第1幕
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***
次の日、一部屋に集められたメンバーをクリスは見回した。豪奢な机を囲み、彼らはクリスの報告に耳を傾ける。
「航空機が五機、向かって来てる」
手にした紙束を執務机に置きながら、クリスは目の前に座る上司を窺い見た。しわ一つない背広を纏った男は、満足そうな顔で机上に肘をついている。
「輸送機だ。到着予想時間は明日の早朝。輸送人数は五十人程度。彼らの目的を考えると、異能者が含まれている可能性が高い。もしかしたら着陸せず機上から攻撃をしかけてくるかもしれない。異能で他の戦闘員を転送してくる可能性は低いと思う。それができるなら先達は数人で良かったはずだから」
「詳細がわかっていないようだが?」
「残念だけど」
ふる、と首を振る。
「通信傍受ができない。こちらの手が読まれてる」
「さすがは《時計塔の従騎士》ということか」
ふ、とフィッツジェラルドが口の端を上げる。
「――俺達の街に乗り込んでくるだけのことはある」
「彼らの目的は《王国》だけではなく我々も、ということですか」
ホーソーンが眼鏡を押し上げる。
「ギルドそのものを狙ってくるってこと? 派手ね」
ミッチェルがぼやく。
「狙撃して落としたら立派な武勇伝になるなあ」
トウェインが頭の後ろで手を組みながら笑う。
「それで、作戦はどうするんですか? ボス」
スタインベックが首を傾げる。
「決まっている」
フィッツジェラルドが悠然と言った。
「――クリス」
突然名を呼ばれ、クリスはビクリと肩を揺らした。腹の底に冷たいものが落ちる。視界が霞む。体が硬直し、汗が噴き出す。
唇が震える。それでも、声を押し出す。
「……何?」
「君が始末しろ」
ひきつるような息を呑む音が、自分の喉から聞こえた。
始末、英国を。
それは、つまり、あの国の前へこの身をさらけ出すということ。
――クリス。
優しい声が聞こえてくる。赤いぬくもりが、肌を這う。
――逃げろ! 逃げて、生き続けろ!
血と肉と破片が散らかる野原が、むせかえる鉄の臭いが、視界の端に灯るいくつもの小さな光が、蘇る。
あの場所に連れ戻そうとしてくる人達の、元へ。
「特殊戦闘員への任務だ。異能で敵組織の輸送機を排除しろ。手段は任せる。が、失敗は許さん」
平然とした声はしかし、拒絶を許さない響きを持っていた。拒めば殺される、そう予感してしまうような。
「……なぜ、わたしが」
「適任だと思ったからだ」
「でも、わたしはあの国に姿を見せない方が」
「逆だ」
必死に言葉を探すクリスの声を、高慢な声が断つ。
「英国は既に君を捕捉している。であれば、簡単に手出しできないものであることを見せつければ彼らはうかつに手を出してこなくなる。今回は良い機会だ。加えて、英国は君がギルドの物でありギルドに逆らえないことを知るだろう。〈本〉を手に入れるには彼らと協力する必要があるが、〈本〉を手に入れるには彼らよりも上位でなければならん」
「……どうやって」
「《王国》を潰した時と同様に潜入すれば良い」
大きく肩を跳ねさせて、クリスはフィッツジェラルドを見た。あの光景を目の前で見ていたはずなのに、この男は新聞記事の広告欄を見るようなつまらなそうな顔で目を細めてくる。
嫌だ、と口で言う前に首を緩く横に振る。
「……演劇は人を殺すためのものじゃない、人を幸せにするためのものだ」
「幸せとは感情面での利だ、俺達が利を得るには誰かが損を被る。あれは女王が”損”を受けただけだ」
損。
その言葉に、クリスは呆然と目の前で悠然と椅子に座る男を見つめた。
「……フィー、まさか、知っていたの……?」
「二人が死ぬことか」
当然だ、と男は言った。丁寧に整えられた前髪に似合う整った笑みを浮かべる。
「わかっていた。その上であの案を採用した」
雑誌記者の決まり切った質問に答えるように、男はそう言った。
――アタシはね、ひとりぼっちなの。
ゴネリルが弱く微笑んでいる。
――ボクはね、ひとりぼっちなんだ。
リーガンが目を伏せている。
そっくりだった二人が段々と異なっていく様子を、そばで見ていた。そばに寄り添い、声を聞き、手を差し出した。それが、ギルドの、フィッツジェラルドの手から彼女達を救い出す方法だと思っていた。
そんなはず、なかった。
――僕はね、劇作家になるのが夢だったんだ。
ウィリアムが日だまりの中で笑っている。
――誰かの心に訴えかけるような、そういう作品を作りたいと思ってたんだよ。
彼はそう言っていた。
誰かの心に訴えかけるということ、それは、誰かの心を壊すことじゃない。それを平然とすることじゃない。何度も繰り返しすることじゃない。
「……断る」
短く言い、顔を上げた。
「断る」
「クリス」
「この任務、わたしは関われない」
言い捨て、踵を返して部屋を出る。ミッチェルが呼び止めようと名前を呼んでくる。それすら無視して、足早に廊下へと飛び出した。
――どうか、夢を諦めないで。
「……ごめん、コーディリア」
歩いていた足はやがて走り出していた。駆けて、駆けて、建物から飛び出す。人々の行き交う中を走った。
ごめん、と言葉が胸から喉を通って口にこみ上げてくる。吐き出すようにそれを舌に乗せて、けれどうまく吐き出せなくて、喉に押し返す。
「ごめん、リーガン、ゴネリル、ごめん――ウィリアム、ごめん」
今更だ。
今更、気がついた。
それは、フィッツジェラルドが、他の皆が気付いていて、クリスだけが気付いていなかったこと。
わたしは、この場所にい続ける限り、誰のことも幸せにできない。誰の夢も、何の夢も叶えられない。なぜならわたしは誰かを虐げ続ける存在だから。誰かを幸せにすることなど、できない存在だから。
知っていた、わかっていた、そのつもりだった。けれど何も理解していなかった。混乱に視界が霞む。思考がぐちゃぐちゃになって、悲鳴に似た叫びばかりが無秩序に頭の中を駆け巡る。
できると思っていた。
方法があると思っていた。
ここにいながら、夢を叶える方法が、どこかにあると。
そんなはずがなかったのだ。
ここに居続ける限り、わたしは何も叶えられない。