幕間 -DEAD APPLE-
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国木田の指示の通りに鏡花が車を運転することで、一行は無事に探偵社へと着いた。鏡花の年を考えると運転免許など持っていないだろうが、今はそれを気にする余裕もない。後で講習をきちんと受けさせねば、と思いつつ、国木田は社長室へと急いだ。
社内に人影はない。事務室は机や棚が無造作に倒されていた。賢治の異能だろう。医務室には刃物を振り回した痕跡が残っており、与謝野の奮戦が確認できる。幸いと言うべきか二人の遺体は見られなかった。無事だと思うしかない。
社長室に入り、国木田は福沢の机へと真っ直ぐに歩み寄る。そして――それを荒々しく蹴り飛ばした。横倒しになった重厚な机に敦が困惑する。
「く、国木田さん?」
「ここは武装探偵社だ、あらゆる危機に対して対応をしてある」
言いつつ懐から社員証を取り出す。床のタイルの継ぎ目にそれを差し込み滑らせた。小さい電子音の後、床が動き出す。
現れたのは箱型の機器だった。緊急通信用の機体だ。しかしそこに乗っていたものに、国木田は瞠目する。
透明なビニル袋だ。きっちりと閉められたチャックの中には、清潔な包帯や脱脂綿、針と糸、そして液体の入った注射器が入っている。応急処置用の道具一式だ。見覚えがある。
「……クリスか」
さすがと言うべきか呆れるべきか、この機器に気付いていたらしい。しかもこれが操作されるような緊急時なら怪我人がいると考えたのか。気配りもここまでくれば予知能力だ。というか社の機密においそれと触れて欲しくないのだが。ため息を一つついてからその袋を丁寧に床に避け、国木田は機器を操作する。掌紋認証の後、社長室の壁の一部が奥へと引っ込み、隠されていた液晶画面が現れた。その画面が砂嵐を表示する様を黙って見つめる。
この機器を起動した瞬間、自動で通信が行われるようになっている。通信先は異能特務課だ。電話が繋がらない中、連絡手段はこれしかない。祈るように画面を見る。
ザ、と砂嵐が色を宿した。ノイズの奥に人影が表示される。
『……繋がりそうです。しばらくこのレベルをキープしていて下さい。とりあえず妨害できないようです』
若い男と思われるそれの声は段々と明瞭になっていく。
『聞こえますか?』
男が問うてくる。
『福沢社長、ですか?』
「国木田です」
声が向こう側に届くことを願いながら、画面へと答える。
「社長は現在、行方が知れません」
我ながら絶望的な事実だ。
「そちらは異能特務課で間違いありませんか」
『はい。僕は異能特務課の坂口です』
砂嵐の中から男の姿が明瞭に映し出される。丸眼鏡の、几帳面そうな青年だ。無事に繋がったという安堵を胸の奥にしまい込み、国木田は画面へと前のめりになる。
国木田が探偵社へと戻った理由はこれだ。今のこの状況では「澁澤龍彦の捜査及び確保」を遂行することはできない。あらかじめ提示してあった調査計画と剥離した状況になっていることを依頼主に報告し、今後の対処について協議する必要があった。
『そちらの状況は』
「社員のうち生存を確認しているのは、中島敦と泉鏡花の二名。他の社員については詳細はわかりません」
『了解しました。回線が不安定なので手短に話します』
役人らしい単調さで、坂口は話を進めていく。
『そちらでも確認されていると思いますが、異能力者連続自殺事件と同時に見受けられていた霧が、このヨコハマでも発生しています。ただし、規模は過去のものよりも大きく、ヨコハマの街全体を覆っています。拡大こそは止まっていますが、通信は不可能、外部と遮断された状態が続いています』
画面が衛星画像へと切り替わる。見知った街があるはずの場所が白く濁っていた。やはり、と唾を呑む。今回のこの状況は異常だったのだ。あまりにも範囲が広すぎる。巻き込まれた異能者の数は最多だろう。
「こちらでも確認しています。異能者でない人々は消失し、異能者は自らの異能に命を狙われている」
『衛星画像から霧の発生源を特定しました。そこに元凶である異能者がいるものと思われます』
衛星画像がさらに拡大され、円状に広がる濁りの中心を映し出す。黒い突起物が、地面から天へと突き出していた。
『ヨコハマ租界の中心、骸砦と呼ばれる、廃棄された高層建築物です』
「……そこにいるのは、澁澤龍彦ですか」
『はい。――あなた方武装探偵社に依頼の変更を通達します』
坂口の表情は、画面の粗さのせいで窺い知れない。
『首謀者である澁澤龍彦を排除してください。方法は問いません』
確保ではなく排除。その言葉の差を、国木田は理解している。それを坂口が、異能特務課という国の組織が発言した意味も。
「……良いんですね」
確認するように言えば、坂口は僅かに驚いたようだった。しかし何も言わず、頷く。
『構いません。僕達は平穏を保つための存在。個人を守るための組織ではありませんから』
「……了解しました」
――利用できるものを利用する、手に負えなくなったら切り捨てる、それが国というものですから。
あの冷ややかな声が「それ見たことか」と笑った気がした。
彼女は無事だろうか。無抵抗発動異能【テンペスト】と亡き友人から奪ったという【マクベス】、彼女には二つの異能がある。特に【テンペスト】は自然現象を引き起こす異能。人間相手には無敵だ。
傍らの応急処置用具へ目を落とす。彼女のことだ、事前に策を講じているはず。そう思う以外できることはない。
『それと、これは補足ですが、その首謀者と同じ場所に太宰君がいるようです』
坂口の報告は予想外のものだった。
「……太宰が?」
どこをほっつき歩いているのかと思ったら、そんなところにいるのか。この時点で既に骸砦なる場所へいるということは、澁澤龍彦の居場所を誰よりも先に突き止めていたということだ。会議に参加しなかった太宰がなぜ澁澤龍彦のことを知っているのかはわからない。奴のことはわからないことだらけだ。
ただ一つ確かなのは、太宰の生存は確認できているということ。あれは好んで自殺をしにいく馬鹿だが、敵の足元に進んで身を投げ出しに行くとは思えない。
「捕まっているということですか?」
敦が坂口に問う。確かに、その可能性もあるのか。しかし、と国木田は同僚を思う。
あいつが何の策もなしに敵に捕まるわけがない。ならなぜ、犯人の居場所にいる? わざと捕まり敵の手の内を探っているのか、探偵よろしく潜入調査をしているのか、それとも。
思考は突如遮られた。坂口がここで初めて感情を露わに身を乗り出してくる。
『このままではヨコハマが全滅します。あなた達だけが』
ザザ、とノイズが画面と声を掻き消す。通信が途絶えたのだ。しかし必要な情報は手に入れた。指示も聞き出せた。あとは、依頼通り澁澤龍彦を排除するだけだ。
そう思った矢先。
――ビルが、揺れた。