幕間 -DEAD APPLE-
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***
幼い頃の自分が消えていく様を、見つめていた。その眼を、口を。そしてそれらが紡ぐ鼓膜に届かない悲鳴を、聞いていた。
抉れた床にあれを押しつけていた手をそのまま握り込む。強く、強く。
やっと、夢が叶った。
願いが叶った。
殺したかったものを、疑似的にとはいえ、殺せた。
体内の血が興奮で沸騰している。
――どす黒い歓喜に気が狂いそうだ。
「クリス」
名を呼ばれ、立ち上がる。見上げた先にいたのは、与謝野、賢治、谷崎、国木田。物言いたげな彼らに、クリスは人の良いいつもの笑顔を向けた。
「終わりました! 皆さんのおかげです。苦戦するとは思ってましたけど、思ったより早く終えられて」
「……馬鹿者」
「え?」
ぐ、と胸元を掴まれ引き寄せられる。気付けば国木田の顔が目の前にあった。
「大馬鹿者が!」
よく通る怒鳴り声が耳朶を叩く。
「……国木田さん?」
「あれは何だ。貴様自身だったろうが。それをあれほどに乱暴にする必要がどこにあった」
「乱暴って、だってあれは」
「その必要がどこにあった」
なぜだろう。
なぜ、この人は怒っているのだろう。
「確かに今回は危機迫っていた。【テンペスト】は強大な異能だ、手を選んでいる余裕もなかった。だがな、クリス。貴様がしていたのは、現状を打破するための戦いでも、平和を保つための戦いでもない、ただの暴力だ。己の感情のままに行った破壊行為だ」
「……わたしがわたしの異能を倒しただけじゃないですか。倒さなければ澁澤に奪われる、だから倒した。それ以上のことはしていないはずです」
「そういう問題ではない」
「じゃあ何ですか」
わからない。
「何なんですか」
叫びに似た声が言葉が通りすぎていく。何となく、国木田の言わんとしていることがわかってきていた。
彼は、あれにすらその手を差し出そうとしている。
それが理解できない。酷く苛立たしい。
「あれはあなた自身だった」
国木田の声は低く、静かだ。
「……あなた自身が、泣いていた」
そうだ、あれは泣いていた。
振るわれる暴力に、向けられる敵意に、恐怖し泣いていた。
知っている。あれはかつての、そして今の自分自身の姿だ。
何をするまでもなく爆撃を受け、刺客を向けられ、この力を利用しようとされた少女の真の感情、心だ。
「……じゃあ倒さなければ良かったのだと? そのまま澁澤に奪われてしまえば良かったと?」
「違う。そういう話をしているのではない。あなたはもっと自分に」
「どんな手を使ってでも殺さなくてはいけないものがこの世界にはあるんですよ、国木田さん」
必死に何かを伝えようとしている眼鏡の向こうの眼差しを睥睨する。
「現に先程、特務課から澁澤を殺せと命じられて、あなたはそれを承諾した。殺さなくてはいけないと判断したから。そうでしょう?」
「……なぜ、それを」
「少し考えればわかることです。国の言うことも、あなたの答えも、想定するのは容易い。手に負えない兵器は壊すしかないのだから。――澁澤とわたしは何が違いますか」
クリスはそっと微笑んだ。冷ややかに、美しく。
「どちらも国の管理から逃げ出した異能兵器ですよ。……その危険性がわかっているから、澁澤の排除を受け入れたのでしょう? おそらくこうも言われたはずです。『手段は問わない』、と」
鋭く研いだ氷の刃を、その優しすぎる心に突き刺す。
「わたしもそうしただけです。殺さなければいけないから殺した。それとも私怨の有無がそれほど気になりますか? もっと事務的に殺せと? それとも『可哀想に』なんて言って涙をこぼしてあげれば良かったとでも?」
「……そうだ」
短い返答に思わず乾いた笑いが込み上げた。嘲笑うようなそれに、しかし国木田の顔色は一切変わらない。真面目で真剣な面持ちのまま、彼は静かに告げる。
「あなたはあの時……あなた自身に言葉をかけてやるべきだった」
言葉。
「大変だったな、可哀想だ、もう大丈夫……何だって良い、あなた自身が欲しかった言葉を、あなたがかけてやるべきだった」
胸倉を掴んでいた手を離れていく。突き放すというよりも手放すと言った方が相応しいその静かな動作に、クリスは呆然と立ち竦む。
「俺は俺の異能に譲れないものがあった。だから戦った。他の皆も同じだろう。俺達が異能と戦ったのは異能を虐げるためではない。相反する思想を踏み潰すためでもない。共に歩むためだ」
共に、歩む。
「クリスの異能に対する感情は、俺達にはわからん。想像することしかできん。……あなただけが、あなたの心に適切な言葉を届けられる」
心。
クリスの、心。
先程から理解しきれない抽象的な単語ばかりだ。
「……不思議なことを言いますね」
思った通りのことを言った。
「あれは異能であってわたしの心をかたどったものではなかったのに」
「今のクリスにはまだ理解できないのかもしれないねエ」
与謝野が隣に歩み寄ってくる。軽く首を傾げ、顔を覗き込んできた。
「心の傷が癒えていないうちは何も見えてこないものさ。周囲の人間も、自分の内側も。何をしてもらっていて何を与えていて、何が欲しくて何がしたいのか」
「……傷、ですか」
ゆっくりとクリスは周囲を見回した。与謝野を、賢治を、谷崎を、国木田を、見回した。全員をしっかりと見ることができる。ということは、与謝野の言っていることは視覚的な話ではないのだろう。
今のクリスにはまだ理解できないもの――今の、ということは、いつかはわかるようになるだろうか。
そうしたら、目の前で被害者面で泣き続ける幼い自分にも、殴りかかる以外のことができるようになるのだろうか。
想像もできなかった。湧き上がるのはぞわりとした拒絶だけだ。
「努力、します」
返答の仕方がわからないままそう言えば、与謝野が「頑張るところじゃないんだけどねエ」と言い、国木田が呆れたように眉間にしわを寄せた。
「……こうも伝わらんとなると若干疑わしいぞ」
「何がです?」
「知能だ。記憶力も理解力も発想力も高いくせに、友や友との過去が関わると頑なになる。話もろくに通じん。もっと肩の力を抜け。自分を許してやれ。故人に囚われすぎるな」
「囚われているわけじゃないです。約束したんです」
舞台に立つこと、脚本を発表すること、隠し続けること、生きること、死なないこと。全部、大切な人達と交わした約束だ。友と呼び、そして今や失った二人との思い出だ。
彼らとの記憶を抱きしめ、彼らを殺した相手を憎む。それの何が悪いというのか。
「約束、か」
国木田が思わしげに目を逸らす。
「……相手の生き方を縛る約束など解せんな」
「これはそういうものじゃ……!」
否定しようとした、その瞬間。
――ドオォン!
大きな爆発音が宙に炸裂した。遅れて強く吹き荒れる衝撃波と閃光。身を固くして腕で顔を庇いつつ、その発生源へと目を向ける。
「龍が……!」
谷崎が驚愕の声を上げる。
赤い龍が、破裂していた。白い光が広域に広がる。やがてその光は弱まり、首謀者がいるであろう場所の上空で光の渦となった。中心から同心円状に広がっていく光の波紋は龍と同じ赤を宿している。
しかし、龍の姿はない。
「……倒したのか」
国木田が呟く。しかしその声に安堵の響きはない。なぜなら。
「霧が、まだありますね」
賢治が街を見渡しながら言う。あの巨大な龍が消失したというのに、澁澤の異能である白い霧は未だ消えていなかった。あの龍は澁澤とは関係なかったのか。疑問を胸に抱く社員らと共に、クリスは霧に包まれたままの街を、そして光の渦を保ち続ける空を、見つめる。しかしその光の渦はやがて、少しずつ消えていった。まるでその中心にある何かに吸い取られていくように、光は一点に収まっていく。そして――爆ぜた。
雷光のように輝かしいその赤い光は、霧の中央に生じた。その禍々しい色は瞬く間に霧へとその色を移し、白い霧は赤い霧へと変貌していく。その伝播速度に、クリスは息を呑んだ。
「速い……!」
探偵社の周囲も一気に赤に染まる。霧が上空へとふくらむ。その色に、速さに、迷わず叫んだ。
これは、危険なものだ。
「【テンペスト】!」
クリスの意志に従い、風が渦を巻く。球状を呈したそれは屋上一帯を包み込んだ。眼前に迫っていた赤い霧を、風の膜で防ぐ。
突然の変異に、誰もが目を見開いた。
「何だ、これは……!」
「わかりません、けど、澁澤さんの異能だけによる現象ではないと言い切れます」
状況が掴めなすぎる。この霧の正体も、発生原因も、澁澤の本拠地で何が起こっていて何を目的にこの現象は発生しているのかも、わからなかった。
このままでは打つ手がない。
「状況がわかれば手段を講じられるんですが……」
「異能特務課なら事態を把握しているかもしれないが」
与謝野が眉を潜める。
「連絡手段がないね。電話が通じないんじゃあ直接行くしかないけど、この状態で街の外には行けない」
「特務課ならわざわざ確認しなくても次の手段に出てくるのでは?」
賢治が声を上げる。ふる、と与謝野は首を振った。
「さっきの龍に対する一手以降、動きは見えないね。見えないだけなのか、それとも……」
「でも与謝野先生、あの異能特務課ですよ? きっと、今手を打とうとしているところなんですよ……た、たぶん」
谷崎の弱々しい声に、誰も何も返すことができない。
情報がなさすぎる。ならば、まず一番にすべきことは明白だ。
「……情報収集は得意分野です」
「クリスちゃん?」
「国木田さん、社長室にあった通信機、使わせて頂いても?」
国木田は驚いたようにクリスを見る。通信機、という言葉にきょとんとするメンバーの中で唯一、国木田だけが訳を知った顔で「だが」と呟いた。
「一度繋がったきりだ。もう繋がらないかもしれん」
「繋がらなかったら繋げます」
ウエストポーチから小型パソコンを取り出しつつ、安心させるように笑いかける。
「壊しても弁償はしませんが」
「……緊急事態だ、仕方がない」
「ご理解感謝します」
「一体何のことですか……?」
谷崎に、クリスはパソコンを数度振ってみせる。
「特務課に連絡を取ります」