幕間 -DEAD APPLE-
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「霧のエリアが拡大を始めました!」
「異能特異点の変動値、計測不能!」
「拡大速度は毎時百二十キロ、現状の速度が続いた場合、約一時間三十五分で関東全域、約十二時間三十六分で日本全土、地球全土が覆われるまでの時間は約百六十八時間です!」
次々と報告されてくる現状に、安吾は息を呑んだ。
白い霧の中に現れた赤い龍、それを中也が倒せばこの惨劇は終わると思っていた。しかし現実はどうだ、霧は晴れず、それどころか赤色に変色して拡大を始めた。ヨコハマ全土で収まっていた霧は、その目標を地球全体へと変えたのだ。
白と赤。色の違いが何を表しているのかはわからない。しかしこれもまた澁澤の異能だとしたら、世界中の異能者が自殺に追い込まれ、一般人は姿を消す。
地球は、死の赤い球体となってしまう。
霧に包まれたヨコハマ内部との通信は、武装探偵社の国木田を最後に行えていない。そんな中で、中原中也の投入が特務課のできる精一杯だった。このままでは安吾達も危ない。しかし政府機関である以上、自らの命を投げ打ってでも国を、世界を守らなければならない。
だが、手がない。
「これ以上どうすれば……!」
呻く安吾の耳に、音声通信を知らせるけたたましい音が鳴り響く。ヨコハマからの通信を期待した安吾の耳に届いたのは、予想だにしない名称だった。
「イギリスの特務機関からの通信コールです!」
イギリスの特務機関――《時計塔の従騎士》。
このタイミングでの連絡だ、きっと良いものではない。それでも、一方的に切るわけにはいかなかった。
「接続を」
腹に力を込めて指示を出す。しばらくして、通信コールが鳴り止み、特務課の正面に広がる大液晶画面に”SOUND ONLY”の文字が浮かび上がる。
『ご機嫌麗しゅう』
緊迫した空気を逆撫でするかのような上品な声が、ゆったりと部屋に響き渡る。
『欧州諸国を代表して、貴国の危機的状況に同情いたしますわ。つきましては、世界への霧の蔓延を未然に防ぐため、我が国より焼却の異能者を派遣して差し上げました』
こちらの挨拶も意見も何も聞かないまま、その気品に満ちた声は淡々と、どこか楽しげに告げる。
「焼却の、異能者……!」
それは援軍ではない。なぜなら、この声の主――デイム・アガサ・クリスティ爵の意図することは、安吾達日本政府のものとは根本的に異なるからだ。
日本にとっての最重要項目は自国の安全。そして、イギリスにとっての最重要項目もまた、自国の安全。
同じ言葉ではあるがそれが指すものは異なる。
――彼らは、自国の安全のために日本を澁澤もろとも焼却するつもりなのだ。
安吾は必死に思考を巡らせ、問いを探す。
「……発動予定時刻は」
『きっちり三十分後、夜明けと共に』
その一言を最後に通信は一方的に切られる。その不躾な態度に何を思うこともできず、安吾は驚愕に呆然とした。
「……ヨコハマが、焼かれる」
『させません』
突如入ってきた音声に安吾は部屋を見渡した。イギリスとの先程のもの以外、通信は行われていなかったはず。明朗な声の木霊を辿り、安吾は目の前の自分の液晶画面に目を落とした。
国木田との通信の後、砂嵐だけを移していた映像。画面の一角に残っていたそれが、わずかに画像を受信している。人影だ。破壊されつくした部屋の中で、数人の姿がかろうじて見える。画面に縋り付くように身を乗り出した。
「探偵社……!」
『画像もとなると制限がありますね、切ります。音声だけでも通信には問題ないですから』
ぶつ、と砂嵐の中にかろうじて見えていた人影が消える。と同時にノイズが一瞬だけ強くなった後、音声が綺麗に受信されるようになった。
『これで安定したかな……聞こえていますか、坂口さん』
「あなたは……」
『先日はお世話になりました』
名乗ろうとしない彼女に、安吾はその正体を知る。
クリス・マーロウ。太宰が策を講じてドストエフスキーから守った外国生まれの少女。
『少々通信機をいじりました。必要であれば後ほど修理業者を寄越してください。領収書はそちら宛てで』
「その点は問題ありませんが……先程の通信を聞いていたのですか?」
『それに関しては詳細は聞かないでください。捕まりたくないので』
つまり、盗聴したということか。しかしここは国の組織、異能特務課の施設内。簡単に傍受できるはずがないのだが。そもそも彼女にそのような技術が備わっているとは聞いていない。
「あなたは一体……」
『そういう話は後でしましょう。わたしは応じませんが。……先程の通信、《時計塔の従騎士》ですね?』
「え、ええ、そうです」
『道理で聞き覚えがある。あの島国から三十分……推測される空路は……だとすると目標地点は……』
「あ、あの?」
『爆撃機を墜落させます』
「はい?」
『お、おい、待て!』
通信機の向こうから怒声が聞こえてくる。国木田だ。無事だったのだ。
『馬鹿を言うな!』
『それ以外に何か方法でも?』
『それは』
『坂口さん、お願いが二点あります。一つは、現在こちらから仕掛けているハッキングを排除しないこと。そちらの回線を一部使って英国へ逆探知及び情報検索を試行しています、それを切らないでください。順調にいけばそちらに英国の爆撃機の位置情報をお伝えできるかと。そしてもう一つ、わたしの存在を決して外部に漏らさないこと。前者は助言ですが後者は取引です。この国を爆撃されたくなければわたしに協力してください』
「……脅し、ということですか」
中也といい、時計塔の従騎士といい、クリスといい、今夜は数日分の仕事を相手にしている気分だ。ため息を堪え、安吾は頷いた。頷く以外に方法などなかった。
「わかりました」
『物わかりが早い方で助かります。ちなみにこの通信はそちらの記録に残らないよう細工してあります。言っている意味がわかりますね?』
「……ええ」
頷く。通信記録に残らない通信、証拠の残らない取引ということはすなわち、互いの信用が鍵となる。どちらか一方が裏切ればこの危うい関係は一気に崩れ去る。安吾が裏切れば彼女は全力で安吾を、安吾が属する組織を潰しに来るし、逆もしかり、クリスが裏切ったなら安吾は彼女と彼女の周囲を害する。自身と自身の周囲を守る為には、相手の要求に応じるしかない。
これは、安吾にとってもクリスにとっても綱渡りとなる取引だ。
「わかっています」
『上等、それではお互い頑張りましょう』
どこか飄々とした口調で言い、通信が途切れる。途切れたのではない、切られたのだ。ちらりと見れば、自動的に作動していた通信記録機能が妨害から抜け出し、ようやく動き出すところだった。政府の使うプログラムは世界最高峰だ、機能がある程度妨害されたとしても数分数秒で自己復旧する。彼女はそれすらも把握していたのか。
クリス・マーロウ。
彼女は一体何なのか。その疑問に答えられる者は、いない。