第1幕
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
観客のいない舞台の上に立っていた。すぐにこれが夢だと気付いた。ここはわたしの場所じゃない。わたしは、こんな、光の差す場所にいて良い存在じゃない。
ここにいて良いのは。
「……コーディリア」
この場所を与えてくれた人。この場所を教えてくれた人。
――あなたにとって、あの光の下が心地良い居場所となりますように。
そう言ってくれた人。
「……駄目だったよ」
見上げた先で、真っ直ぐにこちらを照らしてくる照明と目が合う。眩しさに目を細める。
ああ、と思う。
あの光は、わたしを掻き消すそうとしている。わたしに目を閉じさせようとしている。ただそれだけだ。わたしを闇から救い出してくれるものじゃない。わたしに夢を与えるものじゃない。
俯き、光から目を逸らす。影を落とす足元を見つめて、目を閉じる。
闇が目の前に広がる。静かで、心地良い。
――ふと。
名を呼ばれた、そんな気がした。でも、このまま闇を見つめていたい。自分の中に留まるこの黒色を眺めていたい。ここが舞台の上であることを忘れたまま、黙って俯いて、何を演じるわけでもなく、佇んでいたい。
また、呼ばれる。聞きたくない。もう、呼ばないで。
もう、気付きたくない。
ここが夢見た場所だと、自分に相応しくない場所だと、気付きたくない。
「クリス」
明瞭な声は強制的にわたしの顔を上げさせた。支配者の声だ。眩しさが降り注ぐ中で、わたしはそれを見る。
金髪の長身が観客席にいた。口の端をつり上げる、自信と傲慢に歪む笑み。照明はただ一つがわたしだけを照らしているというのに、男はまるで己自身が光であるかのようにそこにいる。白いスーツが目に焼き付く。鋭い目がわたしを射竦める。
「来い、クリス」
彼は手を差し伸べてくる。それは強い手だった。きっと、どこまでも引っ張っていってくれる。どこまでも連れて行ってくれる。何からも守ってくれる。安堵が胸に広がる。その手に縋れば、きっと、助かる。
救われる。
舞台に佇むわたしに、彼は黙って手を差し出してくれている。その手へと、手を伸ばそうとする。この舞台を下りて、あの暗闇の中へと行けば、わたしは、きっと。
――己を忘れるな。
ぴくりと手が揺れる。中途半端に手を浮かせたまま、わたしは耳に残っていた声を聞いた。それはまるで葉の先に留まっていた雫のように、時を越えて不意に落ちてくる。
――拒むな。拒絶は進むべき道を塞ぐ。
息を吐き出した。暗闇の中で佇む彼を見つめ、そして、その姿を瞼の裏に残すようにそっと目を閉じる。
――いつか君が僕の脚本で舞台の上に立つ姿を見てみたいなあ、なんてね。
穏やかで優しい声が聞こえてくる。
――死ぬな。捕まるのも、死ぬのも、知られるのも駄目だ。
遠いあの日に言われた言葉が聞こえてくる。
――君に幸福を与えよう、クリス。
高らかな声が聞こえてくる。
――どうか、夢を諦めないで。あなたには、それを叶える実力が、意志が、ある。
未来を願う囁き声が聞こえてくる。
たくさんの声が、乱雑に放置された本のようにわたしの中で高々と積もり積もっている。一つを取り出せば次々にわたしの手元に落ちてきて、その閉ざされた表紙を頼んでもいないのに開いてくる。
――役者である自分を、演じれば良い。クリスであれば可能じゃろうと思っておるよ。
それらはわたしを導こうとしている。わたしがわたしとして生きていけるように、願っている。
それらが指し示しているものに、わたしは以前から気付いていた気がする。けれど目を背け続けていた。正しいかわからなかったからだ。少しでも失敗すれば、この身は捕縛され、結果たくさんの人が死ぬ。
けれどもし仮にうまくいけば、わたしは誰の手に渡ることなく、大切な人を失うことなく、夢を叶えることができる。
――光は必ず君の中にある。迷った時は確かめる。そうしたら、思考の中で光り輝く何かが見つけられる。それを信じて行けば良い。問いの答えは必ず自分の中で輝いてくれるよ。
そっと目を開く。
そして、舞台の外へ、闇の中へと伸ばしかけていた手を下ろした。
「……ごめんね、フィー」
観客席で、彼は驚いたように瞠目している。それへ、首を振った。
「――わたしは、そちら側へは行かない」