幕間 -DEAD APPLE-
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国木田が正面から銃弾を撃ち込む。そこにただ佇んでいた幼子が、突如恐怖に目を見開いた。
ガガガ!
銃弾が宙に食い込む。パリ、とそこに亀裂が生じ、幼子の姿が歪んで映る。
それは氷の壁だった。恐怖に身を竦めた少女の前に、透明な壁が生じている。これでは、銃弾は一発も通らない。
「ちッ」
舌打ちをした国木田の視界の端から賢治が踊り出る。驚異的な瞬発力、その小柄な体は瞬く間に幼子の元へと跳び、宙に生じた亀裂へと拳を叩き込む。亀裂が更に深まった。幼子を風が巻く。その小さな姿が後方へと飛び退くと同時に、亀裂がいくつもの欠片となって宙に飛び散った。その欠片に紛れるようにクリスがナイフを手に接近、その刃を幼子へと振りかざす。
しかし。
幼子が風を纏いながら襲撃者を睨む。恐怖に怯えながらも相手を見つめるその顔に宿るのは、拒絶。
その長い髪が風を孕む。
一瞬にして幼子から突風が放たれる。
「く……!」
「うわッ!」
ザザ、と靴底を滑らせ、しかし抗い切れずクリスが地面を転がる。屋上の床にしがみついたクリスの横を、賢治が吹き飛んでいく。
「賢治さん!」
「賢治!」
国木田が手を伸ばす。しかし、その手は何を掴むこともできなかった。
賢治がビルの屋上から転げ落ちる。間髪入れず、クリスは駆けだした。賢治の後を追って、突風に背を押されながら駆ける。
「国木田さん!」
すれ違いざまの一声に国木田は頷いた。その手が手帳からページを破り取る。
「【独歩吟客】――鉄線銃!」
紙片が風に煽られながらも変形する。国木田の手がそれを掴み、そして投げた。突風に吹き飛んだそれをクリスの手が掴む。
その足元は既に、屋上の端に辿り着いていた。そこから躊躇いなく、飛び降りる。
突風がクリスを遠く離れた地面へと叩き付けようとする。その風に押され、クリスは宙で賢治の手を難なく掴んだ。賢治がクリスと頷き合い、互いの胸の内を視線で交わす。クリスは空へと仰向けになった。上空へ向けて鉄線銃を発射する。勢いよく放たれたそれは、真っ直ぐに空を切っていく。
ガッ!
その鉤爪がビルの外壁へと食い込んだ瞬間、クリスは鉄線を巻き上げた。ギュルル、と勢いよく鉄線が巻き取られ、銃を持つクリスの体が外壁へと引き寄せられる。
賢治の両足が外壁に着いた。
クリスが腕を振り上げるのとタイミングを合わせ、賢治が外壁を蹴り宙へと飛び出していく。その背中へ、その先の宙へ、クリスはナイフを投げ上げる。
「【マクベス】!」
賢治が屋上へと降り立つ。その手の元へナイフが宙を切って飛んでいく。その切っ先は宙を掻き切りながら光の粒に包まれていった。光はやがて、棒状を呈する。
突如宙に現れた鉄の長棒を、賢治が掴み取った。慣れた様子で、彼は間髪入れずにそれを横に薙ぐ。
「えーいッ!」
風を吹き消す勢いで向かって来たそれへ、幼子は瞠目した。まともに食らい、吹き飛んでいく――しかしその小さな体をすぐに風が覆い尽くした。球状に幼子を包み込んだそれは攻撃の勢いを殺し、そしてゆっくりと屋上に下ろしていく。
その周囲を、雪が舞っていた。
何もないところから突然鉈が現れる。猟奇じみた分厚い切っ先を、咄嗟に繰り出された氷の盾が防ぐ。突然のことに驚愕するその眼差しへ、【細雪】の中から姿を現した与謝野はニイと笑いかけた。
「油断は禁物さ。どこから誰が来るか、わからないからねえ?」
幼子が危機に戦慄する。両手を伸ばし、与謝野へと銀色の風の刃を叩きつける。至近距離からの攻撃はしかし、その姿が霧散しただけで終わった。与謝野の姿は幻影だったのだ。掻き消えた与謝野に息を呑む幼子へ、両脇から風を切る音と銃声とが襲いかかる。鉄の棒と、弾丸。
幼子が身を固くしてうずくまる。
ギイィイン!
ガラスが擦れ合うような硬質な音を立てて、氷の壁がそれらを防ぐ。幼子を四方から守るそれは球状となっていた。幼子はしゃがみこんだまま頭を抱えて俯いている。度重なる攻撃を受け、防戦に専念することにしたらしい。
「これはチャンスだ」
与謝野が笑う。
「一気に畳みかけるよ!」
賢治が一度飛び退き、その鉄の棒を軽々と肩に乗せる。与謝野が鉈を構え、国木田は銃を幼子へと向けた。
三方からの敵意に、氷の中の子供は身を竦めていた。俯き、髪をぐしゃりと掴みながら体を震わせる。その頬を涙が次々と伝っていく。
「な……」
息を呑む。
――それは、泣いていた。
予期せぬ反応に三人は思わず緊張を緩めた。ぼろぼろの服を身に纏った幼い子供が、恐怖に泣いている。それへと敵意を向けることに、誰もが違和感を覚えていた。
しかしその戸惑いを一蹴するかのように、幼子を包む氷へ亀裂が入る。刃先がそれに食い込んでいた。
それを強く当てている手が、腕が、雪の中から現れる。
「ふざけるな」
冷たい青が涙を流すそれを睥睨する。
「わたしにその行為は許されていない」
正面からの敵意に幼子が息を呑む。涙に濡れたその両目が恐怖を再び宿し、そして風を巻き起こした。銀色が宙を走る。ナイフを突き立てていた手から血が噴き出す。
「ッく……!」
思わず飛び退いたクリスへさらに銀色が突風と共に向かう。皮膚が裂かれ、その体は吹き飛んだ。
「クリス!」
「国木田、前だ!」
銀色の風が次々に社員を襲う。避けきることもできないまま、銀色は皮膚を裂き、突風は彼らを横転させ、硬質な床へと叩き付けた。
暴風が耳元で轟音を立てる。耐えようと屋上にしがみつく手を、足を、胴を、風が切りつけていく。血のぬめりが服を濡らす。賢治だけが立ち上がり、そしてその手のものを振り上げようとした。が、ガクリと膝をつき、棒を取り落とす。屋上に転がった鉄の棒は、握り潰すかのようにゆっくりと、しかし確実に曲がりへこんでいく。
賢治もまた、動きを封じられたかのように倒れ込んだ。
「賢治……どうしたんだい!」
「全身が、圧迫されて……くる、し、く、て」
「圧力だ」
国木田は呟きは風に掻き消える。
「風も気温も雨も、気象の全ては地球上の大気における圧力差によって生じる。あれは――【テンペスト】は気圧操作の異能だ」
国木田は暴風の中心へと顔を向けた。その姿を視認しづらくなるほどの風の中で、しかしそれは穏やかに髪を揺らしている。ぎゅっと瞑った目、それから頬へと静かに伝い落ちる雫。
いつしか見た少女の姿がそれに重なった。
――あの時の彼女が零していたのは、赤い血だったけれど。
唯一風の発生していない場所。その中央にうずくまる少女を、幼子を守る球状の盾の内側。
その髪の端にきらめく、雪。
【細雪】によって全視界を幻に覆われた幼子の背後に柔らかな光が生じる。小さなそれは集まり、人を形作り、そして輪郭を鮮明にした。
亜麻色の髪の少女が、宙から現れる。
【マクベス】による、存在位置の再定義。それは、使役者が明確な座標をイメージできたのなら実現可能な”瞬間移動”。座標は地図で示されるような絶対数値でなくても良い。何かからの相対距離でも、その物体イメージが明瞭であったのなら発動が可能になる。
彼女と同じ姿をした彼女自身の異能――幼子を取り巻いていた雪が次第に晴れていく。気配に気付き振り向いたその首を、クリスは引っ掴み、持ち上げた。手の中で暴れもがくそれを、目の前に掲げる。
「その姿を選んだということは、自覚はしているんだろうね」
その細い首をビルの屋上へと叩き付ける。硬質な床材が破片を散らし、粉塵を撒く。首を絞められながら訴えるように見上げてくる子供に目もくれず、クリスは腰からナイフを引き抜いた。
「木偶に戻れ。もう二度と――その姿をわたしに見せるな」
ナイフを振りかざす。それは幼子の大きく見開かれた眼の上、宝石を張り付けた額へと深々と突き刺さった。
パリン、と赤と雫が弾け飛ぶ。