幕間 -DEAD APPLE-
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[Act 2.5, Scene 6]
クリスの手がキーボードに手を置くと同時に、社長室の壁に埋め込まれていた液晶画面から音声が途絶える。通信を終えたクリスは自らの機器と通信機器の接続をそのままに立ち上がった。小型パソコンの画面には英字のコードが次々に書き込まれ、パーセンテージが少しずつ、だが着実にその数字を百に近付けている。
「状況は掴めました。この霧は白い霧の強化バージョンというわけですね。そして、その威力は世界全土を覆える。それを感知した英国が日本ごと澁澤さんを沈めるために爆撃機を派遣してきた」
「そんな」
谷崎が声を漏らす。
「クリスさん、何か策があるんですか?」
賢治が首を傾げる。その純粋さのある仕草に、クリスは笑った。
「策はありませんが方法はある。先程の《時計塔の従騎士》からの通信回路を逆探知して遠隔操作、爆撃機に接続、現在その位置情報を検索中です。とはいえ、成功するとは限りませんが……爆撃機の位置がわかれば対処法は見えてくる」
「異能を使うのかい」
与謝野に頷く。その表情がクリスの体調を慮っていることなどすぐにわかった。
それでも、為し得なければいけない。
なぜなら、相手があの国だから。
「第二の機会だ」
誰に言うでもなく呟く。再び、あのどす黒い歓喜が湧き上がってくる。
――また一つ、夢が叶えられる。
「坂口さんに任せる手もありますが、政府の対応を黙って待つのも落ち着かない。幸いと言うべきか、わたしには天候操作の異能があります。航空機一つ程度、難しくはない」
「それで、祖国にあなたの存在が知られてもか」
国木田の言葉に、クリスは黙った。
比類なき驚異的な威力を誇る【テンペスト】。これらをイギリスの爆撃機に向けて使用するということは、つまり、彼らにクリスの存在を感知される可能性があるということだ。それは最も実現してはならない未来。わかっている。
「……他に案がありますか?」
「骸砦には太宰、敦、鏡花がいる。澁澤の排除が達成されれば事態は終息する」
「三十分で?」
追い詰めるように言えば、国木田は何も言えずに目を逸らした。三十分、長いようでいて短い時間。その時間内に澁澤を排除し霧を晴らさなければ、国が焼かれる。
この街が、彼らの生きる街が、この場所が、焼かれる。
あの国に。
よりにもよって、あの国に、だ。
「三十分待ち続けるより、できることをする方が有益です」
「だが」
「あ、あの、クリスちゃん、英国と何かあるんですか?」
谷崎が戸惑ったように片手を上げる。その問いにクリスは与謝野と国木田に視線を向けた。三人の様子に、谷崎は「まずいことを聞いちゃったのかな」と賢治に囁く。そういえば、この二人には詳しい事情を話していない。話さない方が良いだろう。
知るということは、クリスに本来殺されるということでもある。
「……聞かなかったことにしても?」
「……ご、ごめんね」
「いえ、こちらこそすみません」
言外に「問うな」と伝えたクリスに谷崎は折れた。申し訳ないが彼の疑問を晴らすわけにはいかない。知らない方が良いことも、この世の中にはある。
「残り十五分。彼らが海上にいる間に墜落させないと目撃者が増える。そろそろ向かいますね」
「一つ、答えろ」
国木田が一歩進み出る。その目は闇の中だというのに眩しい。先程の揺らぎなどどこにもないその眼差しは、逃がすまいとばかりに真っ直ぐクリスを射竦める。
「……爆撃機が英国のものだから、あなたは行くのか」
嘘を許さない眼差しに視線を返す。
「そうだと思います」
「復讐か」
全身を駆け巡るこのどす黒い歓喜に名をつけるなら、その単語なのだろう。
「ええ。でも……」
国木田の問いに答えながら、クリスは自らに問うていた。
なぜ、行くのか。
なぜ、行こうとしているのか。
「……その方が、綺麗だと思ったから」
身をひそめて爆撃機をやり過ごすことも当然できる。敦達へ全てを託し、彼らの成功を祈ることも当然できる。骸砦へ向かい、物語のクライマックスに登場する助っ人のように敦達に助太刀することも可能だ。
けれど、それらよりも。
あの国を象徴する爆撃機を破壊しこの街を守ることができたのなら――それは何よりも素晴らしい復讐劇になるのではないか。
「正義のヒーローみたいでしょう?」
ふざけたように言い、クリスは微笑んでみせる。そして何も言わせないまま社長室の外へと足早に向かった。国木田の手が伸ばされてくる。するりと腕を捻ってそれを避けた。けれどその動きすら見通していたらしい、国木田はしっかりとクリスの腕を掴んでくる。
仕方なく、足を止めた。
「それがあなたの意志か」
振り返る。何かを思案していた風だったその表情が決意を灯している。ここで頷いたのなら、きっと諦めて手を放してくれるのだろう。彼ならきっとそうだ。いつも小言を言うわりに、最終的には相手を尊重してくれる。そういう優しい人だ。
「はい」
「……そうか」
国木田が、す、と視線を落とす。諦めたようだった。
そう、見えた。
――腕を強く引っ張られた。
予想外のことにクリスはなすすべもなく体勢を崩した。前のめりになったクリスを国木田は抱き留めようとする――その手に、何かが握られていた。
視界の端に電光を見る。
スタンガン。
「――その意志を貫かせるわけにはいかない」
腹部に衝撃が叩き込まれる。全身を打った痛みに、何を言うことも出来ず意識が遠のいた。
***
とさ、と倒れ込んだクリスを、国木田は抱き留めた。突然の事態にその場にいる誰もが息を呑んでいる。
「こうするしか、なかった」
ゴト、とスタンガンを床に落としながら国木田は腕の中へ目を落とす。彼女が本気を出せば、国木田達は何もできないまま彼女を見送ることになっていただろう。それを実行される前に彼女を止める必要があった。
いつもそうだったからだ。いつの間にかそばからいなくなって、一人危険な場所へ行ってしまう。ギルド潜入の時も、猟奇連続殺人事件の時も。彼女と出会ってまだ日は浅いが、彼女の行動は粗方予測ができるようになっていた。
「助かったよ」
与謝野が驚愕と安堵の混じった複雑な表情のまま、頭に手を遣る。
「全く、困った子だよ。妾らの思いなんて全然聞きやしない」
「でも、爆撃機はどうするんですか? ボク達じゃどうしようも……」
青ざめる谷崎に、与謝野が首を振って答える。
「敦達に託すしかないよ。……信じるしか、ない」
ぐ、と腕に力がこもる。自分達にできる手はない。敦と鏡花、そして太宰を信じるしかなかった。無事に朝を迎えられる可能性は低いだろう。けれど。
それでも、彼女を行かせるわけにはいかなかった。
涙をぽろぽろと流していた幼い少女を見捨てることなどできなかった。
太宰にあらかじめ「絶対に行かせるな」と言われていただけではない。あの圧倒的な負の感情に突き動かされていた彼女を、恐怖に泣いていた自分自身を叩きのめした彼女を、そのまま英国にぶつけるなどできるはずもない。彼女がクリスだったからではない。誰が相手であろうが、国木田は必ずそう行動する。
クリスは間違いなく、国木田が守るべき人の一人なのだ。クリスは守られるべき人なのだ。
彼女の孤独と懐疑に慣れた心に、どうしたらこの飾りも偽りもない本心が届くのだろう。
「クリスさんは大丈夫なんですか?」
賢治が国木田の腕の中へと顔を覗き込ませる。クリスは眠るように目を閉じていた。彼女の体の脆さを考えると、電撃がどれほどの衝撃となるかという心配はあった。が、特に問題はないようだ。
「ああ」
賢治へと答え、自身もまた、安堵に息を吐き出す。
体術で何とかしようにも防がれる可能性があった。一撃で確実に彼女の行動を押さえ込むには、これしか思いつかなかったのだ。説得できたのなら最も良かった。しかし国木田の間に合わせの言葉で、巧みな彼女を止められるとも思えなかった。
けれど、何としてでも止めなければいけなかった。
守らなくてはいけなかった。
たとえそれが、彼女の待ち望んだ「機会」を奪うことだとしても。
「……すまない」
零れ出た謝罪の言葉は、眠る少女には届かない。