幕間 -DEAD APPLE-
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
電波塔の上で、クリスは街を見下ろしていた。風はない。昼間とは打って変わって、街は異質さを醸していた。日は沈み、街灯や照明が街を地上の星空へと変えている。その街並みを睨み付ける。
「……ここがあの国だったなら、わたしは迷いもしなかった」
危険な人物を秘匿し続け野放しにし続けたと国民に知らせたのなら、この小さな島国は即座に混沌へと変わっただろう。そして訪れるのは来たるべき壊滅。ここがクリスの故郷であったのなら、クリスは迷わずその方法を選んだ。
けれどここは日本。偶然流れ着いた島国。恨む理由も壊滅を望む根拠もない、見知らぬ土地。だからこの街の人間である国木田に判断を仰いだ。答えはわかりきっていたけれど、一抹の暗い希望も捨てきれず。
しかしやはり彼は選んでみせた。利用されていると知りながらも、この街を守ることを。
――俺達は武装探偵社だからだ。民を助け、悪を討つ。そこに誰の意図が絡んでいようと、救うべき命があるのなら迷いはしない。
「……せっかく国を転覆させる良い機会だったのに、不思議な人」
不思議な、と口に出して言ってはみるものの、国木田の回答は予想通りのものだった。あの国木田がそれ以外の選択肢を選ぶわけがないのだ。正義を重んじることを第一にしているくせに、実際は人命を優先する――もし誰かを殺さなくては止められないテロがあったとしたら、国木田は犯人を撃てるのだろうか。
もう一度、クリスが探偵社を裏切り立ち塞がったのなら、国木田はまたクリスを撃ち殺すだろうか。
目を閉じる。耳を澄ませるように息をひそめる。自分が探偵社員を殺しつくす様を想像してみた。国木田だけが、自分の前で拳銃を手に立っている様を想像してみた。あの決意の表情で撃ち殺してくれる気もするし、何もできないまま苦しそうな顔をする気もする。わからなかった。
国木田の理想は、わたしを「守るもの」と判断するだろうか、「排除するもの」と判断するだろうか。
思考に耽りかけ、即座に首を振った。考えても仕方のないことだ、他人の行動など完全に予測はできない。できるのは希望的観測だけだろう。
改めて眼下の街を見下ろし、その視界の隅に生じたものにクリスは「あ」と声を上げた。
「……あれは」
ふ、と黒一色の街の中に白が生まれる。それはみるみるうちに街へと広がっていく。霧だ、それも、視界を覆い尽くすほどに濃い。それはとめどなく広がり続け、街を黒から白へと変えていく。
足元までに及んできた霧を、クリスは苦々しく眺めた。
「……やっぱり今までのとは違うか」
もし過去の事例と同規模のものだったなら、ここで高みの見物をしつつ国木田達の手伝いをするつもりだった。クリスの異能力は特殊だ、奪われるわけにはいかない。それに、澁澤龍彦の異能が『異能者から異能を分離する』だけではないことも、クリスは想定できていた。
世界各国で発生している異能者連続変死事件。特務課は自殺だと思ったようだが、その解釈ではいくつか疑問が生じてくる。あの現場はどれも、自殺とは思えない――分離した異能に襲われ、なすすべもなく殺されたようにしか見えないのだ。そう考えると、クリスの異能【テンペスト】に対して生身の人間が敵うわけがない。制限なく際限なく、気候を操り自然現象を武器に相手を屠る異能。それを解き放つわけにはいかない。
けれど、とクリスは胸元にまで迫った霧を掬うように手に取った。逃げようと思えばできる。そうするつもりだった。相手の異能は霧という形を取っている、クリスの異能で防ぎきれるものだ。
けれど、あの一瞬から。
見知った、けれど少し記憶よりも老けたもう一人の友人の顔写真を、見た時から。
――死ぬな、というあの約束すらも忘れかけるほどのこの熱く淀んだ感情が、抑えられない。
「……今日だけ県外に出張すれば良かった」
白に埋もれた街から目を逸らし、クリスは振り返った。霧に覆われた光景の中に輝く赤を睨み付ける。
「相手になるよ、【テンペスト】。何せ今日は休暇を取ってしまってね、一晩は暇なんだ」
霧の中から、それは歩み寄ってきた。輪郭が見えてくる。今のクリスより背の低い、しかし背筋の伸びた子供。亜麻色の髪はその小さな腰を覆い、何かに怯えるようにつぎはぎだらけの服を小さな手が掴んでいる。
凶悪な異能とは思えない姿。これを目撃した誰もが庇護欲を掻き立てられるであろう姿。
だからこそ、許せない。
「最悪」
クリスははっきりと顔をしかめた。
「ウィリアムを殺した時の姿を取るなんてこれ以上ないくらい最悪」
クリスに答えず、幼子はゆっくりと顔を上げる。その小さな額に浮かぶ、赤い宝石。禍々しさのあるその輝きを、クリスは睨み付けた。