幕間 -DEAD APPLE-
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[Act 2.5 Scene 1]
遠くで鐘の音が繰り返し鳴らされていた。死者を弔う音。硬く、重く、それでいてよく響き渡る凛とした響きを背に、クリスは海岸にほど近い丘の上にいた。目の前には陽光を受けて輝く水面、その上に架かる長い橋。遠くで貨物船が静かに動き出している。その景色を眺めるように、丘には石が並んでいた。平たいそれは等間隔に並び、皆等しく陽光を浴びて白く光っている。
どの石にも、面に名が記されていた。その下に眠る死体にかつて付けられた名だ。人々はこうして墓石に死した者の名前を刻み込み、かつてどこかに消えた魂を不動の永遠へと変える。会えないことには変わりないのに、人々はここに来ればその人が今もこの世界に、この大地に立っていると錯覚する。その錯覚を起こすための陳腐な装置、それが墓石だ。
人という生き物はどこまでも諦めが悪い。
「素敵な場所ですね」
墓の列の間をすり抜けようとした男へ、クリスは声をかけた。見上げてきた双眸は、クリスの姿に驚くことなく微笑みを向けてくる。風にコートの端が広がった。
「やあ、クリスちゃん」
「これから会議だそうですよ」
「さっき敦君から聞いたよ。君も呼ばれたのかい?」
「予想外でしたけどね」
連絡があったのは先程だ。偶然休憩時間だったため、招集に応じた。その前にこの男に用があったのだ。
「太宰さんは?」
「パス。新しい自殺法を試してみたくてね」
「キリストは死してから三日後に復活しました」
唐突な話にさすがの太宰も目を瞬かせる。クリスはウエストポーチから容器を取り出した。蓋の閉まっているそれは半透明で、中身は見えない。手のひらに収まる程度のその小さな円筒状を、太宰に見せつけるように振る。
「普通死体は放置し続けた場合、血液循環が止まることで体内の血液が沈下、死斑が出ます。皮膚が乾燥し、二時間程度で死後硬直が見られるようになり、角膜が濁り眼圧が低下……一日放置しただけでも死体現象はかなり進行します。当時の技術で死体を三日も保たせられたのか、気になるところではありますが」
「何が言いたいんだい?」
「これは死体現象の進行を抑制する薬剤です。本来は死亡時刻を誤魔化すための闇市場の商品ですが……一時間は新鮮なままですよ」
再び容器を振る。カラカラ、と中に入っているカプセルが音を出した。容器を見つめる太宰の視線が険を宿す。
「……忘れていた。君は元々、探偵社に出入りする情報を売って稼いでいたのだったね」
「思い出していただけて良かった。最近太宰さんが薬物のお買い物をされていたようでしたので、不躾ながら調べさせていただきました」
容器を放る。宙を回転しながら飛んだそれに太宰は手を伸ばし、パシ、と掴んだ。
「……どうしてこれを?」
「ちょっとした気まぐれです」
太宰が睨み付けてくる。探りの入ったそれを見返し、クリスは微笑んだ。
「澁澤龍彦」
その名に、太宰は僅かに動揺を見せる。
「……君も知っていたのかい?」
「最近世界的に有名な方ですよね。とある機関のサーバーにお邪魔したらその名前を見つけました。……その人に関することでしょう?」
「どうだろうね」
容器をコートのポケットに突っ込み、太宰は歩みを再開した。どこかへと向かうその背の名を、クリスは呼ぶ。
「……太宰さん」
「なーに?」
顔だけこちらに向けてきたのは、いつものおちゃらけた太宰だ。それ以上は答えないということか。意図を察し、クリスは言おうとしていた言葉を変える。
「今度、あなたのご友人についてお話を聞かせてください」
今度。
それは”次がある”ということ。
これがさよならではないということ。
太宰が目を細める。思案しているようだった。そして、ふ、と笑み、彼はクリスに答えを返す。
「……良いよ」
今度、に込められた意味を知った上で、太宰は頷いた。
「君の友人の話も聞かせてよ」
「是非」
前を向き直り、太宰はクリスから去っていく。コートが風に煽られた。ふわりと広がった茶色を、それに覆われた痩躯を、ただ一人歩いていくその背中を、見送る。
「……さて」
うーん、と伸びをし、クリスは空を見上げた。昼間の青い空がそこにある。至って普通の、何度も繰り返されている平凡な昼間だ。
「わたしも行かないと」
くるりと踵を返し、クリスは墓の群れに背を向けた。