていれば成立していると言えるよ」
「つーことはこの脈絡のない会話もわざとかよ!」
「ベンと話していると飽きなくて楽しいよ」
「唐突に褒められて誰が喜ぶと思ってんだ」
「君」
「これはちゃんと脈絡ある会話にすんのかよ!」
二人の人影がこちらへと歩きながら会話を弾ませていた。一人は生真面目そうな顔つきの、しかしどこかのんびりとした口調で話している若い男性。髪色は脱色したかのように銀色一色で、その目は穏やかな茶色。対して律儀に会話を進めていく男性は陽気さの伝わる顔つきをしており、このあたりでは珍しくはないライトブラウンの髪に同じ色味の目。見慣れた二人組だ。
「ウィリアム!」
ベンチから飛び降り、少女は銀の髪の男性へと駆け寄った。
「やあ、クリス。今日も元気だね」
「ウィリアムが来たから元気になったの」
「ふふ、嬉しいことを言うなあ」
そして、その横にいた男にも笑顔を向けた。
「ベンも来てたんだ! えっと、久し振り?」
「そうだなあ、最近はずっと部屋にこもってたから……何日振りかは忘れちまった」
ベンがしゃがみこんでその大きな手を少女へと伸ばす。わしゃわしゃと髪を撫でられ、少女は驚いたように身を固まらせた。
「ああ、言い忘れてた。ベン、ここでは子供達には通常、僕達は触れてはいけないんだよ」
「……まじかよ。どうなってんだここのしきたり」
「研究対象だからじゃない? ま、彼女には大丈夫。初日に君も彼女へ”全てを許す”って言っただろう? あれは、僕達が彼女達に何をしても彼女達には何の害もないってこと。彼女達にとって僕達は神から〈恵み〉を授かった特別な存在だからね、僕達へ勝手に話しかけることも触れることも、彼女達にとっては大罪なんだ」
「うっわ宗教ってめんどくせえ」
「しかも少々いじってあるしね。だからこそ、彼女は僕達と接した日々を何よりも鮮明に覚えるし、いつまでも忘れないと思うよ。僕の姿もベンの顔も、ずっと覚えていてくれる」
「それもそれで恥ずかしいな」
「十数年後の異能成長理論の実証、楽しみだね。ベンの顔写真が話題になって、生き別れてたクリスが『あ、この人は!』って気付いて遠くから駆けつけてくれる感動のエピソードをよろしく頼むよ」
「いやだからさっき専門外だから無理って言った!」
小難しい単語を含んだ会話をしつつ、ベンの手はそっと少女の頭から離れていった。二人は立ち上がり、ベンチへと向かう。しかしベンチへと腰掛けたベンと違い、ウィリアムはそれを通り過ぎた先の芝生の上へごろりと寝そべった。
「うっわお前何してんの」
「ひなたぼっこ。気持ち良いよ、ベンとクリスもおいでよ。草の葉っぱがちくちくして痛い」
「気持ち良いんじゃないのかよ」
「体の表側は気持ち良いけど、裏は痛い」
「金網の上の魚みたいだな」
「魚にとっては裏も表も痛いんじゃない?」
「そこでまともな突っ込みしてくるんじゃねえよ」
ぶつぶつと言いながらも、ベンもウィリアムを真似て芝生へ寝そべる。少女もまた、二人の間に収まるように寝そべった。首筋に草の先が刺さって痛いが、確かに日差しを浴びている体の表面は温かくて気持ちが良い。
と思っていたら、ベンが耐えきれないとばかりに上体を跳ね上げた。
「くっそ痛ってえ!」
「ベン、暴れないでよ。金網の上の魚は暴れないよ?」
「俺を魚と一緒にすんな!」
「動かないと痛くないよ、ベン」
「そうは言うけどよお、クリス……あ痛てッ。……我慢するようなことか? こりゃ……いたた」
文句を言いつつ、ベンは怯えつつそっと上体を倒していく。そしてまた芝生の上に横になることに成功した。三人並んで、空を見上げる。風が鼻先を吹き抜ける。
「……良い天気だな」
ベンが呟く。頷いた少女とは逆に、ウィリアムは「そっか」と返した。
「君達にはこれが”良い天気”に見えるんだね」
「は? どこからどう見たって良い天気だろうが。雲一つなし、青空が一面だぜ?」
「つまり君にとって”雲一つなく青空が一面”であれば、それは良い天気ということだ」
「……わけわかんねえ」
「意識の問題さ」
ウィリアムが楽しげに笑う。
「物事の本質は、それを捉える対象によって変わる。そう、全ては意識の問題なんだ。何かを綺麗だと言う人と、同じものを汚いと言う人。何かを正しいと主張している人と同じものを間違いだと非難している人。どちらだけが正しいということはない。どちらも正しくて、どちらも間違いだ。物事の定義は人それぞれってことだね」
「じゃあウィリアムにとっての”良い天気”って何?」
少女が訊ねる。ウィリアムは一瞬空を見上げて考え込み、そして「そうだなあ」と呟いた。
「僕にとっての”良い天気”は、クリスとベンと一緒に空を見上げられる時かなあ」
「雨でも?」
「僕達が一緒なら」
「わけわかんねえ」
ベンがぼやく。しかし、その表情は眉間にしわが寄っているものの不快そうではなかった。少女はベンを見、そしてウィリアムを見、二人の間で笑みをこぼす。
「じゃあ今日は二人にとって”良い天気”だね!」
「そうだねえ、それについては異論なし」
「だからさっきから”良い天気だ”って言ってんじゃねえか……」
「ねえウィリアム、ベンが不満そう」
「そうだねえクリス、ベンが不満そうだ」
「誰も不満だなんて言ってねえよッ!」
「わあ、ベンが怒った。ぷんぷんだね、クリス」
「怒ってねえ! つかぷんぷんって何だよ!」
ウィリアムのからかいの混じった声にベンが反論する。二人の間に挟まれながら、少女は笑った。その笑い声はやがて二人分となり、そして三人分となる。
笑い声が空へと放たれる。その空は、どこまでも青かった。