第1幕

夢小説設定

この終焉(おわり)なき舞台に拍手を
本作品の夢主は英国出身北米育ちです。
カタカナでの名前を推奨しております。
名前(ファーストネーム)
名字(ファミリーネーム)
舞台女優名

リクエストをいただいてから長い時間が経ってしまいました。「夢主がメルヴィルをグランパと呼ぶ理由」です。
遅くなってしまって申し訳ないです。


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 その少女は、家族というものを知らなかった。

「ホーソーン」

 初対面の相手の名を呼ぶかのように恐る恐る発されたそれへと「はい」と返せば、クリスは開いていた本へと再び顔を戻してしまった。目を合わせるのも慣れていないのだろう。それもそうだ、彼女とは先程ようやく落ち着いて二人になったばかりなのだから。
 フィッツジェラルドからの無茶振りを仕方なく引き受けたホーソーンがまず先に案内したのは、自室の資料棚だった。聖書に関する書籍が複数、そして複数種類集められているこの部屋は、ホーソーンにとってもお気に入りの場所だった。何より誰も近寄らない。聞くところによると、ホーソーンのことを同じ内容の本をいくつも集める変人と評する声があるらしい。聖書は解釈によって様々な受け取り方ができるのだ、その内容を解説した本は世界中に数多とある。その違いをわかっていないのだから心底残念な同僚達だ。
 そのお気に入りの部屋へ少女を招き入れたのは、いわゆる時間短縮だった。彼女はホーソーンですら知らない宗教観を学んでいる。それがどの解釈によるものなのか、それとも聖書のことなど全く学んでいない邪な宗教団体による洗脳なのか、それを見極める必要があった。実際に本を読んでもらい、己の読んできた聖書はこれだと教えてもらえたのならそれで解決だ。ホーソーンはなるべく早くこの少女の世話係を抜けたかった。別に子供好きでもないのだ、同僚からにやにやとした笑みを向けられる日々など、とっとと終わらせてしまいたい。

「ホーソーンには、兄がいる?」
「……突然ですね」
「えっと、ごめん、なさい」

 あまりにも突然の問いにそのままの感想を返せば、何を勘違いしてかクリスは項垂れて謝罪の言葉を言った。どうにも彼女はホーソーンに対して硬い。彼女がホーソーンのことを「先生」と呼ぶ回数こそ減ったものの、その萎縮じみた態度は変わりないままなのだった。ため息をどうにか堪える。
 少々、というか、かなり面倒くさい。

「怒ったわけではありませんよ。なぜ、そう思ったのかいても?」
「この本を、神の言葉? を、読んでいて、思い出したから……普通の人には、兄がいると聞いたから」

 これまた現実的ではない知識が明らかになったものだ。

「全員にいるわけではありませんが」
「そうなの? じゃあ兄弟はいる?」
「それも人によります」
「……兄弟がいない人も、いるの?」
「ええ」

 そうなんだ、とクリスは驚いたような顔をホーソーンに向けてくる。知らなかった、というよりは、本当なんだ、という確認じみたものがそこにはあった。もはや宇宙人か何かを相手しているかのようだ、常識がホーソーンの常識と剥離しすぎている。

「じゃあお父様とお母様も、一人につき一組なの?」
「……ええ、まあ、多くは、そうですね」
「多くは?」
「……世の中には複雑な家庭環境というものがあるので……」
「複雑? 家族が複雑ってどういうこと?」

 少女が素直に問いかけてくる。さすがに頭を抱えたくなった。
 説明しろと言うのか。兄弟というものを正確に理解していないであろう子供に、いわゆる複雑な家庭環境というものを。離婚だとか再婚だとか戸籍だとかを。血の繋がりという概念を。そもそも親と子という関係性の意味を。
 話がどこまでもねじれていく予感しかしない。

「……まずは、そう、ですね……」

 額に手を当てつつ、しかしホーソーンは手元の紙へと線を書き始めた。
 ここで放り出すわけにはいかない。彼女は明らかに間違った知識を持っている。よりにもよってあのフィッツジェラルドを神と呼んだのだ、その感性を訂正しなくては唯一神を信仰する身には許しがたい。

「親族関係について、図に書いて説明しましょうか」

 ――後から聞いたところ、彼女の育った場所では年齢ごとに「お父様」「お母様」「兄弟」と呼称が分けられていたらしい。叔父や叔母といった言葉も知らないようだった。手抜きすぎる。確かに血縁者の呼び方は複雑なパターンが多いが、聖書の読解には血の繋がりに対する理解が重要なのだ。そこから教えなくてはいけないなど、ホーソーンの本職ではない。
 心の内で、ホーソーンはクリスの故郷の教育者を呪っておいた。


***


「ということがありましてね」
「ふーん」

 全く興味がないとばかりにミッチェルはテーブルの上の菓子を摘まんだ。

「つまんないわね。もっと面白い話をしてちょうだいな」
「……でしたらあなたが彼女の世話係をすれば良いのでは?」
「嫌よ」

 つん、と顔を背けるこの同僚ほど、高貴を盾にした高飛車な存在はいない。
 ぐ、と込み上げてきた嫌みを飲み込み、代わりにホーソーンはため息をついた。テーブルの上のカップへと手を伸ばす。休憩室で偶然顔を合わせてしまったのが運の尽きだったと思うしかない。コーヒーを一杯飲めれば良いかと思ってここに来たものの、よくよく考えれば自室で飲む方が良かったのかもしれない。

「ふむ、見慣れた面々じゃな」

 ――口に含みかけていたコーヒーをどうにか飲み込んだ。
 どうにか逆流しなかった液体が喉の奥で苦々しい香りを放つのを堪え、ホーソーンはそちらへと顔を向けた。ミッチェルはというと優雅な体勢のままそちらを一瞥している。しかし、その顔は微かに強張っていた。

「……あら、ご機嫌よう。今日はお暇なのかしら」
「引退爺はいつでも暇じゃよ」

 失礼、と近くの椅子へと座ったメルヴィルをよそに、ホーソーンとミッチェルはそっと目配せをし合う。ハーマン・メルヴィル――見た目と物腰は高貴な老人を思わせる彼だが、その実績は一介の構成員が息を呑むほどのものだ。
 元、団長ボス
 かつてこの老人は、この秘密結社の親玉だった。
 席へと来たウエイトレスにコーヒーを頼んだメルヴィルは、二人の落ち着かない様子に気付いていないかのごとくのんびりと椅子の背もたれに体重を乗せた。腹の上で両手を組み、室内を流れるクラシック音楽に目を閉じて耳を澄ませている。どう見ても仕事先を引退して老後を過ごしている裕福な老人だ。

「任務は順調かね」

 ――しかし、その問いかけ方は紛れもなく上層部の人間のものである。

「無論、当然です」

 ミッチェルは怖気づくことなく言い切った。

「アタシが手を抜くとでも?」
「いいや、まさか。君は全てに全力を尽くしてくれるとボスから聞いておるよ」
「……なら、良いですけど」
「牧師殿はいかがかな」

 問われ、ホーソーンは言い詰まった。最近の任務と言えば、あの少女の世話である。子供の世話を報告するなど、異能組織の構成員がすることとは思えない。というか、それを他の構成員に知られたくない。

「……南米の取引を正常に終わらせました。最近出張から戻ってきたところですので、しばらくは休暇を」
「子供の世話をしておると聞いたが」
「……ご存じでしたか」

 無理やり、カップの中のコーヒーを飲み干す。視界の隅でミッチェルがにやりと笑っているのが見えた。
 対して、メルヴィルは静かに頷く。そのテーブルへとコーヒーが運ばれてきた。白磁のカップへと手を伸ばし、メルヴィルは「して」と続ける。

「どうだね」
「……問題はありません。と言えたら良かったのですが……些か、かなり、問題児ですね」
「あら、牧師様が根を上げていらっしゃるわね」

 くすくすとこちらにも聞こえるように笑うミッチェルを一睨みする。ミッチェルはしかし、気にした様子もなく「さっきまでさんざん言ってたくせに」と余計なことを言い出した。

「家族構成に関する単語を教え込むのに四苦八苦してらしたじゃないの。大変ね子守りは。親と子の血の繋がりと兄弟間の血の繋がりの違いをかれて、頑張って教えなくてはいけないだなんて」
「そうか。彼女は家族を知らなんだか」

 明らかにホーソーンを笑いものにしているミッチェルとは対照的に、メルヴィルは何かを思う素振りで数度頷く。奇妙な反応だ、とホーソーンはミッチェルへと苦言を呈しようとしたのをやめ、メルヴィルを見つめた。
 まるで――何かを思い出しているかのような。

「……何か、ありましたか」
「いいや」

 一応と口にしたその問いに、老人はゆっくりと首を横に振った。

「この年になると、得るものより失うものの方が増えてくる」

 相槌の種類にも悩み、黙り込む。ミッチェルもまた、居心地が悪そうにカップの中身を飲み干した。
 沈黙。
 ヴァイオリンの音が美しいクラシック音楽だけが、三人の耳を撫でていく。
 苦手だ、とホーソーンは思う。
 この老人は苦手だ。元団長という立場を表には出してこないくせに、年長者として声をかけてくる。けれどお喋りというわけではなくこちらの話を静かに聞くだけ。うっかり失言をしてしまったとしても、それを把握するまでに時間がかかる。フィッツジェラルドはその点わかりやすい。自分の所有物に対する独占欲があり、触れてはいけない点に触れてきた相手には暴力を一方的に突きつける。まさに暴君だ。

「……ホーソーン」

 大人しい声がホーソーンの名を呼んできた。
 横を見る。自らの席へと、ある程度の距離を置いて近寄ってきた少女がいた。両腕で抱え込むようにして分厚い本を持っている。その青い目は、場の緊張を読み取ったかのように戸惑っていた。

「どうしましたか」
「……読めない言葉があって、あの、ごめんなさい」
「問題ありませんよ」

 隣へ、と席を指す。躊躇いを見せた後、クリスは怯えた様子のままホーソーンの隣の椅子へと座った。ちょこん、という擬態語が似合うその姿は、場に慣れていないというよりは場違い感に気付いてしまっているという方が正しいか。

「初めまして、じゃな」

 クリスの態度の理由だと察したのだろう、メルヴィルが柔らかく微笑んだ。

「ハーマン・メルヴィルという。皆と同じく、このギルドの構成員じゃよ」
「……クリス、です。えっと、その、よろしくお願いします」

 言い、クリスは肩を縮めるように頭を軽く下げた。珍しい、とホーソーンはその姿を見つめる。彼女は初対面の相手にも真っ直ぐな――もっと正確に言うなら恐れを知らない態度で臨むのだ。あのフィッツジェラルドを「フィー」と呼んだのも、ホーソーン達からすれば信じられないほどの愚行である。

「……あの、ホーソーン」
「ああ、わからない言葉があったんでしたね。どれですか」
「えっと、あの、そうじゃなくて……メルヴィル、さん、って」

 ちら、とそちらを窺い見、そして彼女は言った。

「グランパ?」

 ――場がとうとう凍り付いた。
 悪態と苦手意識から緩やかに薄氷をまといつつあった場の空気が、一気に凍った。

「祖父? おじいちゃん? って、こういう感じなのかなって」

 忘れていた。彼女はもはや幼児だ。それも、新しい言葉と概念を学んだばかりで、好奇心旺盛な。
 そういった子供は、学んだばかりの言葉をまるでオウムのように四方八方に言い回る。不適切な使い方だろうが何だろうが気にしない。

「……ええとですね、クリス、初対面の人にその発言は」
「わかるか、お嬢さん」

 明瞭な声で答えたのはメルヴィルだった。
 ぞ、と悪寒が背を這う。その声音は、柔らかく人当たりの良い老人のものではない。
 凍り付いた場に吹く、肌を刺す風のような。

「……『親』より上位の、祖先により近い人」

 クリスが静かに答える。

「わたしより先に生まれ、わたしより先に世界を知った人。自分より後に生まれた人達のための場所を作り、あるいは昔ながらのその場所を後世へと存続させた人」

 あなたは、と怖気づく様子のない幼い少女が、老人を真っ直ぐに見据える。何も言えないまま、ホーソーンはミッチェルと共にその場で身を固まらせる。
 ――この少女は。
 裕福な老人にしか見えないメルヴィルの正体を、この数秒のうちに看破し、あまつさえその指摘を本人へ行おうとしている。

「そうか、そうか」

 しかし彼女がそれを言うより先に、メルヴィルが朗らかに笑い声を上げた。

「そうか」

 その感嘆じみた笑い声は、ホーソーンにとっては恐ろしいものに違いなかった。
 彼女に教えなくてはいけない。本人が隠していること、あるいはすすんで教えてこなかったこと、それらについて言い当てるようなことはしてはならない、と。
 藪の中の蛇をつつくようなものだ。いつか――その牙に、食われる。

「わたし、グランパを初めて見た。わたしの故郷にはいなかったから」
「ふむ、話には聞いていたもののやはり奇妙な生まれじゃのう。儂ほどの年老いた者がいなかったということか」
「ううん。いた。でも、『お父様』だったから。大人の男の人は、みんな『お父様』なの」

 平然とクリスはメルヴィルと会話を進めている。それを、ホーソーンは黙って聞くことしかできない。

「でも、さっきホーソーンから普通の家族について教えてもらって……わたしにも、グランパがいたら良いのになって思った。あと、お兄ちゃんとお姉ちゃんと、弟と妹と、他にもたくさん。わたしはもう、血の繋がりがある『家族』はわからなくなったけど、家族は血が繋がってなくてもなれるんだって」
「ああ、そうじゃな」
「わたしにも、これから家族ができる?」
「できるとも」

 メルヴィルは即座に答えた。

クリスはもう、ギルドの子じゃよ」

 ――この年になると、得るものより失うものの方が増えてくる。

 先ほどのメルヴィルの言葉を思い出した。そして、メルヴィルがかつてこの組織の長だったことも思い出した。フィッツジェラルドはその権力を駆使してクリスがいた組織を壊滅させ、英国から連れ出している。敵組織との対立は組織である以上免れない。相手が組織でない場合もあるだろう。力ある組織が存続する――裏社会の暗黙の了解だ。
 彼もまた、人知れず何かを失ってきたのかもしれない。

「グランパがグランパなら、ホーソーンはお兄ちゃん?」

 突然の発言に、深刻さを増していた思考があっという間に吹っ飛んだ。

「おにっ……」
「あら、ならアタシは当然、姉よね。組織構成員としては大先輩よ。アタシの方が身の振る舞いが大人だし」
「うーん……」
「ちょっと! 何でそこで悩むのよ!」

 テーブルに手を叩きつけて身を乗り出すミッチェルに、クリスは話の先行きを察したのだろう、すぐさま「じゃあそれで」とこくりと頷く。ミッチェルは不満足そうに椅子へ腰を戻した。ミッチェルは無自覚だが、彼女もまたクリスの奔放具合に振り回されている人の一人だ。

「わたしの弟と妹は? 誰?」
「要は後輩って意味でしょ? これから先の話じゃないの」
「まだか……いつかな……」
「これ、家族の意味本当にわかってるの?」

 ミッチェルがじとりとこちらを見遣ってくる。ホーソーンは知らないとばかりに首を横に振った。家族という経験がない子に、家族を教えるのは難しい。
 できるのは、今後家族紛いの関係性を彼女に築いてあげることだけだ。


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