幕間 -DEAD APPLE-
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会議は既に始まっていたらしい、探偵社のいつもの部屋には主要メンバーの姿はなかった。会議室へと通されたクリスは、その重厚な扉を押し開き、そっと体を滑り込ませる。部屋は暗かった。が、前方のスクリーンに明るい映像が映し出されている。
「……これは半年前のデトロイト。やはり霧の後に発見された遺体」
スクリーンの横で国木田が説明をしている。入ってきたクリスに軽く頷いた後、スクリーンへと目を戻した。そこに写っているのは巨大な氷柱に体を射抜かれたまま宙吊りになった女性の姿だ。自然が起こした災害ではないことは一目でわかる。
「お察しの通り、彼女は氷使いの異能力者でした」
この会議の内容は聞かされていなかった。が、予想はついていた。数年前から世界各地で時折話題に上がっていた、異能者の変死体。世界に点在するその事件の共通点は、被害者が異能者であること、己の異能により殺されているかのような現場であること、そして。
――事件が起こる直前に、霧が発生しているということ。
「つまり、不可思議な霧が出現した後、各国の異能者が自分の異能で死んでいる、ということだな」
福沢が口を開く。重い声音のそれを聞きつつ、クリスは部屋の奥へと移動した。会議室の中央にはスクリーンと直角に長机が置かれ、それを囲うように椅子が並べられている。スクリーン側から、乱歩、賢治、敦、鏡花、その向かいには同じく与謝野、谷崎、ナオミ。ナオミの隣の空席は太宰の分だろう。その空いたパイプ椅子から目を逸らし、クリスは鏡花の背後の壁へ寄りかかり、腕を組んでスクリーンと社員達を眺める。
「この霧に、何らかの原因があるわけですか?」
賢治が国木田に問う。その答えは、この場にいる誰もがわかりきっているだろう。無関係なわけがない。
実際、霧が原因なのだ。なぜなら、彼――澁澤龍彦の異能は。
「異能特務課では、この一連の事件を『異能力者連続自殺事件』と呼んでいる」
「……自殺?」
ふと零れた声は思ったよりはっきりと会議室には響いてしまった。皆の視線が集まる。まずい、と思いつつもクリスは表情を変えずに顎に手を当て、考え込むふりをした。
「つまり……霧によって判断力が鈍るか幻覚を見るかして、異能者だけが異能という共通の方法で自らの命を絶ったと? 一般人への影響は全くなしに、古典的な自殺方法を用いることなく?」
「確かに奇妙な事態だが、現状そうなのだ、異能力者の連続自殺としか表現のしようがないのだろう」
そこまで言い、国木田が「自殺といえば」と敦へと視線を落とした。おそらく太宰がここにいないことへの言及だろう。いつも通り楽しげなやり取りを耳にしつつ、クリスは一人考える。
探偵社から話が来るよりも先に、クリスは事件の概要を把握していた。クリスはただの異能者ではない、追われる身だ。この身に迫る危機に関しては何よりも早く認識し、それに対して対抗策を講じる必要がある。この事件もまた、その一つだった。
この街で今後何が起こるのかはおおよそ察しがついている。しかし全てを彼らに伝えるわけにはいかなかった。追われている身であるということはつまり、この存在すら外部に感知されてはいけない。余計な情報漏洩はクリスの存在を外部に知らせることになる。けれど無知を装うのは難易度が高い。この部屋にいる彼らは皆、探偵を名乗る逸材であり、何よりクリスを信用している。その信頼を損なうのはあまりにも不利益だ。
どこまでを伝え、どこまでを隠すか。
「で、この件がうちとどう関係してるんだい?」
敦を怒鳴る国木田の声とナオミの愛情込もった首絞めへの谷崎の悲鳴をかいくぐり、凛とした声が会議室に通る。与謝野のその問いに、クリスもまた思考から意識を浮上させた。
「異能特務課からの捜査依頼です」
国木田が硬い声で答える。それは緊張からか、正体のわからない怪事件への使命感からか。
「この連続自殺に関係していると思われる男がヨコハマに潜入しているという情報を受けて、我々にその捜査及び確保を依頼してきました」
言いつつ、国木田はプロジェクターのリモコンを操作する。カチ、とボタンを押下する音と同時に画面が切り替わっていく。やがて男の顔写真がスクリーンの半分を占めた画面で、国木田はボタンの押下をやめた。
「これがその男です」
ほぼ真っ白な画像だった。多くの項目が「不明」の二文字で終わっている詳細欄。写真の男は色白で白髪、その双眸だけが赤く、画面から浮き出るかのように鮮明だ。
ただ一言で言い表すならば、不気味。その白さが、唯一の赤が、彼を人ならざる者のように見せている。
これが蒐集家――コレクターと呼ばれる男。異能者に正体不明の恐怖を与える者。フィッツジェラルドといい、このヨコハマという街には強大な悪意を呼び寄せる何かがあるのか。
まるで世界の主軸のように。
物語の舞台のように。
この街を中心に、あらゆる脅威が集まってくる。
「どうかした?」
鏡花の微かな声に敦がビクリと肩を揺らした。何でもないよ、と笑うその背中を眺める。
「クリス」
国木田に呼ばれ、クリスはそちらへと視線を向けた。照明が落とされスクリーンのみが白色を発している中、普段よりも灰色めいた眼差しが緊張気味にクリスを見据えている。
「何か知っていることはないか」
「おおよそは国木田さんが説明された通りです。海外では三、四年前くらいから時折話題に上っていました。しかし原因は不明、発生源であろう異能者も不明。先程海外各国の異能管理機関にアクセスしてみましたが、詳細は依然空欄のままでした。名前と年齢、国籍が判明しているだけでも日本の異能特務課が優秀である証と言えます」
「顔がわかっているだけでもマシということか」
苦々しげな国木田に、クリスは頷く。
「詳細がわかっていない分、被害者にならないよう警戒する必要があると思います。標的を追うことも大切ですが、これに気を取られて死んでしまっては元も子もない。幸い、今までに目撃されてきた霧の範囲はせいぜい〇・五マイル四方程度、霧の広がる速度は毎秒十フィート前後。霧の発生に気付いてすぐに走れば逃げ切れないわけではない、は、ず……?」
そこまで言い、クリスは会議室をぽかんと見回した。妙な沈黙がそこにはあった。戸惑いだ、とすぐに気が付く。まるで、的外れなことを言い出した相手に何も言えないまま「へえ」と中身のない相槌を打ちつつ笑みを浮かべておくような、そんな雰囲気が会議室全体、探偵社員全員に宿っていた。何か間違っただろうか。
クリスもまた、困惑に口を閉ざす。お互いに探り合いをするかのような、いたたまれない静けさ。
「えっと、あの……何か……」
「えーと、一マイルって……何キロメートルだったっけ?」
谷崎が困ったように頭を掻く。
「キロメートル? ……ああ、そうか」
ここは日本だ、長さの単位はメートルが採用されている。変換しなければ伝わらないのか。計算しようとしたクリスの思考を遮ったのは張りのある声だった。
「一マイルは約一・六キロメートルだ。〇・五マイル四方は約〇・八キロメートル四方。一フィートは約〇・三メートル。そして毎秒十フィートは毎秒約三メートルに相当する。ちなみに毎秒三メートルは一般人の走る速度だ」
「さすが国木田」
与謝野が感嘆の声を上げる。
「数学教師だっただけのことはあるねえ」
数学教師、とは初耳だ。問うように目を向ければ、国木田はフイッと顔を逸らした。
「昔の話だ。話を戻すが、つまり霧の発生に気を配っていれば回避は可能だと?」
「今までのデータを合わせてみるとそのような結果になります。ただ……今回も同様の規模になるのなら、ですが」
その点に関しては確証がない。あの太宰が動いていたのだ、彼の目的は不明だが、良い意味にしろ悪い意味にしろ、今までと同様である可能性の方が低い。スクリーンに映し出された白い男を睨み付ける。
この赤い目は、何を企んでいるのだろうか。
「わたしはもう少し海外のサーバーに潜入してみようと思います。異能管理機関だけでなく範囲を広げて、この人物のデータを片端から抽出してみますね」
「……そんなことができるのか」
「手持ちの機械の処理能力に限界があるので結果が出るまで時間はかかりますが、可能です」
凄い、と敦が目を丸くする。凄いのは機械の方であってクリスではないのだが、と思いつつも、黙って笑みを返した。賛辞は素直に受け取るべきだ。
パチリ、と会議室の電気がついた。暗闇からの突然の明るさに目が痛む。何度か瞬きをするクリスの耳に、荘厳な声が聞こえてくる。
「武装探偵社はこの依頼を受ける」
福沢の宣言に会議室の空気が張り詰める。クリスもまた、横目で福沢を見た。己の意思を告げる時の福沢は、何者にも反論を許さないほどに激しく、静かで、強い。これが長たる者の覚悟。
――かつてのクリスの長も、そうだった。
「探偵社はこれより、総力を挙げてこの男の捜査を開始する」
威厳ある宣言は、社員の心を引き締める。国木田が改めて声を張り上げた。
「敦と鏡花、賢治は澁澤の現在地の絞り込みをしろ。航空会社や運送会社、あらゆる場所に片端から聞き込みだ。与謝野先生には各国の被害者の資料を医学的観点から調べていただきたい。谷崎は特務課からの新規の情報がないか随時確認、あったら即座に社員に知らせろ。俺はあの自殺マニアを探す」
「太宰さんですか」
敦がおそるおそる尋ねる。国木田は眼鏡を押し上げ、腹の底の怒りを最大限抑え込んだ声で答えた。
「ああそうだ、この騒動に乗じて自殺などされては社の威信に関わるからな」
「でも太宰さんの異能なら自殺しようがないんじゃ」
そもそも太宰ならば霧に巻かれても霧の効果を無効にできるので問題ない気がする。だがしかし、彼らにとっての太宰はあの太宰だ。
「なら聞くが敦、あの包帯男が自殺者が続出する霧の中で黙々と異能者を救い出しに行くと思うか?」
「……他の異能者と一緒に自殺してそうですね」
敦の答えに国木田は当然だと言わんばかりに大きく頷いた。他の皆も何も言わずに視線を泳がせている辺り、太宰への評判が丸見えである。
「こちらが対応に追われる中『土管に入ってみたら死にそうになった、助けて』などと連絡が来てみろ。奴の放牧は今後の火種だ、早々に手綱に繋がねばならん」
「牛か何かみたいですね……」
「牛なら任せてください! 手近なもので殴って大人しくさせてみせます!」
「賢治君待って、今牛の話してないから」
「じゃあ手近な刃物で首を切って大人しくさせる……?」
「鏡花ちゃん待って、今牛の話してないから!」
突っ込みは敦だけ、という過酷な状況を見守りつつ、クリスは壁から背を離して国木田へと歩み寄った。
「資料を見せてもらっても?」
「ああ」
簡素に言えば、国木田は即座に頷いた。
各国の母国語で書かれた調査票には、被害者の顔写真から名前、異能、現場の状況などが事細かに書かれていた。それらを一瞥で記憶しつつ、ぱらぱらとめくっていく。国木田はクリスが事件解決のために資料の閲覧を希望したのだと思ったのだろうが、言ってしまえばこれはただの興味だ。澁澤という人間が今まで誰を殺してきたのか、それを見てみたかっただけ。
一般人ではなくわざわざ異能者を殺す、その理解不能な頭脳を垣間見てみたかっただけだ。
だから、それを見つけるとは思ってもみなかった。
「え」
手が止まる。と同時に動揺で力が抜けて紙束が床に散らばる。バサ、と大きな音を立てた資料を、クリスは慌ててしゃがみこんで拾った。冊子型のそれをめくり直し、そのページに見入る。
「クリス?」
手元を覗き込もうとしてくる国木田の気配に気付き、クリスは表紙を勢いよく閉じた。他の紙を拾い、資料の上に重ねていく。
「すみません、落としてしまって」
「何か気になる点でもあったのか」
「いえ、特には。手が滑ってしまっただけです」
我ながら雑な隠し方だ。国木田がクリスの手から資料を奪い取る。そして例の冊子以外を机の上に置き、まるでページ番号を記憶していたかのように冊子をめくり始めた。その手はすぐに止まる。
「……ベン・ジョンソン」
英字で綴られたその文字を読み上げ、国木田はクリスの顔色を伺い見る。クリスは諦めを込めて大きくため息をついた。
「ウィリアムの友人です。施設にいた頃、一緒に遊んでもらいました。わたしにあの場所から逃げるように言ってくれたのも彼です」
――逃げろ! 逃げて、生き続けろ!
いつか再会できるだろうか、そう当然のように思っていた。この世界のどこかで生きている、それを疑うなど思ってもみなかった。いつか、いつか、もう一度会って、ウィリアムとの思い出を語り合って、あの日すらも思い出の一つとして話せるようになる、そんな未来がどこかにあると。
「……そっか」
あの優しい時間は、優しい日々は。
一欠片も、戻ってはこない。
「彼もあの異能研究施設の研究員だったはずですが……経歴にはその記述がありませんね。そういう意味なんでしょう。あの国にとってわたし達はただの……」
――ただの、道具だ。
「……クリス」
国木田に躊躇いがちに呼ばれ、クリスはいつも通りの笑顔を向けた。
「はい?」
「……いや、何でもない」
国木田が目を逸らす。不思議そうにしつつも聞き返さない仕草をして、クリスはそっと吐息を漏らした。感情が顔に出ていたのかもしれない。憎しみと呆れの表情が。それらは国木田に見せて良いものではない。人に見せるには生々しく、歪で、不浄だった。
何事もなかった素振りで会議室の扉へと向かいつつ、クリスは福沢へと目を向ける。
「わたし、これから舞台の練習なので一旦抜けますね。調査結果は後程」
「多忙の中での協力、感謝する」
「いえ、できることはさせていただきますよ。あなた方には恩がありますから」
それでは、と片手を軽く振り、クリスは会議室の扉を開ける。背に受ける一対の視線に気付きながらも振り返らず、部屋を後にした。
階段を降りつつ、クリスは携帯端末を手にする。それを耳に当てて数秒後、相手の音声が聞こえてきた。
「座長、リアです。すみません、急用ができたので今日はお休みをいただいてもよろしいでしょうか?」