幕間 -DEAD APPLE-
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***
国木田は、クリスに言われた通り探偵社の窓から街を見ていた。しかし事態は彼女の想定を遥かに超えている。霧はあっという間に広がり、ビルの周囲を既に白い海へと変えていた。急ぎ窓を閉める。窓ガラスに自分の焦りの表情がはっきりと浮かび上がった。
「霧の範囲が広すぎる……クリスに電話も通じん……!」
「落ち着け。まずは自らの身の安全を確保せよ」
国木田に並んで街を見つめていた福沢が即座に社員へ指示を出す。クリスの言っていたことを、国木田は福沢にだけ話してある。この国の裏について社員全員が知る必要はない。おそらくクリスもそれを配慮して国木田だけに伝えたのだ。
窓ガラスの外へと再び目を向け、福沢は鋭く白い霧を睨み付ける。その横顔は緊迫こそあれど戸惑いはない。
「異能者を自殺に追い込む霧……今までは市民に害が確認されていないが、今回はどうか想定ができぬ」
「賢治、医務室の与謝野先生を連れて来い。誰がどのように自殺するかわからん以上、一人は避けるべきだ」
国木田の指示に頷き、賢治が立ち上がる。席を立ち医務室に向かおうとした彼はしかし、何かに気付いたように部屋の中を見回した。
「あれ? 乱歩さんは?」
乱歩ならいつもの席で菓子を食べていたはずだ。そう思い、国木田は窓辺から背後へと顔を向けた。そこに乱歩の席はある。他の社員より豪華な机と椅子は、まるで社の長のように佇み、窓を背に社内を見渡しているのだ。
しかしそこに、人の姿はなかった。あるのは、食べ終わったばかりの菓子の包装紙だけ。
「……乱歩?」
福沢が名を呼ぶ。普段なら飛びつくように返ってくる返事が、ない。
「乱歩!」
良く響く声で名を呼びながら、福沢が部屋のあらゆる場所を探す。その姿にようやく焦りが現れたのを見、国木田は戦慄した。あの、常に冷静沈着な社長が、焦っている。
「乱歩!」
――ガシャーン!
福沢の声と外からの衝突音が重なる。ハッと見れば、近くの道路で車が追突事故を起こしていた。霧で前を見失ったか。運転席が潰れており、運転手の姿は見えない。急ぎ救出する必要がある。しかし外は例の霧。中に飛び込めば国木田の命に関わる。
どうする――迷うのは一瞬だけだ。
「くそッ……!」
「国木田!」
「国木田さん!」
外へと駆け出した国木田の背に福沢と賢治の声が聞こえてくる。しかし、立ち止まるわけにはいかなかった。この霧の中、誰かが死ぬとして、それは目の前の誰かであってはならないのだ。
階段を駆け下りビルの正面にある道路へと飛び出す。そこの光景に国木田は瞠目した。
電信柱が車に押し倒され、その車の後ろもまた車によって潰されている。その次の車も、その次の車も。玉突き事故にしては損壊が激しい。まるでブレーキを踏まずに突っ込んだかのようだ。事実、路面にブレーキ痕がない。白い霧の中に黒い煙が静かに上がっている。
そうだ、静かだ。悲鳴も、ざわめきも、何もない。
「何だ、一体……」
車の一台に歩み寄る。覗き込み、そして人の姿はおろか血の跡すらもない運転席を確認した。まるで人が唐突に消されたかのような。
そんなことがあるはずがない。そう思いたかった。しかし、辻褄が合うのだ。この霧が確認された後、見つかるのは異能者の自殺遺体のみ。一般人の被害は確認されていない。それどころか霧を間近に目撃したという証言すら取れていないはずだ。
「澁澤の異能は『異能者から異能を分離する』だけではないのか……?」
何かがわかりかけた、瞬間。
――衝撃。
背中を押されたように仰け反る。赤いものが吹き出し、車の窓を飛沫で汚す。何が、と状況を把握しようとする思考へ警鐘じみた緊迫感が痛みと共に突き上がってくる。
肉を抉られた感覚。銃弾が左脇腹を、心臓の下を突き抜けたのだと気付いたのはその時だ。
「がはッ……!」
痛覚が全ての感覚を上回る。よろける足を何とか留め、膝をつくことは耐えた。傷口を押さえる手があっという間に血にぬめる。しかしそこに立ち尽くすわけにはいかない。
殺気が近い。
駆け出す。銃声が国木田を追ってくる。車に次々と穴が空く。足が地面に着き、地面を蹴るたびに腹の痛みが増大し意識が遠のく。波打つ意識を必死に保ちながら、国木田は霧の中を駆けた。
その行く手に、立ち塞がる人影があった。
「な……!」
それは無駄のない動きで腰の刀の柄を握り、僅かに引き抜く。刀身が光る。それだけで、国木田は察した。
逃れられない。
なぜなら、この人影は。
「――下がれ!」
突然の声に国木田はすぐさま踵で地面を蹴り横へ転がった。と同時に国木田のいた場所へ飛び込んでくる気配。一歩で敵の間合いに入り込んだそれは、鞘から刀身を引き抜くと同時にいくつもの斬撃を放つ。
――キイィン!
金属音が歪に擦れ合う。
「……これが連続自殺の正体か」
敵を前に、刀で刀を受け止めたのは福沢だった。その背中に国木田は息を呑む。
福沢が対峙する人影の背格好は、福沢と酷似していた。着こなされた着物、手にした肉厚な刀、その煌めきに相応しい体裁き――鏡写しのように二人は対峙している。
「慢心するな」
ギリ、と草履を擦りながら福沢が声だけを国木田に向ける。
「すぐそばに、いるぞ」
何が、などわかっている。
腹に力を込めて、立ち上がる。血の流れ出る勢いが増す。それを強引に押し留めるように傷口を掴み、国木田は来たる人影が霧の中から現れるのを見た。
一つに束ねた髪、きっちりと整えられた服装、その手に広げられた見慣れた手帳。
それは額の赤い宝石を禍々しく煌めかせながら、国木田を見つめてくる。
「……貴様は、俺か」
問いに答える代わりに、己に似た己は手帳に何かを書き込み、そのページを破った。紙片はすぐさま拳銃へと形を変える。異能力【独歩吟客】――国木田から分離したそれが、国木田の姿を模して国木田へと刃を向けている。
異能は武器だ。つまり、異能の分離は異能者から武器を取り上げることと等しい。丸腰になった異能者への対処はどうすれば良い。簡単なことだ、弾丸をぶち込むだけなのだから。
つまり、今の国木田は弾丸をぶち込むだけで死ぬ生身の人間なのだ。
「……まずいな」
国木田は目の前に佇む赤い宝石を睨み付けた。